地下鉄銀座線渋谷駅が明治通り上空に移設、リニューアルされます。これに伴い、現在の駅舎は81年の歴史に幕を下ろします。地下鉄ながら地上3階の商業ビルに入る不思議な光景も過去のものに。その歴史を振り返ります。

渋谷の地形ゆえ81年間変わらなかった立体構造

 1938(昭和13)年12月に開業し、長らく渋谷と都心の橋渡し役を担ってきた東京メトロ銀座線渋谷駅の現行ホームが、まもなく81年の歴史に幕を下ろします。現在のホームでの営業は12月27日(金)をもって終了。6日間の運休を伴う線路切替工事を行った後、2020年1月3日(金)から、複合施設「渋谷ヒカリエ」と「渋谷スクランブルスクエア」に隣接する明治通り上の新ホームで営業を再開する予定です。

 現在の銀座線渋谷駅をしっかり見納めるため、この駅の「謎」と「歴史」を振り返っておきましょう。


渋谷駅を発車する銀座線。東急百貨店東横店の西館のなかに駅がある(2014年7月、草町義和撮影)。

 銀座線渋谷駅のひとつ目の謎は、地下鉄でありながら地上に駅があることです。ひとつ手前の表参道駅は地下なのに、渋谷駅では地上12mのホームに到着するのはなぜなのでしょうか。

 その答えは、渋谷駅周辺の地形から見えてきます。隣り合う表参道と渋谷の標高を比較すると、表参道駅が海抜32.3mなのに対し、渋谷駅は海抜14.7m。渋谷の方が、土地が15m以上も低いことが分かります。表参道付近のトンネルは地下8mですから、そのまま渋谷方面に向かえば、自然と空中に飛び出てしまうというわけです。

 地上に飛び出た線路は高さをいかし、そのまま明治通りとJRの線路を乗り越え、東急百貨店東横店西館3階に設けられたホームに到着します。この立体構造は、基本的には81年前の開業時から変わっていません。

スペースがないなら新ビルのなかに駅を 東急の目論み

 ふたつ目の謎は、東京メトロの路線である銀座線のホームが、東急百貨店のなかにあることです。銀座線ホーム誕生の歴史には、東急グループと地下鉄の深い関係がありました。

 日本最古の地下鉄である銀座線は、浅草〜新橋間が「東京地下鉄道」、新橋〜渋谷間が「東京高速鉄道」という別の私鉄によって建設され、後にひとつの路線に統合された歴史があります。このうち東京高速鉄道は、東急グループの創業者である五島慶太が専務を務める、東急(当時は東京横浜電鉄)の関係会社でした。


解体工事が進む東急百貨店東横店東館(かつてのターミナルデパート「東横百貨店」)から出てきた銀座線(画像:写真AC)。

 東急の狙いは渋谷と都心の直通にありました。当時、東横線沿線から都心に通うには、渋谷駅で山手線か路面電車に乗り換える必要があり、ぐるりと遠回りをする山手線か、速度が遅い路面電車か、どちらも都心に到着するまで時間がかかるのが悩みでした。そこで都心に直通する地下鉄を建設することで、所要時間を大幅に短縮し、渋谷の利便性を劇的に改善しようと考えたのです。


銀座線渋谷駅の改札口を出ると、東急百貨店東横店の西館に直結する(2019年12月、枝久保達也撮影)。

 問題となったのはホームの設置場所でした。1934(昭和9年)にターミナルデパート「東横百貨店」(後の東急百貨店東横店の東館)を開業していた東京横浜電鉄は、地下鉄ホームと駅ビルと一体化させて、渋谷をさらに発展させたいと考えていました。しかし東横百貨店の敷地には、山手線と交差する地下鉄ホームを設置するスペースがありません。そこで、渋谷駅西口に計画されていた駅ビルのなかにホームを設置することにしました。

駅と百貨店を一体に 交通結節点「玉電ビル」から「東急会館」へ

 3つ目の謎は、この駅ビルは元々、渋谷駅を発着する路面電車を運行していた玉川電気鉄道(後に廃止・地下化され東急新玉川線となり、現在は田園都市線)が自社のターミナルビルとして計画した、「玉電ビルディング」だったということです。

 東京横浜電鉄にとって玉川電気鉄道は同じ渋谷を拠点とするライバルであり、玉電ビル計画は東横百貨店の脅威となりうる存在でした。そこで1936(昭和11)年、東京横浜電鉄は玉川電気鉄道を敵対的買収して傘下に収めると、玉電ビルの建設を自らの手で進めることにしたのです。


2020年3月に閉館する東急百貨店東横店の南館。背後の高層ビルは、2019年11月に開業した複合施設「渋谷スクランブルスクエア」(2019年7月、大藤碩哉撮影)。

 玉電ビルは1937(昭和12)年、地上7階、地下2階という当時としては画期的な規模で着工。その2階に玉川電気鉄道の渋谷駅、3階に東京高速鉄道の渋谷駅が入り、山手線の渋谷駅とも直結する交通結節点「ユニオンステーション(集合駅)」と名付けられました。
しかし、日中戦争の勃発により物資の統制が開始され、工事は4階でストップ。百貨店としての開発は頓挫してしまいます。戦争を生き延びた玉電ビルは、1954(昭和29)年に戦前の計画を上回る地上11階建てのビルに増築され、「東急会館(東急百貨店東横店西館)」に改称されました。

 1970(昭和45)年には西館の脇に南館が新築され、東急百貨店東横店は長らく、東館、西館、南館の3館体制で営業されました。しかし2013(平成25)年、再開発によって東館は解体。残る西館、南館も2020年3月末に閉館し、解体後は高層ビルに建て替わる予定です。

 銀座線渋谷駅に別れを告げに行く人は、銀座線とともに渋谷の街を盛り上げてきた、東急百貨店西館にも注目すると面白いかもしれません。