いまどき、古いノートを読み上げ、板書を写させる、なんていう講義は、学生に見捨てられる。かと言って、アクティヴ・ラーニングの美名で、学生たちに好き勝手にしゃべらせ、遊ばせているだけというのも、どうかと思う。昔から、地方や勤労、貧困など通学困難な事情下にあっても、正規学生の講義録ノートを譲り受けて、勉強しようという篤学の者はいた。また、往復書簡によって、師の指導を仰ぐ、ということも、古来、ずっと行