米テキサス・レンジャーズダルビッシュ有が現地時間2日、あと打者1人で完全試合の快挙を逃した。

 ダルビッシュは対ヒューストン・アストロズ戦で、今季初登板。8回まで14奪三振を奪い、迎えた最終回も2死までたどり着いたが、そこからマーウィン・ゴンザレスセンター前ヒットを許した。
 試合は7対0でレンジャーズが勝利。ダルビッシュは8回2/3を投げ、14奪三振、無失点で勝利投手になったものの、試合後にはツイッターで「あと一人て。。なんでやねん!!」とつぶやいた。

 完全試合ノーヒット・ノーランに関する暗黙の了解で、最も有名なのは、「達成されるまで、誰もそのことを口にしてはならない」だろう。
 投手や野手の平常心を保つためだが、選手だけではなく、監督、コーチ、はてはアナウンサーまでも、その言葉を口にしてはいけない。得てして、口にしたとたん、快挙は費える。

 ダルビッシュによると、この試合でもチームメイトは5回ぐらいから、ベンチでダルビッシュを避けるようになった。もちろん、余計な事を言ってダルビッシュにプレッシャーを与えないためだ。
 チームメイトの態度にダルビッシュは快挙を意識し始めたが、その後もいたって自然体だった。

 ところが、アナウンサーが暗黙の了解を破ってしまった。回が進み、快挙達成が現実味を帯びる中、「もし完全試合が達成されれば、レンジャーズのファンはもちろん、アストロズのファンにとっても、この試合は忘れられないものになるでしょう」と、禁句を口にしてしまった。
 
 たしかに、メディアは最近、このルールを無視する傾向にある。以前は、ノーヒット・ノーランを「まだヒットを浴びていない」などと言い換えていたが、今は視聴者をひきつけるため、タブーを犯すことに抵抗はない。
 シアトル・マリナーズの専属アナウンサー、デイブ・シムズは2007年4月、対ボストン・レッドソックス戦でフェリックス・ヘルナンデスの快挙が目前に迫ると、平然とノーヒット・ノーランを口にした。
 同僚のアナウンサー、デイブ・ニーハウスも、50年間以上のアナウンサー人生の中で、「ノーヒット・ノーランの可能性を13、14度、視聴者に伝えてきた」と振り返っている。

 アナウンサーがルールを破ることに、視聴者からはクレームが寄せられたが、シムズは「クラブハウスやベンチでタブーを守るのには、それなりの理由がある。だが、私の仕事は試合で何が起きているかを視聴者に伝えることだ。打たれたら打たれたと言うし、ノーヒット・ノーランになりそうなら、そう伝えなくてはならない」と反論した。
 ニーハウスも「試合の5、6回になれば必ず視聴者に、歴史的瞬間に立ち会えるかもしれないことを伝える。視聴者の怒りの声は受け止める。実際、必ず怒りを買うが」と、ジョークを混じえながらもシムズに賛同している。

 だが、そんなシムズ、ニーハウスのアナウンサー哲学も、ニューヨーク・メッツには受け入れ難い。メッツにとって長年、ノーヒット・ノーランは「される側」。球団史上初の快挙は2012年6月のヨハン・サンタナだが、ノーヒッターの誕生は球団創設からほぼ半世紀も要した。

 メッツに優秀な投手がいなかわったわけではない。ウォーレン・スパーンは1973年、トム・シーバーは1992年に殿堂入りを果たしたし、ドワイド・グッデンブレット・セイバーヘイゲンデービッド・コーンといったオールスター投手もいたが、彼らはみな、メッツを出た後に快挙を成し遂げている。
 日本人投手では野茂英雄がメッツに在籍したことがあるが、メッツ以前のロサンゼルス・ドジャーズ、メッツ後のレッドソックスで快挙を達成した。

 さらにメッツには、被安打1本の試合が20試合近くもある。前出のシーバーは、1969年の対シカゴ・カブス戦で、9回1死まで完全試合ペースだったが、ジミー・クオルズのシングルヒットで偉業を阻止された。

 また、サンタナが球団初のノーヒット・ノーランを成し遂げたが、完全試合はまだ無い

 このことについて、リンジー・ネルソンの呪いが囁かれている。ネルソンは長年、メッツでアナウンサーを務めていたが、やはり禁句を口にしてしまった。それどころか、「放送席の私の言葉がグラウンドで起きていることに影響を与えているのなら、もっとたっぷり給料をもらっているはずだ」とうそぶいた。
 この一言が野球の神様の逆鱗に触れたのか、メッツはいまだ、完全試合に縁が無い。

 やはり、暗黙の了解は守らなくてはいけない。