12年間にわたり飛田への取材を続けたフリーライターの井上氏

写真拡大

「兄ちゃん、寄ってきや」と、客引きのおばちゃんが道行く男に声をかける。その傍らで、上がり框に座って胸元を露出させた色っぽいおねえさんが、紫やピンクのライトに照らされこちらにほほ笑みかけてくる。

 まるで時代劇の映画のセットだが、そこかしこに漂う湿った空気は、ハリボテからは醸し出されない淫靡なもの。飛田へ行った男は、ニヤリと笑いながら、あるいは文化人類学者のような口ぶりで、この街の特異性を語る。そして、たいてい最後に付け加えるのだ。

「風情のある場所。できれば残ってほしい――」

 大阪の西成に残る、撮影禁止の「色街」・飛田に挑み続けてきた井上氏。12年に及ぶ取材の記録が著書『さいごの色街 飛田』である。飛田で働くおねえさん、おばちゃん、経営者は、どんな思いでここにいるのだろうか。

――大変な目にも遭ったそうですね。なのに取材を続けたのはなぜですか?

「飛田に行くまでの道で抱きつきスリに遭ったり、ぼったくられたりしたこともあります。でも、この街の人と接するうちに不思議な魅力を感じるようになりました。例えば、親が飛田で料亭をやっていたというある男性は、もう廃業したのに建物をそのまま残していました。

『うちのおかんはゴッドマザーのような人で、かつて働いていたコが、おかんを懐かしんで戻ってくるかもしれない。そのときのために、建物だけはつぶさへんの』と。

 そういう深い思いに触れて、飛田という街があったことは記録に残さないといけないと思うようになったんです」

――経営者とおねえさんの絆を感じさせる話ですね。一方、彼女らが現代日本では考えられないような貧困のなかで生きてきたことも語られています。

「私が話を聞いたおねえさんたちは、親の十分な保護を受けていないし、人生でお金に苦労をしなかった時期がありません。10代のうちに子供を産むのは当たり前。夫には逃げられ、子供を食べさせるために働こうと子供の世話を親に頼むと、今度は母親が男をつくって孫をほったらかしてしまう、そんな境遇の人もいて……」

――多額の借金を背負っても、彼女らは消費者センターに相談しようという発想がなく、流されるままに飛田に来てしまう、ともありました。社会で生きていくための知恵がうまく伝わっていない気がします。

「見本になる暮らしがわからないまま育って、今生きるのに精いっぱいで飛田にいる。しかも、これは彼女らの子供たちにも伝播しかねない。売買春を禁じても解決しない分、厄介な問題です」

――これは、飛田を利用したことがある人とそうでない人で衝撃が違うと思います。僕も飛田のお座敷に上がったことがあるのですが、てっきり女のコたちは普段OLか何かをやっているのだと思っていました。普通にバイトするより稼げるから、飛田に来ているのだと。

「実際は、貧困の連鎖で飛田でしか働けない人たちがおねえさんをやり、呼び込みのおばちゃんをしているんですよね」

――そんなことも知らず、「色街の情緒が残る数少ない場所だから残ってほしい」なんて言うのは、無責任もいいところだという気がします。しかも、こんな状況だと知りながらも、いずれまた機会があったら飛田に行ってしまう気がしてならない。

「私は飛田に行くことを良い悪い言う立場ではないですから、お気遣いなく。売春はいずれなくなるべきものでしょうけど、飛田という街に生かされてきたおねえさんやおばちゃんは少なくないはずですしね。

 私が問題にしたかったのは売春の是非ではなくて、ぎりぎりのなかで泣いたり笑ったり怒ったりして生きてきた人たちが何十年もいたということ。だから、飛田に行きたいならちゃんと値切らずにお金を落としてきてくださいね」

●井上理津子(いのうえ・りつこ)
1955年生まれ。フリーライター。大阪を拠点に人物インタビューやルポ多数。著書に『産婆さん、50年やりました』『大阪 下町酒場列伝』(ともに筑摩書房)など

『さいごの色街 飛田』(筑摩書房/2100円)
今なお売春が行なわれる大阪・飛田新地。警察はなぜ取り締まらないのか。経営者、おばちゃん、おねえさんの半生はどのようなものか。暴力団へのアポなし取材、取材依頼のビラ配り、料亭の面接などの体当たり取材で明らかにしていく

【関連記事】
東京都暴力団排除条例の断行に、豪腕“元警察庁トップ”の影
完全にチン黙?韓国で使用が認められた「去勢剤」の威力
【インタビュー】芥川賞受賞『苦役列車』 西村賢太「クソみたいな僕の小説を読んで優越感を感じてほしいですね」[前編]
動画サイトにTENGA。10年代に進化するエロメディアの共通ワードとは?
「3人にひとりがセックスに興味なし」 10代男子は大丈夫か!?