1995年に広島へ加入した久保竜彦は、若い頃は仲良くなった友だちと酒を飲み続けていたという。(C)J.LEAGUE PHOTOS

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 例えば1950〜60年代のプロ野球には、酒豪伝説がてんこもりだった。「青バット」で知られ、戦後の日本プロ野球が生んだスター第1号とも言われる名スラッガー・大下弘は徹夜で浴びるように酒を飲み、二日酔いでボールが何重にも見えたなかで7打数7安打という日本記録を作ったという。もっともこれは、のちの作り話だったという説もあるが、大下が酒好きで飲み歩いていたことは事実だった。
 
 サッカー選手も昔はよく酒を飲んでいたという話を聞くが、今の選手たちはほとんど、シーズン中は節制している。例えば佐藤寿人はワイン好きだが、楽しむのはシーズンが終わってからだとかつて話してくれた。現役時代の森粼和幸も森粼浩司も、シーズン中はほとんど酒をたしなまなかった。そもそもアルコールが好きではないという若手選手たちも増えている。世の流れである。
 さて、久保竜彦の話である。先日、彼にZOOMでインタビュー(スマートフォンも持っていない彼がZOOMを使えるとは驚きなのだが、どうやら娘さんのおかげらしい)したのだが、20時からのインタビューだったのに17時から晩酌をやってビールも飲んでいた。

 ただ、そのせいか、非常に口調は滑らか。現役時代の超絶無口ぶりから彼も成長し、今は素面でもしっかりと話してくれるのだが、酒が入ると昔も今も、よく喋ってくれる。適量であれば、アルコールも悪くはない。

 だが久保の場合、若い頃はそれこそ、記憶がなくなるまで飲んでいた。流川という広島の繁華街で何度も杯を傾け、仲良くなった友だちと飲み続け、寮の近くにあった寿司屋の2階で酔い潰れて、そのまま二日酔いで練習場に直行したこともあったという。

 実はこのお寿司屋の親父さんは、福岡の高校を卒業して広島にやってきた久保にとって父親代わりのような存在。寮から自転車で通える距離にあり、安くて美味しい魚料理が食べられるこの店は久保にとっては生活に欠かせない場所となっていた。

「タツはワシにとって3番目の息子」

 そう言って可愛がっていた店の親父さんがあまりに無軌道な久保の姿を見かねて、「ええかげんにせえっ」と若者に愛の鞭を振るったこともあるという。それでも、久保の破天荒ぶりは直らなかった。
 ただ面白いもので、無軌道極まりない生活を送っていたこの時期、彼はトップチームで活躍をし始めた。MFからFWに転向したことで、まるでアフリカの原野で育ったかのような身体能力が発揮されるようになり、2年目(96年)のナビスコカップで9試合4得点と足がかりを掴む。

 ヤンセン監督(当時)から期待された彼はリーグ戦でも常時ベンチ入りを果たし、C大阪戦ではプロ初得点を含む2ゴールでチームを勝利に導いた。誰が見ても分かる凄い素質。柏・ニカノール監督(当時)が「日本の宝になる」と称した大器をなんとしてでも大成させたい。

 動いたのは、今西和男総監督(当時)。Jリーグにおけるゼネラルマネジャーの先駆者とも言える指導者は、久保を成長させるには私生活の安定しかないと考え、彼にあることを勧めた。

 結婚である。
 実は久保には、高校時代から交際していた同級生の恋人の佳奈子さんがいた。彼自身、彼女との結婚も考えていたこともあり、総監督は「これだ」と考えた。当時、久保の両親も彼女の母親も「まだ早過ぎる」と結婚には反対していた。無理もない。

 ふたりともまだ20歳。久保はプロ3年目で、レギュラーポジションをようやく掴んだばかりの時だ。「もう少し、待った方がいい」。そう考えても無理はない。
 
 今西総監督は久保の両親に会い、「彼の素質は素晴らしい。結婚によって私生活が安定すれば、日本を代表する選手になれる」と説得した。この言葉が両親を動かし、流れは結婚へと傾いた。

 一方、佳奈子さんの母親に対しては、若いふたりが熱意を込めて説得。試合が終わってそこから佳奈子さんが住む福岡に戻り、「結婚させてください。お願いします」と毎週のように久保は願いを母に伝えた。その回数は10回を超え、ついに承諾を勝ち取った。
 
 98年7月20日、親戚とごく少数の友だちが集まっただけの小さな結婚式をあげ、ふたりは結婚した。その時を境に、まるで破滅に向かっているかのような酒に浸る日々は、なくなった。

 酒そのものを止めたわけではないが、ある程度は節度を保てるようになり、体調管理に気を使ってクーラーを控えるようにもなった。試合中にイライラして投げやりになることもなくなり、サッカーのビデオを食い入るように見て研究する姿を新妻は何度も目撃した。

 彼が初めて日本代表に選出されたのは、その年の10月。久保竜彦という若者の扉が未来に向けて大きく開き、その後の伝説を築いたのは、間違いなく「結婚」がきっかけだったのだ。

取材・文●中野和也(紫熊倶楽部)

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