トレードマークのパンチパーマもビジネス用だと割り切る鼠先輩にとって芸人とは…

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ミュージシャンを目指したはずが、気付けば芸能界で一発屋芸人となっていた鼠(ねずみ)先輩。自身も「冗談みたいな人生」という彼が歩んだ数奇な人生とはーー。

―そもそも鼠先輩は歌手ですか? 芸人ですか?

鼠先輩(以下、鼠) 自分でもわからないです。歌手でデビューしましたけど、歌番組とかほとんど出たことありませんから。グレーゾーンです。鼠だけに。

将来はミュージシャンになりたくて、中学生の頃からずっとバンドをやっていたんです。高校にも行きましたけど2年生の時に辞めて、海外を放浪しました。グアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドル、インド、ネパール…。物価の安い所を中心に。一応、名目は音楽の勉強だったけど、本当は人生から逃げたかったのかもしれませんね。そんな生活を6年くらい続けてました。

それで、日本に戻ってきて25歳くらいの時、本格的にミュージシャンを目指して上京したんです。バンドメンバー募集のチラシを見つけては参加するんですけど、なかなかうまくいきませんでしたね。だから、30歳になった時に、もうミュージシャンは諦めて「マジメに働こう」と決意しました。結婚もしてましたし。そして、アダルトビデオの会社に就職。アダルトビデオの会社がマジメなのかどうかわかりませんけど。

その頃、小遣い稼ぎにアイドルみたいな人たちを集めて小さなイベントをやっていたんです。パンチパーマにサングラス、スーツという、この格好で。それで自分で作った『六本木〜ギロッポン〜』を歌っていました。

プロになる気はまったくなかったので趣味ですよね。だから、お客さんを楽しませるためにふざけた格好をして、ふざけた曲を歌ってたんです。ポッポッポッって…。

―何かが吹っ切れたんですか?

 そうですね。「歌をうまく聞かせてやろう」とか「売れてやろう」というのはなくなってました。とにかく、「楽しませてやろう」だけです。遊び心しか残ってませんでした。

すると、そのイベントを見ていた音楽関係者から「プロでやってみませんか」ってスカウトされたんです。

―で、デビューですか?

 いや、断りました。嫁も子供もいるし、一発屋で終わるのもわかってましたから。でも、その人はその後もずっとイベントを見に来てくれて、2年ほど声をかけ続けてくれたんです。それで「冗談みたいな俺の人生だし、やってみるのもいいのかな」と思ったんです。それが35歳の時です。

―じゃあ、初めから一発屋狙いで?

 そうですね。ホームラン狙いの大振りです。だから、売れてもブームがすぐに終わることはわかってました。今は新宿でバーをやっているんです。そうしなきゃ、家族を養っていけませんから。というか、それしかできないですよね。一発屋で売れちゃうと潰(つぶ)しが利かないから。

このパンチパーマだって、ビジネスパンチです。本当はサラサラの髪の毛に憧れてます。もし仕事で罰ゲームでパンチをやめろということになったら喜んでやりますよ。バリカンでウィーンって刈られてもいいです。だって、そういうのって楽しいじゃないですか。

そんな遊び心を持ちつつ、一方で冷静に自分を見つめるのが何かを作る上では大事なのかなって思ってます。

(取材・文/村上隆保 撮影/本田雄士)