岡田監督のキャッチフレーズは"接近、展開、連続"

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 キャッチフレーズが好きな国民である。好きだという見解は、メディア側の勝手な思い込みかもしれないが、セリエAでもワールドカップでも名鑑や番組を作る度に「選手個々にキャッチフレーズつけられますかねえ」と要望された。陸上やフィギュアなどの国際大会の中継でも、無理やりこじつけてキャッチフレーズを用意しているから、とにかく名前の覚えにくい外国人を印象づけるには、それが不可欠というのがプロデューサーや編集者の常識なのだろう。

 ましてサッカーは抽象的な競技である。俯瞰に近い映像から仕草を見ただけで誰だか判別できるのは、相当な熟練愛好者に限られる。作り手側が、あらかじめ視聴者や読者のためにキャラクター付けをしようと考えるのも、ニーズに応じたサービス精神と言えるのかもしれない。

 岡田新体制がスタートしたというのに、どうも空気が冷めている。草サッカーの現場でも、飲みの席でも、雑談に発展する前に溜息と諦めの言葉が洩れてくる。率直に言って、個人的には、今、誰が代表監督をやっても大差はないと思っていた。

「人もボールもよく動く」

 これはフル代表のオシム前監督を筆頭に、U−17代表を率いた城福監督まで一斉に口にしてきたキャッチフレーズである。そしておそらく日本中の指導者たちが、同じ言葉を繰り返しながらあらゆる層を教えている。裏返せば、日本中の選手たちは早くからそればかりを強調されながら育ってくるわけだ。

 こうしてサッカー界全体が常識を共有し、思考の幅が狭まった分、もうトルシエやジーコのような選択はないだろうし、たぶん浸透しきった常識を覆す斬新さをもたらすパワフルなつわものを雇う資金力もない。だからいくらあまりに予想通りとはいえ、岡田監督という選択は落胆するほどのものではなかった。

 ただし一方で、サッカーに直接携わる人たちが共有する常識と、一般ファンが求めるものの間には、多少齟齬があるのかもしれない。確かに身体能力に劣る日本人が世界に立ち向かうには、特性に適した組織力を研磨していくのが得策だ。

 しかしそれが判っていても、お金を払って観戦するなら夢も求めたい。たとえ追求するのが組織力だとしても、その中で予想を超えて唸るようなファンタジーや鮮度に遭遇したい。おそらくそれが観戦が習慣化していない浮遊層の本音。言わば、手堅いプレミアよりは、危なっかしくても魅せるリーガ・エスパニョーラ……、岡田監督時代の横浜F・マリノスが、連覇達成にもかかわらず観客動員が横ばいだった要因も、そこにあるのかもしれない。

 振り返れば、日本代表の歴代監督たちは、明確なキャッチフレーズとともに歩んで来た。ゾーンプレスという言葉でモダンフットボールへの挑戦を強調した加茂。フラットスリーのトルシエ。自由なジーコ。考えて走らせるオシム……。選択する側の指針の揺れを示しているとも言えるが、いずれも前任者からの変化を示唆していた。

 それに対し岡田監督が掲げたのは「接近、展開、連続」である。順風の後のバトンタッチだけに、違いを示しにくいというハンディはあるが、サッカーにどっぷり浸かり人生を賭けていたオシムの後で、昔のラグビー界から看板借用というスタンスも引かせてしまっているような気がする。

 トルシエ時代までの右肩上がりから、ジーコ時代に限界を晒し、ファンもおおよそ日本の実力を把握している。結果が予測しやすくなった分、中味でわくわくしたいと願う層が増えているということかもしれない。(了)

加部究(かべ きわむ)
スポーツライター。ワールドカップは1986年大会から6大会連続して取材。近著に『サッカー移民』(双葉社刊)。

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