写真:関根孝

“アスリート下着”の分野で起きた革命

スポーツトレーナー、栄養士、マネージャーやサポーターなど。様々な形でアスリートを支える人がいますが、自らを「パンツ屋」と名乗るログイン株式会社 代表取締役社長の野木志郎さんは「パンツ」でアスリートを支えます

「アスリート界の下着に革命を起こした男」として、テレビでも取り上げられている野木さんが開発した「包帯パンツ」は、一度聞いたら忘れられないインパクトある名前ですが、現在日本のみならず世界の多くのアスリートやセレブリティが愛用するもので、口コミと履き心地の良さから、高額にも関わらず有名百貨店でもベストセラーの大ヒットパンツとなっています。

 

写真提供:ログイン株式会社

アスリートのためのパンツを作り始めるきっかけを尋ねたところ、「親父が大手下着メーカーの下請けを長年やっていましたが、あまり興味がなくサラリーマンをしていました。きっかけは2002年のサッカーの日韓W杯です。2002年に親父の工場に転職した際、日韓W杯の日本対ロシア戦での稲本選手のゴールに感動し、感動を与えてくれた選手に何か恩返しがしたいと、世界一のパンツを作ることを決意しました」と話してくれました。

アスリートのために世界一のパンツを作ることを決意した野木さんは、1,000枚以上のパンツを買い込み研究に没頭する日々を過ごしたそうです。そして、ものづくりに徹底的にこだわり、編み→染め→裁ち→縫いと日本の匠たちの技術により、伸縮性と機能性に優れ、またアスリートの大敵である汗にも打ち勝つ高い通気性を持つ包帯生地の新素材「HOHTAI®」を4年かけて開発します。

「W杯のチケットをくれた人がスポーツマネージメントをやっている会社の方だったので、その方に包帯パンツを誰か渡せる人はいないか相談したところ、紹介されたのがサッカーの元日本代表で解説者の水沼貴史さんでした。水沼さんにまず4枚渡したところ、気に入ってくれて、自信を持つことができました。その後も、多くの方に渡してくれました。とにかく人の紹介、繋がりで多くのアスリートに渡すことができましたね。格闘家のニコラス・ペタスさんも大勢の人を紹介してくれました。」

完成後、伝を頼ってアスリートたちの手に届けてはいましたが、最初から順調だったわけではなかったといいます。「包帯パンツが完成した際には、ユナイテッドアローズの重松会長(当時)に直接売り込みに行きました。素材に関しては気に入ってもらえましたが、デザイン面ではダメ出しをされました。それでもアドバイスももらい、2007年にユナイテッドアローズに置いてもらえることになりました。その翌年には伊勢丹に置いてもらうこともできましたが、最初はなかなか売れませんでした。転機は2008年に作ったサムライ(甲冑)パンツですね」と、包帯パンツが世に知られることになったきっかけを教えてくれました。

写真提供:ログイン株式会社

マドンナのツアーでも採用されたパンツ

2006年の紅白歌合戦でDJ OZMAが物議を呼ぶパンツを履いて出演したことをきっかけに、巷で可愛いメンズのプリントパンツがたくさん売られているのを見て、「男がこんな可愛いパンツを履くか?」と違和感を感じ、大事な商談や試合といった大勝負の際に履く「男の勝負下着」をと開発に着手します。そして完成したのが織田信長や徳川家康など、戦国武将が身に着けていた甲冑をイメージした甲冑パンツで、世界的にも高い注目を浴び、2015年にはマドンナのワールドツアーでのダンサー衣装としても採用されました。

画期的な商品を生み出す野木さんらしく、甲冑パンツの発表会も意外な場所で発表会を行いました。「渋谷の東郷神社で行った発表会が色々なメディアで記事にしてもらうことができましたが、そのうちのひとつが偶然巨人の高橋尚成投手の目にとまり、『開幕に履きたい!』と記者を通して連絡をもらいました。それまで野球用のパンツを作ったことはなかったので、これでいいか履いてみてくださいとサンプルを渡し、改善点を指摘してもらい、当時作っていた全6武将のパンツを2枚ずつ渡したところ、高橋投手が自分だけではなく、先発メンバーにもプレゼントしてくれて、偶然、連戦連勝だったんです。結局、そのシーズン巨人は優勝。スポーツ新聞が取り上げてくれたこともあり、そこからプロ野球関係に一気に広がりました。それと同時にサッカー関係にも広がりました」

写真提供:ログイン株式会社

現役サッカー選手を引退後に野木さんの元で働いた経験がある長谷川太郎さん(柏レイソルやアルビレックス新潟でプレーし、2003年に移籍したヴァンフォーレ甲府ではJ2日本人得点王となりJ1昇格に貢献するなど活躍)は、野木さんについて、「2014年インドでプレーしサッカー選手を引退した後、知り合いを通じてログイン株式会社に入社させて頂きました。野木さんは私にとってセカンドキャリアの恩師です。曲がった事が嫌いで、こだわりがある。厳しく、そして温かい方です。ストライカー育成を決断し退社する際も『応援するからお前らしく頑張れ!』と背中を押してくれ、今では活動のサポートまでして頂いております」と話してくれました。

長谷川さんが話してくれたように、野木さんは徹底したこだわりで、アスリートたちから出る要望に応える商品を作り、野球、サッカー、ハンドボール、テニス、格闘技、カーレースといった多く競技のアスリートが包帯パンツを愛用するようになりました。

競技専用の下着作りにも着手中

今取り組んでいるもののひとつがラグビー専用パンツです。ラグビーはポジションによって、選手の体型や動きも大きく変わります。それについては、「基本の形は極めているつもりなので、少しずつ変えて、全ポジションの選手に合ったものを作ることができると思っています」と話してくれましたが、一部の選手から出たある要望には少なからず迷われたようです。

「うちのパンツはまるで履いていないような、しめつけがないことが特徴ですが、競技中用にコンプレッション(圧迫、いわゆる着圧)が欲しいとの要望がありました。うちの本来のコンセプトとは真逆ですが、スポーツアスリートを応援する以上、コンプレッションは必要だと思い開発を決めました」

開発を決めた野木さんが着目したのが女性のヒップを強力にサポートしてくれるガードルでした。

「あるレディースのガードルを作っているメーカーの世界に一台しかないという機械を探し出し、事情を説明したところ、『面白い』と言ってもらえて、共同開発という形でその機械を使わせてもらえることになりました。時代に逆行したローゲージという粗い編み機(包帯と同じくらい)なので、太いパワーのあるスパンデックス(ゴム)を入れることができ、パワーがある、粗い包帯のような生地を編むことができるんです」

コンプレッションを兼ね備えた新しいパンツはアスリート界の下着にさらなる革新を起こしてくれそうです。

創業から10年。創業した際に思い描いた10年後の目標はクリアできたかお聞きしたところ、「全然、まだまだです。従業員も4人の小さい会社なので、チーム契約ができません。アスリートもトップの選手になればなるほど、大手メーカーとの契約があるので、そこらへんは難しいですね。ラグビーW杯、東京五輪とこれからまたビッグマネーが絡むので、簡単ではありませんが、選手が良いと喜んでもらえるものを作り、提供し続けていけたらいいと思っています」と話してくれました。

2002年の日韓サッカーW杯での稲本 潤一選手のゴールに感動して始めた野木さんのアスリートのためのパンツ作り。徹底したこだわりと情熱で、常に満足することなく日々開発を続けられており、今後の新作も楽しみです。