出鼻くじく?“新生”代表の逮捕劇
「新生ライブドア」の代表取締役、熊谷史人容疑者(28)が22日、証券取引法違反の容疑で東京地検特捜部に逮捕された。一連の証取法違反事件で、同日に再逮捕された堀江貴文前社長ら3容疑者=同法違反の罪で13日に起訴=が取締役を辞任、熊谷容疑者の逮捕で同社に残された取締役は、羽田寛氏と山崎徳之氏(新代表取締役)の2人のみになった。
商法255条は株式会社に必要最低限な取締役数を3人以上と定めており、ライブドアは、熊谷容疑者の拘置で取締役会を開けない異例の事態に陥った。同容疑者の取締役辞任は避けられない情勢となり、同社は商法258条などで規定されている「仮取締役」の選任などを視野に、“経営機能停止”を打開するための検討に入った。
「ライブドアを世界一の会社にしよー!!」。特捜部による強制捜査から4日後の1月20日、事件への対応に追われる幹部らが社内を忙しそうに行き来する中、熊谷容疑者は全社員に宛てたメールでこう切り出した。報道で伝えられる自らへの嫌疑に対しても否定。「2002年1月に入社以来、堀江さんに惚れ、宮内さんに惚れ、中村さんに惚れ、野口さんに惚れ、ライブドアの雰囲気が大好きで、大好きで、そのほかにも、いろいろな方々の支援・協力をいただきながら、ライブドアがいい会社になるために、今まで全力で頑張ってきました」と、後に逮捕される幹部らの名を挙げながら会社への想いを書きつづった。
ライブドアがニッポン放送株の取得に動いた2005年2月8日。堀江前社長は六本木ヒルズ(東京都港区)で行われた記者会見で、立会外取引で同放送株を大量取得し、保有比率が35%超に達したことを明らかにし、「インターネットと放送の融合」を高らかに掲げた。堀江前社長の隣には、800億円の資金調達に活用したMSCB(転換価額修正条項付き転換社債型新株予約権付社債)について淡々と説明する20代の“最年少役員”、熊谷容疑者の姿があった。その後は、フジテレビジョンとの提携協議にも最前線に立ち、日本経団連など経済3団体が年始に開いたパーティーでは同社を代表して奥田碩会長と挨拶を交わすなど活躍も目立った。
熊谷容疑者は、00年に横浜市立大学を卒業した後、1998年に設立されたばかりの未来証券に入社。投資家から集めた資金で投資事業組合を組成し、ベンチャー企業に投資する「プライベートイクイティ投資」を売りとする同証券での経験を生かし、02年にライブドア(当時オン・ザ・エッヂ)へ移籍した。入社後、半年で経営企画管理担当の執行役員副社長に昇進。04年2月には“前代未聞”といわれた株式100分割を手がけ、最高財務責任者だった宮内亮治前取締役とともに拡大路線を進める堀江前社長を支えてきた。
その後、堀江前社長ら幹部の逮捕を受け、1月24日付で代表取締役に就任。同日行われた就任記者会見では、就任理由について「(残された取締役3人のうち)常勤役員は私しかいない。自動的に私が就任した」と説明。報道陣からは、事件への関与や主導した株式分割についての質問が熊谷容疑者に向けられたが、多くはノーコメントを通した。ライブドアが証券取引法違反の罪で起訴された13日の会見では熊谷容疑者が欠席したことに、平松庚三社長は「熊谷は今、捜査に協力するため、霞ヶ関(東京地検)にいる」と説明した。
2月15日昼、六本木ヒルズ38階のライブドア本社で、平松社長は、集まった社員約500人に対し、起訴の事実を報告した。椅子の上に立った同社長が社員の質問にひとつひとつ答えた後、熊谷容疑者も同じ椅子に立ち「いまだに基本的には、法律を犯そうと思ってやったつもりもない」と、地検の聴取で伝えている“真意”について言及。「皆さんのことを見捨てることはないし、私が途中で投げ出すことは一切ない。今日から大変だと思うが、全社員一丸となって頑張ろう」と呼びかけた。
「とりあえず、今は断るように広報にいわれていますので、ちょっと待ってください。言いたいことは山ほどあるんですがね・・・」。逮捕4日前の2月17日深夜、ライブドア・ニュースの取材の申し入れに対し、熊谷容疑者は短いメールで答えた。逮捕前々日、記者が同容疑者に直接インタビューを求めると「まだ、まだ早い」とかわされ、その後も回答は得られなかった。
熊谷容疑者は、2月14日、再び全社メールでのやりとりで「技術のライブドア。それ誇りだしね。NO.1の技術集団で、アイディアもNO.1で、楽しさもNO.1。自由に自分の意見をいえる企業文化を残しましょ!」と、かつての「世界一」という文言から一歩進んだ会社の具体像を書き残した。24日の「新生ライブドア」経営戦略発表に向けた調整が大詰めを迎える中で、トップの逮捕に至った。【了】
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熊谷容疑者は、00年に横浜市立大学を卒業した後、1998年に設立されたばかりの未来証券に入社。投資家から集めた資金で投資事業組合を組成し、ベンチャー企業に投資する「プライベートイクイティ投資」を売りとする同証券での経験を生かし、02年にライブドア(当時オン・ザ・エッヂ)へ移籍した。入社後、半年で経営企画管理担当の執行役員副社長に昇進。04年2月には“前代未聞”といわれた株式100分割を手がけ、最高財務責任者だった宮内亮治前取締役とともに拡大路線を進める堀江前社長を支えてきた。
その後、堀江前社長ら幹部の逮捕を受け、1月24日付で代表取締役に就任。同日行われた就任記者会見では、就任理由について「(残された取締役3人のうち)常勤役員は私しかいない。自動的に私が就任した」と説明。報道陣からは、事件への関与や主導した株式分割についての質問が熊谷容疑者に向けられたが、多くはノーコメントを通した。ライブドアが証券取引法違反の罪で起訴された13日の会見では熊谷容疑者が欠席したことに、平松庚三社長は「熊谷は今、捜査に協力するため、霞ヶ関(東京地検)にいる」と説明した。
2月15日昼、六本木ヒルズ38階のライブドア本社で、平松社長は、集まった社員約500人に対し、起訴の事実を報告した。椅子の上に立った同社長が社員の質問にひとつひとつ答えた後、熊谷容疑者も同じ椅子に立ち「いまだに基本的には、法律を犯そうと思ってやったつもりもない」と、地検の聴取で伝えている“真意”について言及。「皆さんのことを見捨てることはないし、私が途中で投げ出すことは一切ない。今日から大変だと思うが、全社員一丸となって頑張ろう」と呼びかけた。
「とりあえず、今は断るように広報にいわれていますので、ちょっと待ってください。言いたいことは山ほどあるんですがね・・・」。逮捕4日前の2月17日深夜、ライブドア・ニュースの取材の申し入れに対し、熊谷容疑者は短いメールで答えた。逮捕前々日、記者が同容疑者に直接インタビューを求めると「まだ、まだ早い」とかわされ、その後も回答は得られなかった。
熊谷容疑者は、2月14日、再び全社メールでのやりとりで「技術のライブドア。それ誇りだしね。NO.1の技術集団で、アイディアもNO.1で、楽しさもNO.1。自由に自分の意見をいえる企業文化を残しましょ!」と、かつての「世界一」という文言から一歩進んだ会社の具体像を書き残した。24日の「新生ライブドア」経営戦略発表に向けた調整が大詰めを迎える中で、トップの逮捕に至った。【了】
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