ホワイトデーを過ごす諸兄に贈る 生涯童貞だった偉人達のエピソード珠玉の23選

写真拡大

 ニコニコ生放送では「【世界は童貞が作った】死ぬまで童貞だった偉人たち 《特集「童貞」を考える》」が放送され、歴史に名を残した偉人で、かつ生涯童貞だった人物たちの略歴が紹介されました。

 番組では、神聖ローマ帝国皇帝のような時の権力者や、歴史的発見を行った高名な科学者にも生涯に渡って童貞を貫いた人物が多くいたことが明らかに……。

※童貞であったかどうか決定的な証拠がなかったり、異説がある人物も童貞だった可能性がある人物として紹介しています。紹介する内容は、下記の書籍に基づいています。

『童貞の世界史: セックスをした事がない偉人達』
(画像はAmazonより) マーニー(216~277)人間の肉体、生殖に強い敵意

―略歴―
・世界的影響を有した「マニ教」の創始者。キリスト教、ゾロアスター教、仏教の影響を受けた独自の教えを広める。
・アラム語を基に独自のマーニー文字を考案。
・ペルシア宮廷に迎えられ、さらにエジプト・シリアなどローマ領内にも宣教師を送るが、ゾロアスター教僧侶から憎まれる。
・277年、王命により召喚、投獄され死亡する。

―童貞事由―
・禁欲主義が高じ、人間の肉体、生殖に強い敵意を生涯に渡り示していた。
・定めた戒律の中では、性交の禁止が含まれている。「光の要素を肉体の中に幽閉するため悪魔たちが開発した武器が生殖である」
・少年時代に過ごした教団も、肉食・飲酒・性交を禁止していた。
・治療のお礼として、娘を貰い受けた伝承もあるため、疑問の余地もある

ハインリヒ2世(973~1024)ザクセン朝は断絶

―略歴―
・神聖ローマ帝国皇帝。
・先代が疎かにしていたドイツ国内の体制を固め、王権保持に尽力した賢君と呼べる存在。
・ポーランドの対外積極策に対抗、異教徒のリウティツ人と同盟を結び、マイセン辺境伯領を守り抜く。
・宗教改革にも熱心で、バンベルク大聖堂を建立。

―童貞事由―
・信仰心の深い皇帝であり、非常に禁欲的だった。
・皇后クニグンデと相互に純潔の誓いを立て、肉体関係を持たない関係を生涯貫いたという。
・そのため夫婦に子供はなくハインリヒ2世の死と共にザクセン朝は断絶。
・信仰と純潔の生涯から夫婦ともにカトリック教会から列聖されている。

トマス・ベケット(1117~1170)性的欲求の欠如

―略歴―
・12世紀イギリスの聖職者。ヘンリー2世に仕える。政治家・武将としても業績を残した傑物。
・外交官としても卓越した成果を出し、騎士を率い自ら陣頭で戦う猛将の一面もあった。
・教会支配を目論んだ国王からカンタベリー大司教に叙階されるが、王権より教会を優先し、国王と対立。王側近の騎士によって暗殺される。
・ローマ教会はベケットを聖者と定め、墓には巡礼者が絶えなかった。

―童貞事由―
・伝記では、彼が生涯純潔を貫いたという点で一致。
・真面目な聖職者だから、という理由に加え、精神的抑圧と関連した性的欲求の欠如を要因にあげる論者も存在する。
・ヘンリー2世はベケットと対立後、彼に純潔を破らせ、世間の信頼を失わせようとしたが、失敗に終わったという。
・王との男色説もあるが、それを積極的に支持する証拠はない。

ジロラモ・サボナローラ(1452~1498)厳しい政治方針にたがわず、自らも厳格に禁欲

―略歴―
・ルネサンス期イタリアの宗教家・政治指導者。
・メディチ家に支配されていたフィレンツェで、説法により支持を集め、政権を掌握。弁舌を武器に、一個人から一国の指導者にまでのぼりつめたルネサンス期の傑物。
・厳格な禁欲を主張し、教皇アレクサンドル6世とも対立、神権政治を行うが、反発を買い処刑される。

―童貞事由―
・一切の妥協を許さない厳しい政治方針にたがわず、自らも厳格に禁欲を貫いた。
・純潔に関しても、修道院の純潔が有名無実となっている事を批判したとされる。
・自身も純潔を誓い、独り身を貫くことを聖職者として当然と考え、誠実に継続した。

レオナルド・ダ・ビンチ(1452~1519)同性愛であった可能性

―略歴―
・イタリア・ルネサンスを代表する芸術家。多芸多才の「万能の人」。
・遠近法や解剖学、立体表現や明暗法などを取り入れ、『最後の晩餐』『モナ・リザ』など、絵画史に大きな足跡を残した。
・絵画・彫刻のみならず土木工事・築城・兵器設計にも長けており、芸術作品の精密さを追求する過程で、天文学・物理学・数学・解剖学など自然科学にも強い関心を持った。

―童貞事由―
・生涯独身で、ダ・ビンチが同性愛であった可能性はしばしば指摘される。
・フロイトは、同性愛的な志向を抑圧した結果として無性愛になったと推定している。
・実際にどのような性的志向を持っていたかは明らかになっておらず、性的行動に及んだという証拠もないため、生涯純潔を貫いた可能性も十分にある。

ミケランジェロ・ブオナローティ(1475~1564)「わたしは芸術の中に充分過ぎる妻を持っている」

―略歴―
・ダ・ビンチと並び称される多芸多才の芸術家。
・イタリア・ルネサンス期に活躍、『ダビデ』像や『最後の審判』など数多くの傑作を残す。
・システィナ礼拝堂の大規模な壁画を作成、 さらに教皇庁の建築・彫刻・絵画総監に任じられ、 サン・ピエトロ大聖堂の造営主任として建築にも関与。カンピドリオ広場やファルネーゼ宮の設計にも関わった。

―童貞事由―
・ミケランジェロと伝えられる言葉。「わたしは芸術の中に充分過ぎる妻を持っている」
・生涯独身。美少年ブラッチらに恋愛詩を送っているが、彼らと性的関係を有した証拠はないという。
・ミケランジェロに好意的な人々が、彼は純潔だと主張し、敵手がそうでないと考えている。
・彼が生涯純潔であったかは不明だが、可能性はある。

ティリー伯ヨハン・セルクラエス(1559~1632)「性的冷淡、あるいは全て性愛的なものへの頑固な嫌悪」

―略歴―
・神聖ローマ帝国の武将。三十年戦争で皇帝軍の司令官として活躍。
・三十年戦争の最後には、スウェーデン王グスタフ・アドルフに敗れ、致命傷を負い、まもなく死去。
・最後は敗れたとは言え、三十年戦争を代表する名将・偉人。皇帝とカトリックに献身し、異名は「甲冑をまとった修道士」

―童貞事由―
・「甲冑をまとった修道士」に相応しい敬虔なカトリックで、僧のような雰囲気と態度を保っていた。
・当時の指揮官としては珍しく、厳格な節制と純潔を保っていた事を誇りにしていたという。
・E・クレッチマーは彼について「性的冷淡、あるいはさらに進んで全て性愛的なものへの頑固な嫌悪」が見られるとしている。以上から彼が生涯純潔を貫いた蓋然性は高い。

宮本武蔵(1584~1645)「妻子迚(とて)も、これ無く」

―略歴―
・日本の名高い剣豪の一人。
・二天一流(円明流、武蔵流)の開祖。1612年巌流島での佐々木小次郎との決闘でも有名。
・50歳を過ぎるまで諸国を放浪し、晩年は島原の乱にも出陣、その後、肥後藩主細川忠利の保護を受けた。
・伝書『五輪書』を記した他、書画・金工にも長じており、水墨画『枯木鳴鶏図』などが代表作。

―童貞事由―
・武蔵が細川忠利に提出した口上書には、「妻子迚(とて)も、これ無く」とあり、生涯独身。
・『独行道』では、「れんぼ(恋慕)の道思ひよる心なし」と記し、愛欲を否定したと主張している。
・山田次朗吉『日本剣道史』には、武蔵は一生不犯と記されている。
・一方で吉原に馴染みの遊女がいた、などの説もあるが、別人説もあり、武蔵が生涯不犯かは今も謎となっている。

アイザック・ニュートン(1642~1727)生涯童貞を貫いた「魔術師」

―略歴―
・英国物理学者・天文学者・数学者。
・万有引力の法則の導入、微積分法の発明、光のスペクトル分析などの業績を残した。
・近代科学の礎を築く一方、錬金術に強く関心を持ち、科学と魔術の境界が不明瞭な時代を象徴する人物でもある。
・経済学者ケインズは、ニュートンを「最後の魔術師」と評した。

―童貞事由―
・研究に専念すべく、結婚は犯罪・異端と同様に遠ざけるべきものと考えていた。
・無性愛者とする意見もあり、生涯童貞を貫いたことはほぼ間違いないと言われる。
・真偽不明だが、一説には生涯に精を漏らしたことはないと伝える説もある。
・生涯童貞を貫いた「魔術師」は、童貞=魔法使い説に通じるものがある。

カール12世(1682~1718)未来永劫、童貞として讃えられる事を望んだ

―略歴―
・18世紀初め頃のスウェーデン王。15歳で即位。ロシアとの大北方戦争を戦うなど、その治世の大半を戦場で過ごし、兵隊王の異名を取った。
・軍事的天才として名高く、大北方戦争で流れ弾を受けて戦死した際、敵手ピョートル大帝は、カール12世を“完全な戦士にして英雄だった”と評した。
・長身で頑健な体を持ち、厳格な軍規で部下を統一するため自らも厳しく律して禁欲的な生活を送っていた。

―童貞事由―
・自ら生きた模範になるべく、贅沢や遊戯、飲酒など生活の慰めを放棄。その中には女性も含まれていた。
・醜聞が一つあるのみで、おそらく生涯童貞と推測。
・ボルテールの著述などから、カールは童貞を貫いた男として世界史上に自らを誇示し、未来永劫、童貞として世界から仰ぎ見られ讃えられる事を望んだと読み解ける。

フリードリヒ2世(1712~1786)嫌々妻とした女性

―略歴―
・プロイセン国王。相次ぐ戦争と富国強兵政策によって国力を大幅に増大させ、プロイセンをヨーロッパ列強の一国に数えられるまでに導く。大王の尊称で呼ばれた。
・自ら軍を率いて戦場を駆け巡り、ヨーロッパ戦史に傑出する名将として名高い。
・文学や芸術を楽しむ優雅な文人気質も持ち、文人としてヨーロッパの大物知識人と交際を楽しみ、フルートを愛好して過ごした。

―童貞事由―
・結婚前には性的に厳格な父に締め付けられ、結婚後は嫌々妻とした女性には性的に近寄らない。不能説が流れるほど異性への関心、関係に乏しい。以上のような条件から、童貞であった可能性が高い。
・フリードリヒが死ぬと、性的に正常であったとアピールするかのように遺体の性器の大きさと形が正常であったという侍医の報告がなされた。

アダム・スミス(1723~1790)好いた女性に、思いが受け入れられることはなかった

―略歴―
・イギリスの経済学者。古典経済学の祖。
・『道徳感情論』では、他の人間の同感・是認を得ようとする人間の性質上、人間関係が公平に開かれていれば、自然と正義が守られるとした。この著書によって名声は全ヨーロッパに轟いた。『国富論』では個人の利己的な活動は、神の見えざる手によって導かれ、富と秩序をもたらすと考え、自由放任経済を唱えた。

―童貞事由―
・アダム・スミスは生涯独身であった。
・名声・財産もあり、女性への恋心も欠かさなかったが、彼が好いた女性に、その思いが受け入れられることはなかった。
・伝記などから彼は生涯童貞だったと推測される。
・彼を育ててくれた母は90歳の長寿に恵まれ、その後も従妹が身の回りの世話をしていてくれたため、孤独ではなかったようである。

イマヌエル・カント(1724~1804)もはや妻を必要としなかった

―略歴―
・18世紀後半のドイツの哲学者。
・著書『純粋理性批判』などで知られ、経験論と合理論という当時の哲学の二大潮流を統一、近代哲学の原型を作った。
・大学卒業後、家庭教師、非常勤講師として生計を立てつつ研究を続け、恵まれた地位と収入を得ることが出来たのは正教授となった46歳の時だった。

―童貞事由―
・長らく経済的に困窮したカントは生涯独身。「私が妻を必要とした時には、妻を養う事ができなかった。私が妻を養うことができた時には、もはや妻を必要としなかった。」
・生涯において2度恋に落ちたが、弟子によると「彼はあまりに慎重すぎた態度を取り、そしておそらくは拒絶されなかったと思われる申込みを躊躇した。」1人の女性は遠い地へ、1人は別の男性と結婚した。

マクシミリアン・ロベスピエール(1758~1794)彼は女性の貞操と慎みを尊重した

―略歴―
・フランス革命期に活躍した政治家。
・弁護士として活躍し、社会的弱者を守るために奔走。旧体制の矛盾を痛感するようになり、政治家を志す。
・革命後はジャコバン派の指導者として国王処刑やジロンド派の粛清を進め、様々な改革を実行した。
・多くの政敵が処刑されたことから「恐怖政治」と批判され、最後には反対派のクーデターで命を落とした。


―童貞事由―
・ロベスピエールの妹が記した回顧録によれば、彼の女性関係はプラトニックなものばかりであった。
・ロベスピエールの伝記を記したマルク・ブゥロワゾォも「おそらく純潔だったが、女嫌いだった訳ではない。彼は女性の貞操と慎みを尊重したのである。」「正義・人間性・自由に対する愛は、恋と等しき情熱である。そこに支配されている人はそこに全てを捧げるのだ」と述べている。

ヤーコプ・グリム(1785~1863)弟とは、深い愛情と敬意を持ち続けた共同生活

―略歴―
・19世紀ドイツの法学者。
・実用的な法律学でなく、文化的存在として法律を探究するため、言語や詩歌、伝承を研究し、法の文化的・歴史的研究の先駆者となった。
・その中で集められた民話収集の成果として、弟ヴィルヘルムと共同編集の『グリム童話集』が刊行された。

―童貞事由―
・生涯独身を貫き、「女性に対して兄妹のような関係以上のようなものは持たなかった」と言われる。
・結婚に向けて僅かに気持ちが揺らいだこともあるが、童貞も貫いたと考えられている。
・一方、共にグリム童話を編纂した弟とは、深い愛情と敬意を持ち続け、共同生活も送っていた。

ハンス・クリスチャン・アンデルセン(1805~1875)求婚相手に「私の兄になってください」と言われ……

―略歴―
・デンマークの作家。
・『人魚姫』『醜いアヒルの子』など世界的な傑作童話を残した童話王。
・小説『即興詩人』でも名高く、詩『デンマークにわれ生を受く』は全デンマークで愛唱されたという。

―童貞事由―
・作家として名声を博した後、歌姫イェンニイ・リントを愛するようになり、童話『ナイチンゲール』を贈って告白するが、求愛を受け入れられなかった。リントからは「私の兄になってください」と言われている。
・外見は「デンマークのオラウータン」という酷いあだ名をつけられることもあったという。
・本人が極度に繊細で、また潔癖・純粋な価値観だったことも影響している。

ニコライ・ゴーゴリ(1809~1852)性愛的な欲求を生涯抑圧

―略歴―
・独自の筆致でリアリズム小説の祖とされるロシアの大作家。
・代表作『死せる魂』『外套』『鼻』など。
・リアリズムに留まらず、下層市民や小地主などの日常生活を描写し、人の愚かさに対する絶望を反映したユーモア「涙を通じての笑い」の世界も描いている。
・次第に信仰への傾倒を強め、厳しい批判・弾劾を受けるようになった。

―童貞事由―
・生涯独身で、誰とも恋愛した様子がない。
・個人生活レベルでも、作品描写でも、女性に対して冷淡で無性愛的な性格が伺えるとされる。
・彼の日記から同性愛的傾向を指摘する論者もあるが、宗教的理由から実生活では性愛的な欲求を出さず生涯抑圧したものと考えられている。

アントン・ブルックナー(1824~1896)やみくもに求愛・求婚しては拒絶される

―略歴―
・オーストリアの大作曲家。交響曲や宗教曲に傑作を残した。
・ドイツやオーストリアにおける交響曲の伝統を復興させた存在として評価されている。
・弟子には名ピアニストとして知られるパハマンや大指揮者モットルが存在し、教育者としても音楽界に大きく貢献した。

―童貞事由―
・10代後半の女性に対して、やみくもに求愛・求婚しては拒絶されるという経験を繰り返していた。
・一方で彼は、結婚以外での性交渉に関しては厳しく否定する考えてを持っていた。
・生涯独身だった状況から考えると、童貞だった可能性が高い。

アントニ・ガウディ(1852~1926)ひとり孤独に童貞を守りイエスに祈りを捧げた

―略歴―
・スペインの建築家。
・バルセロナのサクラダ・ファミリア教会、グエル邸など近現代スペインを代表する建築物を設計。
・曲線、曲面を巧みに用い、多彩な装飾で幻想的な空間を現出する作品を手がけた。
・教会建設も半ばの1926年に交通事故死。

―童貞事由―
・生涯独身であり、樺山紘一氏はひとり孤独に童貞を守りイエスに祈りを捧げた人物、と記している。
・晩年は強い信仰心を持ち、親族や友人の不幸に見舞われると、サクラダ・ファミリア教会の建築に没頭していった。

ライト兄弟(兄1867~1912、弟1871~1948)女性に無関心

―略歴―
・アメリカ出身。
・1903年、軽量で馬力のあるガソリンエンジンを搭載した複葉機を完成させ人類初の動力飛行に成功させた。
・その後、兄弟は飛行機の改良と特許権の確保に尽力しアメリカでの特許を獲得、精力的に飛行実演を行った。
・特許を巡っての訴訟を多く抱えることとなり、その後兄は病死。

―童貞事由―
・兄妹は誰も恋愛に関心を持たず、結婚もしなかった。
・弟が妹の友人と結婚を考えていた可能性はあるが、推測の域を出ない。
・女性に無関心で求愛をした形式はないという。
・一方で、家族内部の絆は強く、飛行機の完成にも それが大きな貢献を果たした。

ハーバート・スペンサー(1820~1903)性愛の影をうかがわせるものはない

―略歴―
・イギリスの哲学者・社会学者。
・進化は自然のみならず人間社会にも適用できると考え、形而上学、心理学、倫理学にも応用した哲学体系を構想した。
・日本における自由民権運動にも大きな影響を与えた。
・「社会ダーウィニズム」として植民地政策や白人優越主義などの正当化にも利用されたが、存在感を示した思想家だった事は間違いない。

―童貞事由―
・生涯独身であり、手紙などを調べた限りでも性愛の影をうかがわせるものはない。
・ヴィクトリア時代は性愛に極めて厳格であったが、当時の基準をもってしても、無性愛ぶりは際立っていたとされる。
・スペンサーの伝記を記したマーク・フランシスはスペンサーは生涯童貞だった、と記しており、それに反駁できる有力な材料はないとされる。

吉田松陰(1830~1859)「仙人」とあだ名されていた

―略歴―
・幕末の尊王論者・思想家。
・兵学を学んで長崎・江戸に遊学。佐久間象山に師事。
・ペリー再来の時には密航を企てるも果たせず下獄。
・萩の自宅内に松下村塾を開き、高杉晋作など維新指導者を育成。
・自身は政治活動の結果として刑死することとなった。

―童貞事由―
・女色と縁遠く「仙人」とあだ名されていた。
・妹の千代は回顧録に次のように記している。「松陰は生涯婦人に関係せることは無かりしなり。」
・女性に対して潔癖というより、臆病だったようで、旅行中に友人が遊郭へ行っても同行した様子はない。

宮沢賢治(1896~1933)「瞳だけでいいぢやないか、触れてみなくたっていいよ」

―略歴―
・大正、昭和時代前期の詩人・童話作家。
・童話『銀河鉄道の夜』『注文の多い料理店』や詩『アニモマケズ』で知られる。
・盛岡高農を卒業した後、教諭をしながら創作活動をし、その後に、花巻市で開墾自炊生活に入り、農民指導に貢献したが、若くして病死している。

―童貞事由―
・生涯独身で、女性を遠ざけ、一生を通じて童貞を貫いたとみなされている。
・高瀬露という女性に言い寄られた際は、顔に灰を塗って出たり、居留守を使い嫌われようとした事例がある。
・根底には、性愛・性的肉体への恐怖・嫌悪感があったとも言われる。

「性欲の乱費は君自殺だよ、いい仕事はできないよ。瞳だけでいいぢやないか、触れてみなくたっていいよ。性愛の墓場に行かなくてもいいよ。」