市民グループ側のひとりとして同席した小熊英二教授。面識のあった菅前首相を通じて面会を打診したという

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首相がデモ集団の代表と会って、じかに話を聞く―。

日本ではあり得ないとされていたシーンだ。首相たるもの、財界や大労組のトップとヒザを突き合わせることはあっても、軽々しく一介の市民グループ、それもデモ集団の代表などと会ってはならないとされてきたからだ。

ところが8月22日、その異例とも思える光景が現実となったからビックリ! 毎週金曜日、首相官邸前で反原発を訴える市民グループ「首都圏反原発連合」(以下、反原連)の代表者ら11名と、野田佳彦首相が会談したのだ。

いったい、どんなマジックを駆使して、反原発グループは野田首相との会談を実現したのか? 仲介役と目され、会談にも同席した小熊英二・慶應義塾大学教授(社会学)を直撃した。

―双方の仲介をしたのは小熊教授とか。事実ですか?

「はい。事実ですよ」

―野田首相は当初、反原発グループとの会談に否定的だったはず。どんなタフな交渉の末、野田首相にウンと言わせた?

「みんな同じような質問をしますね(苦笑)。私が陰のフィクサーだとか、特別なコネを使ったとかは一切ない。連絡と調整をしただけです。市民の声があまりに大きくなったから、官邸も応じざるを得なくなったということです。それを率直に認められない人が裏を探りたがるのでしょう」

―誰かと秘密会議を開いたとか、密謀を交わしたとかはない?

「ないです。きっかけは飲み屋でのやりとりでした。『素人の乱』で有名な松本哉(はじめ)さんが経営する飲み屋が高円寺にあり、ときどき著名人を一日マスターにする。7月下旬、批評家の柄谷行人(からたにこうじん)さんがマスターになる日があり、そこで官邸前デモのスタッフに会った。

私も昨年からよくデモに出かけていますから、名前は知らなくても、互いに顔は見知っていた。話をすると、『野田首相に要望書を渡したいが、なかなか実現しそうにない。打開策はないか』と言うので、『菅直人前首相にだったら連絡がつく。話してみようか?』と、私が提案したんです」

―菅前首相とはどんな関係?

「今年5月に菅さん側からの要望で、2時間ほど戦後史のレクチャーをしたのが初対面。それだけの関係でしたが、事務所に『政治が市民に応答すべきだ』というファクスを送ってみた。そうしたら電話があり、とりあえず超党派議員と反原連の対話会が実現したのが7月31日。

そこで反原連が首相との会談を強く要求し、8月3日に菅さんから私に『首相が会談してもいいと言っている』と連絡してきた。私が何か画策したわけではない。もちろん、菅さんはそれなりの苦労をしたと思います。私と反原連の関係も、彼らの会議には1回しか行っていませんが、『デモでよく見る人だから』ということで信頼したんでしょう」

―首相との会談時、小熊教授はひと言も発言しなかった。あれはフィクサーだからこその自重だったのかと思いました。

「いやいや。官邸から渡された会談の式次第には、私が冒頭に、ごく簡単に経過説明をすることになっていました。ところが当日、反原連側が、1分でも惜しいからそれを飛ばしてくれと言ってきた。会談の目的は代表たちの要請や思いを首相に聞いてもらうこと。だから私は黙っていただけです」

―会談は双方が主張するだけで平行線、ガス抜きに終わったという批判もあります。

「平場(ひらば)の市民運動が首相を会談に引っ張り出し、そのやりとりがネットで同時中継されるなんてことは、日本近代史上なかったことだし、国際的にも例がない。この2ヵ月で民主党は確実に脱原発に傾いているし、野田首相本人からも『脱原発依存が政府の基本方針』という言葉を引き出した。ガス抜きの批判はわかりますが、もっと素直に評価すべきでしょう」

―ちなみに、会談にあたって、官邸サイドと条件面などでもめることはなかった?

「公開の方法ですね。会談の同時中継と、独立メディアを含む全面公開を求める反原連に対して、官邸側は当初、冒頭の数分間だけを官邸記者クラブのマスコミに公開し、あとは記者らに退出してもらう方式を主張した。最終的には、独立メディアは官邸に入れなかったけれど、同時中継は実現した。反原連側の人選や発言内容は、完全に彼らが自由に決めました」

―会談の実現にあたっては、もっと裏の政治的駆け引きがあったと思っていました。野田政権の追い込まれぶりには脱力です。

「私がやったのは、運動の言葉と政治の言葉を仲介する通訳みたいな仕事で、裏取引めいたことはなかった。毎週、官邸前に集まる数万人の存在が会談を実現させた。デモの力が政治を変えたんです」

(取材・文/姜 誠)