​灯台を立てよう/純丘曜彰 教授博士
/予定は、今から先に順に入れていくものではなく、先から今に逆算で入ってくるもの。締め切りこそがライフライン。実感できるもっとも遠いところに自分の灯台を立て、その明かりを頼りに、花道を切り開こう。/

 あなたの予定表、年末で終わり? その先は? 滝になって奈落の底? ようするに何も考えてないんでしょ? 一方、東京。オリンピックが決まったとたん、2020年まで予定がどんどん埋まっていく。それまでに建設だ、おもてなしだ、そうだ語学だ、と。

 予定というのは、今日から見て、順に先に入れていくものじゃない。むしろ反対。未来にある大切なことが決まって、そこから逆算で、予定がつぎつぎと入ってくる。地図やカーナビでも同じ。いくら眺めていたって、ただ平面が果てしなく広がっているだけ。ところが、目的地を決めたとたんに、ルートが決まり、その途中のあれこれが輝き出す。

 人間の時空間というのは、意外に狭い。五感で直接に感じられるより先は、理屈ではわかっていても、実感としては存在していない。たとえば、電車の中。自分の世界なんて、自分と自分の手元くらいのもの。隣の隣の人が何をしているのか、本を読んでいるのか、外を眺めているのか、すら、わからない。それどころか、隣の人ですら、まったく関心が無い。部屋に居れば、コタツとミカン、スマホにテレビがすべて。窓の外の空の色すら知らない。

 おれは将来、マンガ家になりたい、独立したい、留学したい。言うのはけっこう。だが、そんな夢は、実感がない。言わば、お題目かお念仏か。呪文のように無意味な音声が踊るだけ。五感で感じられないから、きみの時空間の中には、永遠に入ってこない。蜃気楼のように、近づいても、どんどん遠ざかる。いつまでも夢のまた夢のまま。しかし、締め切りをデッドラインと言うが、むしろ、それこそライフライン。おれは、来年の四月には留学する、と決めてしまってこそ、そこにきみの人生の花道が開ける。

 妊婦は幸せだ。妊娠した、十ヶ月後には赤ちゃんが生まれる、となれば、その十ヶ月後のクライマックスに向けて、一気に人生の花道が照らし出される。この世に新しい命、なにも持っていない新しい人間が一人増えるのだから、それはもうたいへん。産院の予約に始まり、産着におむつ、ベビーベッドにベビーカー。動けるうちに部屋を片付けないと。お金の算段はどうする。そもそも出産ってどうなんだろう。やらなければいけないこと、調べなければいけないことが、山のように押しかけてくる。そのうえ、おなかが大きくなる、中で動く。まさに子供といっしょの新しい時空間が実感として感じられる。

 今週の予定もろくに無い、それどころか、予定表も持っていない人。テレビの画面で今やっている番組を選んでいるだけの人。スマホで他人の人生、他人の言葉を眺めているだけの人。そういう人は、言ってみれば、真っ暗ら闇の森の中で、テレビやスマホの薄暗い明かりだけを頼りに、かろうじて、いる、というだけ。どこに行く当ても無く、これからなにが起こるのかもわからない。行き当たりばったりでも、なるようになるさ、と言えば聞こえがいいが、実際は、まったく無意味な時間が過ぎ、ただ老いていくだけの毎日。

 直接にきみが実感できるぎりぎり遠いところ、かろうじて明かりが見えるところ。一年後でも、半年後でもいい。そこに自分の灯台を立てよう。それが、この荒波を乗り越えて生きていくための、きみのライフライン。その灯台にたどり着くには、なにをしなければいけないのか。そのためにはなにをすべきなのか。逆算して、いつまでになにを、と探っていけば、今ここから、その灯台まで、きみの花道が開ける。フットライトが、まっすぐにその道を照らし出す。そんなところでずっとぼーっとしている暇は無いはずだ。

by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士

(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。