築地本願寺、「30万円合同墓」に予約殺到の理由
築地本願寺の「合同墓」はアクセス抜群、銀座での買い物帰りに立ち寄ることもできる(写真提供:築地本願寺)
400年の伝統がある築地本願寺が今、ビジネスモデルの大変革に取り組んでいる。「衰退産業」の中にあって、生き残りをかけてどのように変わりつつあるのか。
一例を挙げれば、新たなお墓のかたちとして、30万円からの「合同墓(ごうどうぼ)」を提案、「子どもに面倒をかけたくない」と考えるミドル、シニア層の予約が殺到している。元ビジネスマンから2015年に築地本願寺のトップに就任、数々の斬新な施策でテレビ番組「カンブリア宮殿」などでも注目され、このほど『築地本願寺の経営学』を上梓した安永雄彦氏が仏教界の常識を超えるマーケティングについて解説する。
子ども世代に面倒をかけたくない
築地本願寺の「顧客創造」のために取り組んだ改革案の1つに合同墓があります。価値観の多様化でとくに都市部の葬儀のあり方は変化しており、お墓もしかりです。先祖代々の寺があっても、遠方に住んでいてお参りに行きにくい人は大勢います。
私自身も東京出身ですが、わが安永家のお墓は福岡の博多にあります。「ちょっと死んだ親父に近況のご報告やお彼岸のご挨拶を」という具合にはなかなかいきません。
お墓はミドルやシニアの悩みごとの代表といっていい関心事でもあります。「次男だからお墓を買わなければいけないけれど、どうすればいいか」という人。「自分でお墓を用意しても、死後に誰がお墓の面倒を見てくれるのか」という人。また、お墓はいらないので「骨を海にまいてほしい」と海洋散骨を希望する人も珍しくなくなりました。今では、宇宙散骨も予約できるようになりました。
少子高齢化社会なのですから子どもが1人か2人の家庭は多く、仮にその子どもが独身で孫もいなければ、わずか数十年で誰もお参りをしてくれないお墓(無縁墓)になってしまいます。
どのお寺も永代供養(浄土真宗では先祖に対しては「供養」という言葉は使いませんが、ここでは一般的な用語として、お寺が永久にお墓を守り、お経をあげて個人を追悼することを意味しています)を引き受けていますが、それで人々の先行きの不安がすべて拭い去られるわけではありません。
さらに現代のミドルやシニアに共通するのは、「次の世代に迷惑をかけたくない」という気持ちです。自分できちんとお墓も用意して、準備万端で死を迎えたいと考えているから、余計に悩みが増えるのです。私自身、60代半ばでまさに「終活」を考える年代です。時代に寄り添う「これからのお墓」を提案しなければいけないと、ずっと考え続けていました。
新たなお墓のかたち「築地本願寺合同墓」
家族葬など葬儀が簡素化されても、人の死には儀式が必要で、葬儀への参加の代わりにお墓参りに行く人もいます。そう考えると、お墓は儀式を兼ねるものであり、誰もが立ち寄れるようにするには、便利な場所にあってしかるべきです。
その点、築地本願寺は首都圏の方々にはアクセスが抜群によい場所にあります。地元である築地はもちろん、銀座からすぐ近く、買い物帰りに立ち寄ることもできます。多くの人が求めている、「これからのお墓」が提案できる──そう考えて私たちが立案したのが、「合同墓」でした。いわばお墓のマンションで、誰もが気軽に訪れることができる、シンプルなお墓です。
新たなお墓のかたちとして提案する「合同墓」(写真提供:築地本願寺)
合同墓のプランを立てて実行する段階で、細かなマーケティング調査を一般の調査会社のインターネット・システムを使って行いました。いわゆる世論調査のようなものです。
一般的に寺院はその成り立ちからいって、「自分たちはありがたい教えを与える側」「仏様の教えをお取り次ぎさせていただく立場」という、いわば上から目線の意識が染みついていて、どうしても相手の立場に立って「何が求められているのか?」を慮る(おもんぱかる)ことが苦手です。
しかしそれでは、独りよがりな改革になり、人々の役に立つことも、喜んでもらうこともできません。ビジネスとして考えれば、プロダクトアウトの発想であり、大きな投資をして赤字がさらに膨らむという最悪の結果となるでしょう。
そこで私は「お寺もコーポレーション」という信念のもと、マーケティングをしっかりと取り入れました。合同墓についてのマーケティング調査はインターネットを使い、設問に答えてもらうかたちをとりました。
「有名なお寺が都心の好立地にお墓を建てるとして、あなたが入るなら普通の納骨堂、合同墓の納骨堂、どちらがいいですか?」
「合同墓に入るなら、いろいろな人のお骨と一緒になっても抵抗がありませんか? お骨は個別にしてほしいですか?」
西と東で違う! 合同墓のマーケティング
調査の結果、見えてきたのは明らかな地域性でした。東京の人はお骨が混ざることに抵抗感があり、関西では「いろいろな人のお骨と一緒になってもいい」と感じる人が多いのです。
理由は明確で、浄土真宗本願寺派の関西のお寺には、お墓がないところが少なくありません。それらのお寺の門徒は、昔から宗祖親鸞聖人のお墓がある京都の大谷本廟(ほんびょう)に合葬されてきました。また、大阪天王寺の一心寺は、合葬の寺として多くの方のお骨で「骨仏」をつくることで有名で、非常に多くの方が納骨されていることからも合葬が受け入れられている地域性がわかります。
付け加えると、骨壺のサイズも東と西で異なります。西のほうが小さく、東のおよそ半分。東はすべてのお骨を壺に納め、いちばん上に頭蓋骨を載せたりしますが、西は壺に入らないお骨は火葬場で廃棄処分にします。
築地本願寺は東京のお寺であり、多くの人がほかの人とお骨が混じる合葬に抵抗感があることから最終的に「ご遺骨はすべてお預かりし、パウダーにして個別のお骨袋に入れた状態で納骨堂に収蔵する」というかたちに落ち着きました。
合同墓と聞くと奇異に感じる人がいるかもしれませんが、実はすでに全国にあります。なぜなら、先祖代々のお墓でも納めるスペースには限度がある。お骨が多くなりすぎたら古いお骨を出し、どこのお寺にも必ずある合葬墓に入れるというやり方は昔も今も変わりません。
こう考えると時間が経てば誰もが合同墓で弔われるわけですし、もっと長期的な視点に立てばすべては土に還ります。その意味で私は個人的に、「亡き人を思うことに意味があり、お骨そのものにはさほど意味がないのではないか」と考えることもあります。宗派を問わずに「生前の意思」で受け付ける都市部にあるマンションタイプの「これからのお墓」(いわば「未来墓」)。築地本願寺の境内に、2017年11月に礼拝堂を備えた「築地本願寺合同墓」が創建されました。
前例のないコンセプトであるため、この合同墓をつくるにあたっては、寺院内で議論がありました。プロジェクトメンバーを中心に、マーケティング調査からデザイン、冥加金(みょうがきん=合同墓の契約金)に至るまで、多くの議論を重ねた結果として、スタートすることができました。
境内に建てられた納骨堂は、本堂やインフォメーションセンターとマッチする現代美術館のような趣ですが、内部には礼拝堂もあります。回廊に刻まれているのは、俗名にあたる「個人名」。合同墓への申し込み後、多くの方が、お参りして自分の名前を回廊で確認されています。
また、合同墓と一緒に、帰敬式(ききょうしき)を申し込まれて、仏様の弟子になった証しである「法名(ほうみょう)」を受けられる人もいます。ほかの宗派での戒名に当たる「法名」はその宗派の信者が授与されるものですから、生前に「法名がほしい」という場合、浄土真宗の門徒になる「帰敬式」を受けてもらい、この機会に築地本願寺の門信徒になっていただくのです。
築地本願寺の合同墓の大きな特徴は、「浄土真宗の教えや儀式を尊重いただければ、これまでの宗派を問わずに誰でも入れる」ということです。故人であっても申し込みは法名や戒名がわからなければ、俗名でもまったく問題はありません。これは「あらゆる人(衆生)を救う」という教義からくる浄土真宗のおおらかさ、非常に大きな特徴だと思います。
キリスト教やイスラム教は「異教徒お断り」が原則で、「自殺者は弔えない、同性愛を許さない」といった一神教特有の厳しさがありますが、それに比べると仏教はかなりゆるやかです。浄土真宗は仏教の中でもとくに間口が広い宗派といえます。
現代人の意思を尊重できる親鸞聖人の教え
親鸞聖人の言葉を集めた『歎異抄』に、有名な一節があります。
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」
たとえこの世で殺人を犯した者であっても、念仏を信じ称えていれば死後は浄土に導かれ、そこで阿弥陀如来が成仏させてくれるという教えとして理解されています(より正確には、ここで言う「悪人」とは、煩悩が多くて悟りが開けない人、「善人」とは自らの善で悟りを開こうとする人、という意味で、そのため阿弥陀仏の本願にまかせる思いに欠けてしまいます)。
誤解されやすいのですが、「殺人を許す」というニュアンスではありません。「殺人者は罪人である以前に、罪を犯さずにはいられないほどの煩悩を抱えた弱い人間。そんな人こそ救わなければいけない」という、阿弥陀如来の慈悲の深さを説いたものです。
阿弥陀如来は、そうした煩悩にとらわれた私たちすべてを残さずに救うと誓いを立てられて、とてつもなく長い時間修行されてその誓願を達成されて仏様になっているのです。したがって、この世で大きな罪を犯した人、殺人者でさえも必ずすくいとってくれることになります。
つまり、殺人者すら拒まないのですから、仏教のほかの宗派だろうと、異教徒だろうと、すべて受け入れる。築地本願寺は宗派からいってもすべての方を受け入れることができるお寺なのです。この大前提があるので、「生前、自分の意思で自分のお墓を決めたい」という現代人の意思を尊重することができます。
合同墓は、築地本願寺がある限り永遠のいわゆる「永代供養墓」(浄土真宗では供養という言葉は、使いませんが、永代にわたる法要を僧侶が営むという一般の用語でここでは永代供養と表現します)で、冥加金は30万円以上。現在のご契約数は1万人を超えており、テレビ東京の「カンブリア宮殿」をはじめ、さまざまなメディアに取り上げられたことで予約が殺到しています。
「環境変化に対応したものが生き残る」
私は当初「合同墓を始めたら、すぐ競合が出てくるだろう」と思っていました。東京だけでも“ブランド寺”はたくさんあります。有名な大企業とて倒産するのですから、そうした大きなお寺も、新たなニーズを創り出さなければいずれ危機を迎えるのは、築地本願寺と同じでしょう。しかし具体的な動きがないのは、やはりどこのお寺も「伝統に守られているから、自分たちは大丈夫だ」と信じ切っている、古い体質があるのかもしれません。
「冥加金30万円以上」の合同墓はすでに契約数(予約)が1万を超えている(写真提供:築地本願寺)
いっぽうでアクセスが便利な小さなお寺が同じことをすれば、そのお寺にとっても門徒にもプラスは大きいのではないでしょうか。従来型の墓所をつくるには土地の確保が大変ですし、管理にも手間がかかります。しかし限定されたスペースにまとまった合同墓であれば、人手が少ないお寺でも十分行き届いたかたちでお守りできます。
「環境変化に対応したものが生き残る」というダーウィンの適者生存の法則は、築地本願寺だけに当てはまるものではないと思うのです。