古坂大魔王がプロデュースする「ピコ太郎」。彼はなぜ日本だけじゃなく、世界でも評価されたのか?(写真:Jun Sato/getty)

平成も今日で終わる。この31年間、人気番組の終了や大物タレントの引退など、お笑い業界にもさまざまな変化があった。「PPAP」が世界的に注目を集めたピコ太郎の登場も、その1つ。

彼はいかにして世界中のハートをつかんだのか? 平成の世を駆け抜けたお笑い芸人の歴史と事件を振り返った『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)から、一部抜粋してお届けする。

日本人のエンターテイナーが世界中に知られるスーパースターになる。少し前まではそんな話は夢物語でしかなかった。日本人の歌手やパフォーマーが海外進出を目指した例はこれまでにもあるし、そのいくつかは結果を残している。ただ、文字どおりの意味で世界を席巻するほどの大成功を収めた人は存在していなかった。

2016年、ついに最初の成功例が現れた。ユーチューブで公開されたたった1本の動画が世界を動かした。日本のエンターテインメントが思わぬ形で世界に届いてしまった初めての例。「PPAP」の物語である。

動画は「再生回数2億回」を突破

2016年8月25日、「ピコ太郎」と名乗る男が自身のユーチューブチャンネルで「PPAP(Pen-Pineapple-Apple-Pen Official)ペンパイナッポーアッポーペン」という1本の動画を公開した。1分余りの短い動画の中で、ヒョウ柄の派手な衣装を身にまとったピコ太郎は、「ペンパイナッポーアッポーペン」という謎のフレーズを繰り返しながら音に合わせてリズミカルに踊る。

この動画は公開されるとすぐにSNSなどを通じて拡散していった。ジャスティン・ビーバーがお気に入りの動画として紹介すると、再生回数もさらに飛躍的に伸びていった。ユーチューブでは、世界中のミュージシャンや一般人がこの曲をカバーする動画も多数アップされており、関連動画を含めると再生回数は2億回を突破した。

この現象はCNN、BBCや『TIME』などの海外メディアでも取り上げられるほどのビッグウェーブとなった。日本でも中高生などの若い世代を中心に人気を博した。

10月7日には、この曲が世界134カ国で配信限定でリリースされた。アメリカの音楽チャート誌『ビルボード』の10月19日付シングルランキングでは77位にランクインした。この「ピコ太郎現象」がテレビなどで紹介される際には「ジャスティン・ビーバーに紹介されたのがきっかけ」と言われることが多い。もちろん間違いではないのだが、実はあの動画自体はそれ以前からネットの口コミでじわじわと世界に広まっていた。

最初のきっかけと言えるのは、動画コミュニティーアプリの「MixChannel」である。ここで人気を博していた「まこみな」や「りかりこ」などの双子の女子高生が、PPAPのダンスをまねる動画を公開した。これをまねする人も相次いでいた。

それが世界的に有名な画像投稿サイト「9GAG」で紹介され、フェイスブックを通して広まった。それを受けて、海外でも「PPAP」のメタルバージョン、バラードバージョンなどの動画が制作されて、ユーチューブで公開された。これらはすべてジャスティンが紹介する前に起こっていることだ。

これだけの下地があったうえで、ジャスティンがウェブで話題になっていた「PPAP」の存在を知った。それを面白がってツイッターで紹介したことで、拡散にますます拍車がかかったのである。

「PPAP」の音楽としての魅力

仕掛け人であるピコ太郎のプロデュースを手がける古坂大魔王は、動画をアップしたときにこれほどの反響があるとは想像もしていなかった。ただ、結果的にこれだけ広まった理由は、「PPAP」が世界中の誰にでも理解できる単純な英語で構成されていたということ。そして、芸人がやるような「リズムネタ」という枠を超えて、世界に通用するキャッチーな音楽性があったということだ。

世界中で受け入れられると予想していなかったとはいえ、そうなってもおかしくないだけの音楽としての完成度の高さがあった。そこが重要だったのだ。

古坂大魔王はもともと芸人として「底抜けAIR-LINE」というコンビ(初期はトリオ)で活動していた。当時から音楽とダンスにはこだわりがあり、ネタの中に自作の音楽や派手な動きを取り入れていた。底抜けAIR-LINEが解散してからは、古坂はミュージシャンに転身。その後、芸人としての活動も再開して、二足のわらじを履くことになった。笑いと音楽を融合させて独自の世界を作り出す古坂の芸風は唯一無二のものだった。

2017年3月19日放送の『関ジャム 完全燃SHOW』(テレビ朝日系)の中で、古坂はピコ太郎の音の秘密を赤裸々に語っていた。

「PPAP」のテンポは「BPM(1分間の拍数)136」である。これは「マヌケさ」が醸し出されるテンポなのだという。例えば、小島よしおの「そんなの関係ねえ」はBPM128。どぶろっくの「もしかしてだけど」はBPM124。コミカルな歌ネタとして世間で人気を博すのは、BPM120〜140ぐらいのテンポの曲が多い。なぜなら、これが笑いを誘うために最適な「マヌケさ」を醸し出すテンポだからだ。

また、曲の冒頭に出てくる音にもこだわった。ここで古坂は古い電子楽器「TR-808」に入っているカウベルの音を使っていた。この音が何とも言えないマヌケさがあって気に入っていたからだ。

さらに、携帯電話で聴くことを前提にした音作りにもこだわった。携帯電話はスピーカーの性能が貧弱なため、どうしても音にひずみ(ディストーション)が出てしまう。だから、聴くときにそれが出てしまっても曲のクオリティーが落ちないように、初めから聴きやすい程度のディストーションをかけた音を作った。

そのほかにも「マヌケさを出すためにリズム音を変化させずループさせる」「曲に疾走感を出すために部分的にハイハットの音を抜く」など、この番組で古坂は「PPAP」を作るときの音楽的なこだわりについて詳細に語った。

「面白い」以外の魅力

音楽としてのクオリティーも高かったからこそ、世界中の人々にその魅力が伝わったのである。ただ面白いだけの楽曲だったなら、その動画がここまで拡散することはなかっただろう。

聴いていて心地よい音。そして、ただ心地よいだけでなく、どこかマヌケさがあって面白い音。音で笑いを作るプロである古坂だからこそ、「PPAP」を生み出すことができたのだ。

くりぃむしちゅーなど、同世代の芸人たちはみんな口をそろえて古坂のことを「天才」だと太鼓判を押してきた。しかし、「楽屋にいるときがいちばん面白い」「テレビではよさを発揮できない」などとも言われてきた。古坂のネタや芸風は、いわゆる漫才やコントといった伝統的なお笑いネタの枠には収まりきらないものだったため、そこではなかなか認められなかった。

芸人は、ネタ番組では「ネタ」が求められ、バラエティー番組では「キャラ」が求められる。ネタの面白さが認められて世に出た芸人のうち、愛されるキャラを持っている人だけがテレビタレントとして次のステージに進むことができる。

古坂はマルチな才能を持った天才的な人間だったが、その才能はここ20年ほどのテレビバラエティーの文脈には乗らないものだった。芸人はテレビで売れなければ「売れた」と認めてはもらえない。そのため、古坂は雌伏の時を過ごしていた。

ピコ太郎がお笑い界に見せた「希望」

だが、ここ数年、状況がガラッと変わった。インターネット環境が激変して、動画サイトが乱立。若い世代を中心に動画サイトの支持者が増え、そこから新たなスターやブームが生まれる土壌ができてきた。

ネット上でウケるネタには、構成も伏線もフリ・オチも要らない。その場のノリが重視され、短い時間で気軽に楽しめることが重要だ。ノリのよさを売りにして、短い時間で伝わるネタを追求してきた古坂は、ここへ来てようやく時代の波に乗ることができた。


言葉の面白さを掘り下げてきた従来の日本のお笑いは、独自の高みに達しているが、言葉の壁があるので海外進出とは相性が悪い。古坂は音楽を武器にその壁をやすやすと乗り越えていった。

彼はピコ太郎というプロジェクトを通して「日本の芸人が海外で通用するのか?」という昔からある問いに1つの答えを出した。もちろん、やり方次第では通用するのである。

平成が終わる頃にようやく示された「PPAP」という1つの希望。それは、日本の芸能界やお笑い界に風穴を開けて、世界への道を切り開くものだった。