「たかが選手が」プロ野球を大きく揺るがしたプロ野球再編問題

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日本のプロ野球は現在12球団であるが、球団の数が減って1リーグ制に移行する可能性もあった。それは2004年に端を発した近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブとの合併だった。

お荷物球団だった近鉄バファローズ


近鉄バファローズはプロ野球の名物球団として知られ、かつては関根潤三、鈴木啓示、梨田昌孝、阿波野秀幸、野茂英雄、吉井理人、中村紀洋など個性の強い選手で溢れていた。ちなみに、昨年に福山雅治と結婚した女優の吹石一恵の父・吹石徳一も近鉄OBである。

しかし平成に入ると、本社の近鉄が業務拡大による経営失敗により、不良債権処理を進めていた。そんな中で近鉄バファローズは、毎年40億円の赤字を出していたため、売却が検討されることに。
そんな矢先、近鉄買収にライブドア社長の堀江貴文が名乗りを上げたが、近鉄側が拒否。そこで代わりに出たアイデアこそが球団合併だった。

突如として出てきた球団合併


近鉄は2004年の6月、オリックス・ブルーウェーブと球団合併を発表。合併といっても、実情はオリックスが近鉄を吸収し、オリックス側が球団経営を行うというもの。
近鉄とオリックスが合併したことでパ・リーグは5球団、セ・リーグは6球団という歪な形に。これに対してファン、選手の両方から反対の声が相次いだ。

しかしそんな声をよそに、近鉄とオリックスの合併がオーナー会議で承認されると、今度は西武ライオンズと千葉ロッテマリーンズの合併、西武ライオンズと日本ハムファイターズの合併などパ・リーグの球団の合併話が報道を賑わすようになる。
球界再編をして1リーグ制へ移行したい当時の巨人オーナー・渡邉恒雄や西武オーナー・堤義明などの思惑にマスコミもファンも右往左往した。

選手会も反対 史上初のストライキに発展


近鉄とオリックスの合併にプロ野球選手会は、反対の決議案と球団経営の改善案を提出。オーナー側との話し合いを希望。
だがこのような選手会の動きに対し、渡邉恒雄は「無礼なことを言うな。分をわきまえないといかんよ。たかが選手が」と発言。オーナーと選手・プロ野球ファンの溝は深まるばかりだった。

プロ野球選手会はこの合併の流れを止めるべく、遂に最終手段であるストライキを決行する。
ストを決行したのは9月17日と翌日の18日。日本プロ野球でストが行われたのはこれが初めてだった。当時の選手会長の古田敦也は涙を流してスト決行を発表する姿は今もプロ野球ファンの心に残っている。

50年ぶりの新規参入


プロ野球選手会、そしてプロ野球ファンの想いが通じたのか、球団合併は実施されたものの、1リーグ制の話は収束化。球団オーナーからも新規参入を認める発言が出てきた。

これに名乗りを上げたのがライブドアと楽天だ。
ライブドアも楽天も新規参入向け、監督などの人事や球団名などを発表。楽天とライブドアなどの経営状況などのヒヤリングを行った結果、楽天の新規参入が正式に認められ、「東北楽天ゴールデンイーグルス」が誕生することとなった。

消滅する近鉄バファローズ


合併問題に揺れたこの年、近鉄は、最下位は免れたものの5位で終わった。成績は振るわなかったものの、選手たちは最後の近鉄戦士として戦いぬき、近鉄としての最後の試合を控える選手たちに監督の梨田昌孝が残した名言は今も語り継がれている。
「みんな胸を張ってプレーしろ。 お前たちが付けている背番号はすべて近鉄バファローズの永久欠番だ。」

近鉄の選手はその後、オリックス・バファローズと新規参入の楽天イーグルスの分配ドラフトにかけられ、それぞれのチームに移籍していった。

2004年はプロ野球にとって、問題点が浮き彫りとなった年となった。しかしこの騒動を契機に、様々な球団改革が進んだという側面もある。
とはいえ、近鉄バファローズが消滅し、多くの野球ファンを悲しませたのも事実。プロ野球の関係者にはこの騒動を忘れずに、プロ野球をより良いものにする努力を続けてほしい。
(篁五郎)