のれんの奥は謎に包まれている

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「質屋」と聞いて思い浮かべるのは、玄関に、瓦屋根に青い暖簾なんかがかかっている、土蔵造りのちょっと物々しい佇まいの建物。勝手なイメージとして、店内は薄暗く、無愛想な店主がドーンと構えてそうである。それに、どんなことをしているのかも謎である。

テレビや漫画で得た知識で、“ブランド品や貴金属などを預けて、お金を借りることができる”ということは何となく知っている。それが余計に、アンダーグラウンドっぽさを高めてしまう。しかし、存在しているからにはそれなりに需要があり、商売として成り立っているということだ。私は質屋という職業の謎に迫ってみることにした。

そもそも質屋って何?
質屋とは、少額の資金を融通する金融機関である。貴金属やブランド品など、消費者の家財を担保に資金を貸し付けする。基本的に担保の価値以上の融資をすることはないので、通常の融資には必要な審査はない。預かり金額(融資金額)は、品物の価値に応じて決まる。質屋の「質」とは、借金の担保として物を預ける行為、品物のことを指し、預けた家財は質草・質種と呼ばれる。融資の際には法律に基づいた利息が発生し、平年年利109.5%と高額だ。これは基本的に少額融資であることや、鑑定・保管の手間などを考慮した上での金利設定である。

また、返済期限の代わりに「流質期限」が設定されている。だいたい3ヶ月以内に借入金額と利息を返済しなければ、質草は質屋のものとなって、契約は終了する。これを「質流れ」という。流れた質草は、店頭販売されるほか、各地域の質屋協同組合が運営する古物市場に売却される。

質草となる品物には、貴金属・カメラなどの家電製品・ゲーム機・高級ブランド品などがある。昭和40年代には呉服・洋服などの衣類や、布団・鍋などの生活用品も財産に当てはまっていたが、近代に入って生活が豊かになったことで扱われなくなった。また、現代では融資だけではなく持ち込み品の買い取り・販売も行っている。

質屋の始まり
質屋が誕生したのは今から700年以上前、貨幣経済が発達してきた鎌倉時代だと言われている。地方の有力者や名主が、領民相手に担保をとった貸付を行っており、これが原型だと考えられる。当時は質屋という呼び名はまだなく、「土倉」(とくら)と呼ばれていた。これは、担保を保管するための土蔵を建てたことに由来している。その後、貨幣経済の普及とともに質屋も発達していく。室町時代には庶民の金融機関としての役割を持つようになり、そして江戸時代に土倉は爆発的に増加。「質屋取締令」という法令も施行され、土倉は質屋という呼び名に変わる。質屋は江戸時代の落語や時代劇によく登場することからも、庶民にとって身近な存在だったことが分かる。

江戸時代に質草となったものに、衣類・キセル・財布・火鉢・大工道具などが挙げられる。衣類は着物は高級品だった。また、鎧兜などの武具類や、将軍家の家紋が入った品物を質草にすることは厳禁だったが、実際は見逃されており、預ける人も多かったという。

また、当時の質屋も土蔵造りの重厚な建物が多いが、これは火事の多い江戸で、質草となる財産を保管するのに、火に強い堅固な倉庫を設ける必要があったためである。現在も蔵を持つ店は多いが、革製品などのデリケートな品物を保管するため、温度・湿度管理に配慮されている。

質屋はどうやって利益を出しているの?
基本的に質屋は質草の価値以下のお金しか貸さないので、返済されれば利子で儲かり、返済されず質流れになっても、質草を売れば利益が出る仕組みとなっている。買い取りする場合も、きちんと利益が出るように買い取り価格を提示する。

また、客が品物を取りに来ないことが続くなどして、在庫が溜まってきたら、店頭販売のほかに質屋専門のセリでも売却する。東京の場合は、東京質屋協同組合が主催となり、都内の質屋同士が持ち寄ってセリを行う。

客が持ち込んだ品物の査定価格は、市場価値に応じて変化するため、中古品市場で相場を常にチェックしておかなければならない。中古品市場とは、買い取り業者の提示価格や、ネットオークションの落札価格などのことである。質屋組合からも随時相場表が発表され、それらを参考にしながら仕入れる商品、融資・買い取り金額を決定する。良質な商品をどんどん販売して利益を上げるためにも、家電・貴金属・ブランド品と、あらゆる品物の相場・鑑定眼に通じておかなければならない。

そのほか、不動産などを持っており、商売以外の収入を得ている場合も多い。また、小さな店舗の場合は人件費・光熱費があまりかからないので、出費が少なく赤字になりにくいという点も、質屋が長く続いている理由だといえる。質屋はこのように、利益を上げるための色々な仕組みや、経営手腕がある。鎌倉時代から続く、700年の歴史は伊達ではないということだろう。

最近の質屋はどんなことをしているの?
質屋は昭和中期ごろまで、質預かりによって生じた利子が主な収入源だったが、高度経済成長期を迎えた1960年代から斜陽化が始まり、70年頃には店舗数が激減してしまう。そこで生まれたのが、店頭にウインドウを作り、質流れ商品を小売する手法だった。

80年代には本格的に小売部門に乗り出し、(株)大黒屋のようなディスカウントタイプの店舗を持つところが増えていった。実際、現在のディスカウントストアは質屋から転業した店舗が多く、東京都台東区の「多慶屋」なども前身は質屋だった。質屋のディスカウントストア化が進むにつれ、消費者からの商品買い取りも積極的に行うようになる。

近年ではネット通販や、ネットオークションに出品する質屋も目立っている。ネット販売のメリットに、仕入れた商品をすぐに販売できること、多くの人の目に触れるので高額商品でも売れやすいことなどが挙げられる。人件費や店舗費用、宣伝費がかからないので大幅にコストカットができるのも利点だ。このように、時代変化に対応していくためにも、さまざまな工夫を行っている。

「街の質屋」に隠された人情
私も貧乏だった学生時代、都内の質屋に質草を預けたことがあるが、どの店も暗い雰囲気はなく、仕組みや利用方法などを丁寧に教えてくれた。それ以来、質屋に対する怖いイメージはなくなった。まあ、しょっちゅう品物を預けるのは褒められたことではないが、一時的にお金に困ったときには利用してみるのも、消費者金融などのお世話になるよりかは安心なのかな、と思う。

質草を預ける人の中には、色々な事情から質屋を最後の頼りにしてくる人も多い。質屋のなかにも、お客さんが本当にお金に困っているようだったら、値段のつかない品物でも最低限の金額で預かったり、本来の融資金額よりも多めに渡す店もあるそうだ。(もちろん、無理を言うのは禁物だが) 高金利だからこそできる行為ではあるが、これは江戸時代、本来は禁止だった武具や、家紋入りの道具を預かっていた実情にも共通する優しさだとも思える。

預かってもらう以外にも、使ってない品物を買い取ってもらって、そのお金で何か欲しい物を買うのも良いだろう。質屋には、“その道のプロ”が仕入れた状態の良いブランド品や、人気のデジカメなどが安く売られていることが多く、本当に掘り出し物の宝庫だ。中古品に抵抗のない人は、是非とも質屋の店頭や、通販サイトを覗いてみて欲しい。

お金がなくて年を越せない!という人、年末の大掃除で使わないものを大量に発掘してしまった人、そんな人は是非とも質屋を利用して、豊かな年越し&スッキリとした新年を迎えましょう!
(富下夏美)

【参考資料】
「誰も教えてくれない『古物商・質屋』の始め方・儲け方」野沢一馬著/ぱる出版
Webサイト:「質屋の歴史・雑学」