「HUMILDAD」

 サガン鳥栖の元スペイン代表FWフェルナンド・トーレスは、この表現を好んで使う。スペイン語で「謙虚、慎ましさ」を意味する。ゴールゲッターとして名を上げるたび、浮つきそうな自分を戒めてきたのだろう。

――31歳のトーレスが、17歳のトーレスにアドバイスするなら?

 かつてトーレスはその質問にこう答えている。

「口をつぐみ、人の話を聞け、だね」

 彼は徹底的に慎ましくあろうとしてきた。しかしながら、プロの世界は謙虚なだけでは生き抜けない。ありあまるエゴイズムを、制御するために謙虚であろうとしたのだろう。トーレスはそうやって、ゴールを撃ち抜いてきた。

 しかし今年7月、Jリーグにデビュー以来、なかなかゴールが決まらない。10試合出場でわずか1得点。年俸5億円超とも言われる助っ人ストライカーとしては、どれだけエクスキューズを用意しても寂しい数字だ。

 なぜトーレスはゴールできないのか――。


柏戦に先発したが、無得点で後半28分に退いたフェルナンド・トーレス

 9月22日、三協フロンテア柏スタジアム。前節まで15位に沈む鳥栖は、同じく低迷する16位の柏レイソルとJ1残留を懸けた一戦を戦い、1-1の引き分けに終わっている。

「納得できない。もっとできると思う」

 同点弾を決めた金崎夢生が、不満さえ漂わせながらミックスゾーンを立ち去ったように、チームとして不具合を抱えているのは間違いない。

「アウェーではなかなか勝てなくて……(7分け6敗)。昨シーズンもそうだったんですが、なぜだかはわからないです。ホームでは”最初から前にいく”という感じになるからでしょうか。どうしても(受け身に回ると)前と後ろの距離が空いて、後手に回ってしまう」(鳥栖・FW小野裕二)

 不振に喘ぐチーム状況が、トーレスに影響を与えているのは間違いない。

 ボールが来ないことに焦れ、トーレスが中盤に下がる。ストライカーよりもパサーのようになってしまう。これでは、宝の持ち腐れに等しい。

「チームのために」という謙虚さが、ゴールゲッターとしての精度も狂わしているのではないか。

 柏戦も、トーレスはノーゴールだった。前半、遠目から打ったミドルは当たりが悪かったし、CKからフリーで打ったヘディングもヒットしていない。後半、右からのクロスをファーに逃げて打った2度のヘディングは、シュート準備動作までは完璧だったものの、強度が弱かったり、振りすぎて当たり損ねたりした。

「(トーレスが)前半で足を痛めたようだったので、後半はマッシモ(フィッカデンティ監督)に『いつでもいけるように』と言われていました」(鳥栖・FW豊田陽平)

 トーレスは体調が万全ではなかったのかもしれない。5月以来の実戦にいきなり復帰し、疲れもたまってきているのだろう。この日は夏のような暑さが蘇ったコンディションも影響していた可能性もある。

 しかし、無得点を続けるストライカー特有の焦燥感を抱えていたのも事実である。これまでの試合と比べ、プレーは精彩を欠いたし、表情も冴えなかった。余裕がなくなってきているのだろう。海外の厳しいリーグだったら、各方面から批判を受けているはずだ。

「(トーレスは)体をぶつけるのはうまいですね」

 スペインで3シーズンにわたってプレーし、柏に復帰した鈴木大輔は、マッチアップしたトーレスについて語っている。

「競り合いでは、正直には跳ばない。先に体をぶつけてきて、あわよくば入れ替わろうとしてくるので、そこは注意していました。ただ、下がってボールを受けられる分には、それほど怖さはないというか……」

 入団以来、トーレスはそのポテンシャルの高さを示してきた。速さ、高さ、強さ、うまさ、どれも桁違いだ。サイドに流れてボールを受けることで、味方にスペースを与え、起点になっている。パサーの役回りでも、その非凡さを示してきた。

しかし、お膳立ては彼本来の仕事ではない。

<トーレスをどう生かせばいいかわからない>

 チームメイトに芽生えた疑心暗鬼が、このままでは膨らみ始める。

 トーレスは決して器用なタイプではない。ゴールによって、その境地にたどり着いた。リバプール時代はクリスティアーノ・ロナウド(当時マンチェスター・ユナイテッド)と最後まで得点王を争い、ユーロ2012では得点王に輝いている。下降線に入ったと言われるが、アトレティコ・マドリードでは過去3シーズン、(カップ戦を含めての)連続2桁得点を記録し、ヨーロッパリーグ制覇をもたらしているのだ。

 そのプロフェッショナリズムのおかげで、新天地でも受け入れられたわけだが、彼が愛されてきた本当の理由はゴールにある。そのジレンマは、トーレス自身が一番、強く感じているだろう。その証拠に、柏戦で交代を命じられたときには苛立ちを隠せなかった。

「(勝ち点1は)よかったと思う」

 試合後、記者たちに囲まれたトーレスは落ち着いた様子で語っているが、謙虚さでその身をくるんだようで、居心地はよさそうではなかった。その着ぐるみを脱ぎ捨てたとき――。本気のトーレスが見られるのかもしれない。