シャルケ2部降格…「凄い選手がいたのに降格を味わった10のチーム」

写真拡大 (全15枚)

ドイツの名門シャルケが1987-88シーズン以来となる2部降格となった。

内田篤人がいた時代はチャンピオンズリーグの常連だったが、現在は公的支援を受けるなど厳しい状況に陥っており、今季は断トツの最下位に沈んでいた。

ここでは、『Squawka』が伝えた「タレント集団だったのに降格を味わった10のチーム」をあらためて紹介する。

2003-2004 リーズ

2000-2001のUEFAチャンピオンズリーグで準決勝に進出したリーズ。その後の信じられないような凋落は、クラブとしての運営のダメっぷりを如実に示すものだ。

財政上の間違った管理によってチームが縛られるなか、ハリー・キューウェル、リオ・ファーディナンド、ジョナサン・ウッドゲイトの売却で資金を捻出。とはいえ、降格を免れるには十分なスカッドが揃っているように思えた。

ポール・ロビンソン、ルーカス・ラデベ、ニック・バーンビー、マーク・ヴィドゥカ、アラン・スミスらがいたのだ。一方、ホッキ・ジュニオールやディディエ・ドミらはいまだにリーズファンにとっては悪夢的な存在に…。

1996-1997 ミドルズブラ

カップ戦決勝で敗れるのは不運なことだ。1年で2回も決勝で敗れたなら、2倍の失望を味わう。だが、1年でカップ戦決勝に2度敗れたうえに降格となれば、それは本当の悪夢だ。

ミドルズブラはその不運に苦しめられた。

当時のチームはファブリツィオ・ラヴァネッリ、ジュニーニョ・パウリスタ、エメルソン・モイセス・コスタら国際的なスターのほか、若手有望株に溢れていた。だが、ブライアン・ロブソンが率いた1996-97シーズンのボロは降格を味わった。

(チーム内の風邪と怪我人を理由に)ブラックバーン戦の日程をこなさなかったことで勝ち点3を剥奪されていたボロ。最終的な残留圏までの勝点差は2ポイントだった…。

1998-1999 ボルシアMG

ボルシア・メンヘングラートバッハはドイツで最も歴史あるクラブのひとつだ。

5度のブンデス優勝を誇る彼らだが、1998-99シーズンに降格を味わった。それまで数年、徐々に順位を下げていただけに、大番狂わせではなかった。とはいえ、彼らは素晴らしい選手たちを揃えていた。

GKローベアト・エンケ(故人)、MFセバスティアン・ダイスラー、FWアンドリー・ヴォロニン、FWマルセル・ケテラーら若手に、DFパトリック・アンデション、FWアントン・ポルスターという代表チームを牽引する選手たちもいたのに…。

1999-2000 アトレティコ・マドリー

2013-14シーズンに実に18年ぶりにリーガを制したアトレティコは、その後も素晴らしい競争力を保っている。それが、20年前の成功とは違うところだ。

1995-96シーズンにリーガ制覇したアトレティコだが、そのわずか3年後に降格。当時クラウディオ・ラニエリ監督が率いたチームは、セビージャとベティスというアンダルシアのクラブに挟まれる形で19位に終わった。

当時のスカッドはタレント集団だった。GKにはホセ・モリーナ、DFにはジョアン・カプデビラ、カルロス・ガマーラ、MFフアン・カルロス・バレロン、ルベン・バラハ、FWにはジミー・フロイト・ハッセルバインク…。

論争の的だったオーナー、ヘスス・ヒル のもとでアトレティコは最も暗黒だった期間のひとつに耐えることになった。

2001-2002 フィオレンティーナ

財政上の問題により、ガブリエル・バティストゥータをローマへ、ルイ・コスタをミランへ売り渡さなくてはならなかったフィオレンティーナ。

とはいえ、その2人を失っても当時のチームにはいい選手たちが揃っていた。前線にはヌーノ・ゴメス、アドリアーノ、プレドラグ・ミヤトヴィッチ、エンリコ・キエーザがいたのだ。それでも転落を止められなかったロベルト・マンチーニ監督はシーズン途中に解任された。

結局シーズンわずか5勝に終わり、18チーム中17位で降格。その後、破産を申請し、フィオレンティーナ・ヴィオラとしてセリエC2から再スタートを切らなくてはならなくなった。

2002-2003 ウェストハム

前年は7位だったウェストハム。非常に強いスカッドを揃えており、この年に対する期待値は高かった。

ジョー・コール、マイケル・キャリック、グレン・ジョンソン、ジャーメイン・デフォーらワクワクするような若手、GKデイヴィッド・ジェームズ、DFトマーシュ・ジェプカという代表経験者、さらにはパオロ・ディ・カーニオとフレデリック・カヌーテまでいた。

錚々たる面子を揃えながら、厳しいシーズンを送ったハマーズ。さらに悪いことに、グレン・ローダー監督が心臓の問題のためにシーズン末の6週間を欠場。クラブのレジェンドであるトレヴァー・ブルッキングが暫定監督となり、わずかに改善したものの、18位で降格となった。

2007-2008 レアル・サラゴサ

当時のサラゴサは最も影響力のあるDFガブリエル・ミリートをバルセロナに売却。とはいえ、シーズン前にはその資金を使い、いいスカッドを揃えていた。もしくは、彼ら自身はそう思っていた。

パブロ・アイマール、アンドレス・ダレッサンドロ、リカルド・オリヴェイラ、ロベルト・アジャラ、カルロス・ディオゴ、ディエゴ・ミリートら南米出身勢、さらには、EURO2008のスペイン代表メンバーだったFWセルヒオ・ガルシアにMFガビもいたのだ。それでも、彼らはチームを降格から救えなかった。

2008-2009 ニューカッスル

この10年ほどニューカッスルが低迷していることは、もはや秘密ではない。イングランドで最も大きなスタジアムのひとつを有し、素晴らしいサポーターたちがいて、素晴らしい選手たちに恵まれていながら。

特に壊滅的だった2008-09シーズンもタレントが揃っていた。だが、最後はレジェンドであるアラン・シアラーの指揮のもと、アストン・ヴィラに0-1で敗れ降格が決まった。

当時在籍していたシェイ・ギヴン、ジェレミ・ヌジタップ、ニッキー・バット、ジェームズ・ミルナー、ダミアン・ダフ、マイケル・オーウェンらは素晴らしいキャリアをエンジョイしてきた。だが、このありえない降格によって、(彼らのキャリアは)今後も汚されるだろう。

2009-2010 ヘルタ・ベルリン

ヘルタの指揮官として素晴らしい仕事をしてきたパール・ダールダイ。だが、選手時代には2部降格という不名誉を味わった。

首都を本拠地とするこのクラブには誇るべき歴史がある。だが、13年続いたトップリーグ参戦が終わったこのシーズンは、全てがおかしかった1年として記憶されるだろう。前年4位だったにもかかわらず、最下位に低迷し降格していった。

チームは経験ある選手と、有望な若手に溢れていた。アーネ・フリードリッヒ、ウカシュ・ピシュチェク、ゴイコ・カチャル…前線にはアドリアン・ラモスとラファエウもいた。

2011-2012 ビジャレアル

ビジャレアルはこの年をチャンピオンズリーグでスタートさせたのだが、最後に待っていたのは2部降格の悪夢だった。彼らはリーガとCLの両立に苦しんだ。

シーズン前にサンティ・カソルラをマラガに売却したことがダメージとなった一方、新加入のジョナサン・デ・グズマンとクリスティアン・サパタは期待されていたインパクトを残せず。

とはいえ、ゴンサロ・ロドリゲス、マルコス・セナ、ボルハ・バレーロらを擁しており、まさに降格は番狂わせであった。

【写真】言い方がひどい…「応援するのが恥ずかしいクラブ」TOP9

その後、1シーズンでリーガに舞い戻ると、スペイン最高のチームのひとつに再び返り咲きつつある。