湘南新宿ラインの列車は「山手貨物線」を走っている(写真:Caito/PIXTA)

JR新宿駅の埼京線・湘南新宿ラインが発着するホームで電車を待っていると、「通過列車にご注意ください」というアナウンスに続き、電気機関車に牽引された貨物列車が通過していくことがある。都心のターミナル駅のホームにいきなり貨物列車がやってきて驚いた人もいるだろう。

しかしこれ、当然のことである。埼京線や湘南新宿ラインが通る池袋―大崎間の線路は、そもそも山手線の貨物線として敷かれた、通称山手貨物線だからだ。ついでに言えば、湘南新宿ラインは池袋から先も山手貨物線を経由して東北貨物線に入り、反対側の大崎から南は東海道貨物線を走る。

都心に貨物駅が多くあった

昔の鉄道路線は多くが旅客列車と貨物列車の両方を走らせるために生まれた。それは東京都内も例外ではない。よってかつては東京23区内にも貨物駅がいくつか存在した。山手線では品川、新宿、池袋、巣鴨の各駅などで貨物の取り扱いをしていた。恵比寿と秋葉原の両駅は当初貨物駅として生まれたほどである。


山手貨物線を走る湘南新宿ラインの列車(筆者撮影)

しかしながら旅客と貨物の双方の輸送量が多くなったことを受け、旅客と貨物の線路を分けるという考えが生まれた。首都圏では東海道本線、東北本線、山手線が線増に踏み切った。そこを現在、湘南新宿ラインなどが走っているのである。

このうち東北本線と山手線はいずれも、既存の路線を複々線とすることで貨客分離を果たしている。全線開通は山手貨物線が1925年、東北貨物線が1932年と、いずれも第2次世界大戦前である。

山手貨物線は電車のように1周しているわけではなく、本来の山手線区間である品川―新宿―田端にとどまっている。しかも田端側は駒込駅を過ぎると電車線の下をくぐり、東北貨物線の起点である田端操車場(現在は信号場)に合流する。東北貨物線はここから大宮まで延びている。


長い歴史を誇る隅田川貨物駅(筆者撮影)

田端操車場の大宮と反対側からは常磐貨物線が出ており、三河島駅の脇を通り、1896年開業という長い歴史を誇る隅田川貨物駅まで延びている。貨物列車と上下電車が3重衝突を起こし、160人の死者を出した1962年の三河島事故の舞台となった路線でもある。

残る東海道貨物線は少々複雑だ。起点となっていたのは、1914年に東京駅が開業したことに伴い汐留駅と名前を変えた旧新橋駅で、ここから品川駅までは旅客線の脇を走り、品川からは武蔵小杉付近を経由して鶴見に至る支線、通称・品鶴線を用意、鶴見―平塚間を複々線とした。品鶴線の途中には新鶴見操車場(現在は信号場)が置かれた。

戦後さらに拡大した貨物線

ここまでは1920年代に完成していたが、第2次大戦後になると今度は横浜駅を経由しない貨物線が計画され、1979年に横浜市羽沢を経由して東戸塚に至る通称・羽沢線が完成する。こちらには横浜羽沢貨物駅が作られた。


横浜羽沢駅付近を走る貨物列車=2014年(編集部撮影)


東海道貨物線の東京貨物ターミナル(撮影:尾形文繁)

この6年前には汐留駅が手狭になったことから、品川区八潮に東京貨物ターミナル駅を開設。浜松町からここに至った後、羽田空港脇や多摩川をトンネルで抜け、少し前に開業していた川崎貨物駅を経由し、南武線を経由して新鶴見につながるルートが開設された。

まもなく浜川崎から鶴見に至る短絡線も用意され、平塚―小田原間の複々線化も完了したので、旅客線を通らずに東京貨物ターミナル―小田原間を走破することが可能になっている。

東京23区内で現役の貨物線としてはもう1つ、通称・新金線もある。こちらは名前のとおり総武本線新小岩駅脇の信号場と常磐線金町駅をつないでおり、総武本線の支線扱いだ。最近は葛飾区が「不足する南北鉄道網の充実を図る」として、旅客化の検討を進めている。総武本線の貨物支線としては、亀戸付近から南に延びる越中島支線もあり、JR東日本各線にロングレールを配送する越中島貨物駅に到達する。


越中島支線を走るディーゼル機関車(撮影:梅谷秀司)

では湘南新宿ラインや埼京線などが貨物線を走るようになったのはどうしてか。きっかけとなったのが、戦後まもなく東京外環状線として計画された貨物線の一部として1973年に開通した武蔵野線だった。

この東京外環状線には、前述した東海道貨物線の東京貨物ターミナル―新鶴見間、その後開通した東京臨海高速鉄道りんかい線の東京テレポート―新木場間、京葉線の新木場―市川塩浜間も含まれる。東京テレポート―東京貨物ターミナル間も、すでにレールは敷かれている。りんかい線の車両基地が東京貨物ターミナルに隣接した場所にあるからだ。

武蔵野線開通が転機に

しかしながら計画から着工に至る間に貨物需要が減少し、武蔵野線の府中本町―南船橋間には電車も走るようになった。とはいえ貨物輸送のために東北本線や中央本線、常磐線をつなぐ短絡線は残されており、越谷、新座、梶ヶ谷に貨物ターミナル駅が作られた。


(筆者作図を基に編集部加工)

京葉線は旅客化に際して東京―新木場間を新たに建設。武蔵野線と接続する南船橋より東側が貨物兼用となっている。りんかい線は全線旅客専用になり、東京テレポートから天王洲アイル、大井町を経由して大崎に至る地下線が建設された。

ともあれ武蔵野線の開通で、首都圏の貨物列車の多くはこちらを経由することになった。そこで東海道・東北本線と山手線の貨物線に、旅客列車を走らせることが可能になったのである。いずれも貨物専用の線路ではあったがJR貨物ではなく、JR東日本の管轄だったことも、この判断を後押ししたはずだ。

まず1980年に横須賀線が東海道貨物線の品鶴線を使って湘南電車との分離を達成。6年後には東海道本線の湘南ライナーが羽沢貨物線経由で走り始めた。同じ年には池袋止まりだった埼京線が山手貨物線を走り新宿まで延伸。2001年には湘南新宿ラインが走り始め、翌年には埼京線が大崎からりんかい線と乗り入れを開始した。そして2019年、相模鉄道が羽沢貨物線との間の短絡線を完成させ、新宿乗り入れを達成したのである。

では、かつて都内にも数多くが存在した貨物駅はどうなったか。巣鴨駅など保線用車両のための留置線として面影を残している場所もあるが、多くは再開発の舞台になり、レールもホームも消えている。


新宿の貨物駅跡地には百貨店などの商業施設が建つ(筆者撮影)

品川の敷地は品川インターシティとして再開発されており、新宿の貨物駅があった場所は高島屋などが入るタイムズスクエアになった。南側がつぼまった独特のビル形状から、その昔貨物駅があったと想像できる。池袋貨物駅は、それまで2面4線だった旅客ホームを4面8線に増設するために使われた。

恵比寿駅は近くにあったサッポロビール工場からのビール輸送の拠点として作られた。現在工場跡地には恵比寿ガーデンプレイスがある。上野駅から貨物業務を分離すべく生まれた秋葉原駅の跡地は、地下につくばエクスプレスが乗り入れている。

山手線内では中央本線(当時は甲武鉄道)の始発駅として開業した飯田町駅が、その後旅客ターミナルを新宿駅に一元化するという方針により貨物専用駅になり、1999年まで営業を続けた。跡地はJR貨物が再開発を行い、ダイワハウス工業東京本社、JR東日本グループが運営するホテルメトロポリタンエドモントの新館などがある。

貨物線はこれからどうなる?

その結果現在、東京23区内に残る現役のJR貨物駅は、隅田川駅と越中島貨物駅、東京貨物ターミナル駅の3つのみだ。しかし、今後も貨物線を走る旅客列車が増え続けるとは限らない。むしろ逆の現象が起こるのではないかと考えている。


貨物線を使ってJRと相互直通運転する相鉄の車両(筆者撮影)

1つは新型コロナウイルスの影響でテレワークが進み、ただでさえ移動総量が減ったことに加え、東京都からの転出人口が転入人口を上回るという、少し前までの東京への一極集中が嘘のような状況になっていること。彼らの一部は湘南新宿ラインや相鉄線沿線の郊外に住むかもしれないが、週に1度程度の上京なら、長野県や栃木県の新幹線沿線への移住を考える人もいるだろう。

もう1つは政府が、2050年までに温室効果ガス排出を実質ゼロにすると発表したことだ。現在の日本のCO2排出量は約2割が輸送機器関連である。コロナ禍で移動は減ったが物流はむしろ増えており、現在のようなトラック主体の輸送では、電動化を積極的に進めても、目標達成は難しい。鉄道などへのモーダルシフトが肝になる。

現在、山手貨物線を走る貨物列車は1日に定期3本、臨時3本にすぎないが、今後は増加に転じていくかもしれない。