人間の真価は、物事が上手くいっているときや成功しているときではなく、壁にぶつかったときや苦難に面したときこそ問われると言われる。受け入れ難い現実、届かぬ理想に相対したとき、何を考えどう行動するか。そしてそれは、理想とプライドが高く負け慣れていない人間にとってほど難しいことだったりもする。



 2012.08.06 vs Boston Red Sox


 「メンタルを切り替えて臨む」と宣言して迎えた敵地ボストンでのレッドソックス戦。初回にJ.エルスベリー、C.クロフォードを2者連続三振で斬ってとるなど落ち着いた立ち上がりを見せたが、前回のエンジェルス戦と同じく3回に捕まる。2順目に入ったエルスベリー、クロフォード、A.ゴンザレスの左バッター3人にそれぞれダブルを許し2失点。4回にもエルスベリー、D.ペドロイアのダブルなどで3失点。結局7回2アウトまでシーズンハイの123球を投げ9奪三振を奪ったが、グリーンモンスターを自由自在に使いこなす中距離打者がズラリと並ぶ赤靴下打線に計7本のダブルを打たれる"メッタ打ち"で6失点、8敗目を喫した。


「ダルビッシュは1試合に7本以上のダブルを打たれた戦後23人目のピッチャーだ」



 これで3試合連続5失点以上の乱調。直近6試合の成績は1勝4敗、ERA7.04だ。NPBで5年連続ERA1点台をマークした怪物ダルビッシュの姿は微塵もない。千葉ロッテ・マリーンズ監督時代に幾度となくダルビッシュに捻じ伏せられた経験を持つ、レッドソックスのバレンタイン監督も今日のゲーム後、以下のように語っていた。


"I never saw him look like that. He wasn't very good, actually. His stuff was flat, I thought"
「こんなダルビッシュは見たことがない。彼のボールは極めて平凡だった」


Darvish not resembling dominant self of late


 バレンタイン監督は言わずもがな、NPB時代のダルビッシュの恐ろしさを世界で最も知っている人物のひとりである。そのバレンタイン監督が「平凡だった」と拍子抜けしてしまう程なのだから、ダルビッシュのスランプはおそらく「メジャーのバッターのレベルが云々」の話ではもはやない。ダルビッシュのピッチングのレベルそのものが、異次元を誇ったNPB時代のピークから程遠い状態に今あるのだ。

 スランプの原因は誰にもわからない、というかわかったら苦労しないが、ダルビッシュ本人はここのところ"メンタル"の課題をしきり口にしている。今日のゲーム後も「(今日は)俺の球を打ってみろという気持ちでいけた」とメンタル面での成長に手応えを感じていた。いつものダルビッシュなら「左バッターへのツーシームが良かった」とか「良いところでカーブが使えた」とか、そういう極めてテクニカルな話に終始する印象があるので、最近のダルビッシュの言動には若干の違和感を個人的には覚える。

 もちろんメンタルイシューは少なからずピッチングに影響を与えるものかと思うが、気になるのはダルビッシュ自身がそれをハッキリと自身の課題として口にしていることである。ダルビッシュは元々、ピッチングの話をする上でメンタルどうこうという議論を嫌うタイプのピッチャー。「メンタルなんて関係ない。技術が全て」と断言したことさえある。そういうメンタルの議論を排除した思考法こそダルビッシュが真にプロフェッショナルなアスリートたる所以であり、ダルビッシュのカリスマ性をより一層際立たせているものであると、僕は思っている。

 一方で、ダルビッシュがそれだけ強気な思考を持てていたのは、彼が常に頂点に君臨し続けており挫折という挫折を味わったことがなかったからかもしれないと、今になって思う。「打たれるかもしれない」「負けるかもしれない」などと弱気になったことなど、少なくともNPB時代のダルビッシュは全くといっていいほどなかったのではないか。実際彼は「(相手打者が逃げ腰で)勝負にならない」と言い残してアメリカに来たのだ。

 そして今のダルビッシュは、おそらくはじめて自信を失っているというか、ショックを受けているのかもしれない。屈辱の1イニング6失点を喫した前回のエンジェルス戦後に「別の投手にならないといけない」と実に珍しい発言したが、今日になって「撤回。やっぱり自分らしくいかないと」とあっさり取り消した。エンジェルス戦直後は流石のダルビッシュといえどもかなりショックを受けていて、自分を見失っていたのかもしれない。ちょっとやそっとのことじゃブレない強い意志を持ったダルビッシュだが、少々パニックというか気の迷いが生じているように感じられた(一方で、少し時間を置いただけで「撤回」と断言できる自信も改めて流石だなと思う)。

 僕は個人的に、多くのアスリートが「気持ちで負けない」的なことを決まり文句のように口にする中で「メンタルなんて関係ない」と言い切り圧倒的な結果で周囲を黙らせるダルビッシュがたまらなくRockで好きだったのだが、ここ最近のダルビッシュを見ていて僕も少し考え方が変わってきたような気がする。ダルビッシュ程の選手だからこそメンタルなどすっ飛ばして"技術"のみで戦うことができ、しかしダルビッシュ程の選手でも壁にぶつかる時期というのはあり、そしてダルビッシュ程の選手だからこそ上手く行かないときに"心"をどうコントロールすれば良いのか(平均的な)人よりわからないのかもしれない、そんなことを思った。天才は普通にやってれば勝負に勝ってしまうので「気持ちで勝つ」必要性を感じることがないというか何というか。これが天才の悩みというやつかもしれない。




 ゲーム後の会見でダルビッシュは「物事がうまく進まない時は、自然とフラストレーションがたまる。多くの選手がこういう時期を乗り越えながらプレーしている」と話していた。メディアはいつも「ダルビッシュは"こういう時期"を何度も乗り越えてきたから偉大なアスリートなのだ」という誰にでもわかりやすい受け入れやすいストーリーに仕立てたがるが、実際はそうではなくて、ダルビッシュは偉大すぎる故に今ようやくはじめて"こういう時期"に直面したのではないだろうか。ダルビッシュが「多くの選手がこういう時期を乗り越えながら」と話したのは、自分がようやく「多くの選手」の一員になったと感じたからなのではないだろうか。


 メジャーで苦戦するダルビッシュを見て「日本にいればよかったのに」「身の程知らず帰ってこい」的なことを言う人を極稀に見かけたりするが、それはおかしい。ダルビッシュは「痺れる勝負をしたい」からメジャーに行ったのであり、今もがき苦しんでいるダルビッシュは見事にメジャー移籍の目的を果たしているのだ。もちろんその先には、もがき苦しんだ末に壁を越えやがてサイヤング賞を穫るというゴール(これも通過点?)があるのだが。


 ダルビッシュは今、間違いなく苦しいだろうが、楽しんでもいると思う。



halvish