6節・湘南戦で貴重な先制点を挙げた津田(17番)。プロ14年目にして初のJ1でのゴールだった。((C)J.LEAGUE PHOTOS

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「最初は左膝に当たって、そのあとはよく覚えていない。一度GKに撥ね返されたんですか? 気がついたら身体で押し込んでいた。でも、変に綺麗に決まるゴールよりも、ああいう得点のほうが自分らしかったんじゃないかと思いますよ。自分は”気持ちだけ”なんで」
 
 湘南戦の開始5分。ショートコーナーから逆サイドに来たボールを泥臭く押し込んだ先制点は、甲府のプロ14年目、35歳6か月となるDF津田琢磨にとってのJ1初ゴールだった。
 
 実は、この35歳6か月でのJ1初ゴール達成は、あのラモス瑠偉(岐阜監督)の36歳5か月に次ぐ、日本人2位となる年長記録。

 そのことを取材陣から告げられると「ジーコさんやラモスさんの名前が並んでいるような記録の間に入るなんて。あまりに申し訳ないんで。そこはそっとしておいてください」と恐縮しきりだったのだが、それも無理はないほど、きらびやかなスポットライトとは縁遠いキャリアを送ってきた。
 
 埼玉・花咲徳栄高から進学した、当時の帝京大のサッカー部は「監督不在で、練習後にクーラーボックスを開けると、缶ビールが冷やしてあった」ような状態。サッカーを辞めようと思ったこともあった。
 
 だが、大学2年の時、のちに帝京高や鹿島学園のサッカー部監督を務める広瀬龍氏が、帝京大サッカー部の監督に就任。さらなる高みを目指す転機になった。
 
 就職活動真っ只中の4年生の時には「大手スポーツメーカーの最終面接と同じ日にぶつかった」J2甲府の入団テストを迷わず受験。這い上がるようにプロ入りに漕ぎつけてみせる。
 
 ただ、入団2年目の04年シーズンこそCB、SBのポジションを掴んでいたのだが、翌シーズン途中に右足首を骨折。慢性的な腰痛もあって、出場機会は激減していく。07シーズン終了後、甲府の契約は更新されず。合同セレクションを経て愛媛に移籍した。その年7月には、DF陣に怪我人が相次いでいた甲府に復帰するのだが、プロ入りしてからも順風満帆に過ごせたシーズンは、ほとんどなかった。
 
 それでも「誰にでもできることを、誰にも真似のできないくらいにやる」と心に決めて、常に最善の準備を怠らない。全体練習の前後には入念なストレッチ、みずから創意工夫した体幹トレーニングを1日も欠かさず続け、予定されていた先発メンバーが急なアクシデントで欠場を余儀なくされた時、その穴をサラリと埋めてみせたことは一度や二度ではない。