そして、兵士に対しても説明が必要だ。途中で合流する兵士もいるだろうから、マラソン大会で言えば、次のような募集要項が必要になる。



「信長様の仇討ち」という熱い目標に加え、このレースに勝てば秀吉の世になり、美味しい思いができるという事も匂わせただろう。参加者のモチベーションを高めるのもマラソン主催者や軍師の仕事だ。史実では実際に、途中で多くの兵士が合流した。

今回マラソンに例えているが、実際に中国大返しは「誰がいち早く信長の仇討ちをするか」という、信長の後継者決めに影響する「敵討ちレース」だった。例えば信長軍の筆頭家老、柴田勝家は越中で上杉方を攻めていたが、信長の死を知って京都を目指そうとしていた。

他の武将を出し抜くためにも、一刻も早く移動する必要があったのだ。さらに山崎にゴールして終わりではない。明智光秀を倒すことが最終目的だ。そしてこの勝負に全国の注目を集めるため、周囲にアピールしなければいけない。試しにプロレスのポスター風に作成してみた。



この時代にテレビがあって中継されていれば、視聴率99.9%も夢ではないガチンコのセメントマッチだ。そしてここでも黒田官兵衛の秘策が発動する。決戦のとき、和睦した毛利軍から借りた旗を高らかに掲げたのだ。「毛利軍まで攻めてきたのか」と思った光秀軍の士気は大いに下がった。

そしてこの戦いに勝利した秀吉は、信長の跡継ぎを決める「清洲会議」で存在感を発揮。自分の意見をほぼ通し、秀吉の世になっていく。その会議については、次の番組が詳しい。

7月24日(木)午後8:00〜放送 BSプレミアム「英雄たちの選択」
清洲会議 秀吉・天下への挑戦



振り返ってみれば、1582年、黒田官兵衛による中国大返しが成功しなければ、清洲会議で決まった内容は大きく違っていたかもしれない。そしてその事は、秀吉自身がよく知っていた。秀吉は晩年、「世に恐ろしいものは徳川家康と黒田官兵衛である」と語ったという。

晩年の官兵衛は息子の長政に、「戦いは生死の境目であるから、分別をしすぎると大事な合戦はできなくなる」と言い残した。あれほど戦略を考えつくした男の最後のアドバイスが、「考えすぎるな」というのだから面白い。

生死を分けたその瞬間、武将たちは何を考え、どう動いたのか。NHKでは、『夏は、戦国。』を合言葉に、大河ドラマ軍師官兵衛」だけでなく、「英雄たちの選択」、「先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)・選」といった、戦国時代をテーマにした番組を数多く放送予定だ。
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■関連リンク
NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」
BSプレミアム「英雄たちの選択」
Eテレ「先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)・選」



※記事の内容はフィクションです。
※記事出演:佐谷戸ミナ 撮影:舛元清香 デザイン:大山大介 ポスター案・構成:スエヒロ 企画・編集:谷口マサト