おわび会見失敗の要因 エリート・コミュニケーションのワナ/増沢 隆太
ホテルの誤(偽装?)表示、みのもんた氏の謝罪?居直り?会見等、不祥事について釈明する機会が今百歩生かせていない事象をどう見るべきでしょう。
コミュニケーションの基本構造から検証しましょう。
記者会見で「バカ野郎!」と怒鳴るみのもんた氏は、果たして問題の二男に対する言葉だったのでしょうか。うるさくつきまとい、自らを批判するマスコミに対する言葉ではないのでしょうか。メニュー偽装について釈明するホテル社長は「会見の態度がおかしい」と批判が出ています。当然のことながら、しゃべりのプロ、経営のプロといった方々が、公の席において謝罪をする以上、ぶっつけ本番で臨む訳が無く、入念な事前打ち合わせや法律面交えた検証の末行われたコミュニケーションであるはずです。
しかしこうした批判を招くのはなぜでしょう。それはコミュニケーション構造の基本である、目的意識が違っているからです。何のためにそのコミュニケーションを行うのかという、そもそもの目的意識が希薄で、とりあえず謝罪、とりあえず(マスコミが)うるさいから説明、もしかしたら自分は謝りたくなんかないけど、仕事だから・・・・などさまざまな本音があるかも知れません。
だからダメなのです。
私の講義では、戦略家クラウゼヴィッツの「戦略の要諦は目標設定にあり」をコミュニケーションにおいても基本姿勢であると教えています。先回の講義時は、もう一人。リデル=ハートの「常に目的を銘記せよ」にも触れました。
何のために謝罪会見をしたのか、おそらく本音では、みの氏も社長も、謝罪より自己弁護や自分の正当性を訴えたかったように感じました。だから失敗だったのだと思います。
コミュニケーションは雄弁術ではないと私の指導する学生には徹底して言っています。テクニックによって言いくるめる、上手いことやる、ことはコミュニケーションではありません。目的の設定と目的意識が間違っていれば、どれだけの演技力や表現をしてもそのコミュニケーションは無駄に終わるでしょう。
理系で、しゃべりに自身が無いという学生が多くいます。しかし私は「上手いしゃべり」とコミュニケーションが全くの別物であることを繰り返し説明します。
「しゃべりが苦手」「プレゼンが下手」と感じている人ほど、目的意識を正確に設定できず、結果として行当りばったりのノープランでコミュニケーションに臨み、片っ端から玉砕、自信を更に喪失という悪循環を繰り返すのです。
謝罪会見の目的は、事態の鎮静化だと思います。私は企業勤務時代もコンサル会社を作ってからもずーっと謝ってきました。謝るのが私の仕事であり、謝ることを通じ、自らのコミュニケーション能力が確実に鍛えられてきたと感じています。
あ、もちろんここで「謝って」るのは自分がミスしたとかではなく、コーポレートコミュニケーションの一環で会社として謝る、わが社のクライアント企業さんのトラブル解決のため謝るという意味です。
事態を鎮静化させるという目的にもかかわらず、テレビスターやビジネスエリートという人たちは、自らをわずかでも貶めることが苦手です。なぜなら論理思考でコミュニケーションを表層的にとらえることが多いため、コミュニケーションの情緒的側面をともすれば無視するかあるいは気付かないからです。
社長など、会社の管理者といったビジネスエリートは基本的に論理的に物事をとらえ、ロジカルに意思決定をし、事業推進します。ビジネスではそれは絶対的に欠かせない重要な思考だからです。ロジカルコミュニケーションが必要な理由もこれです。
しかし組織や、視聴者といった多数の人間、群衆は決して論理では動きません。非論理的な群集心理、人間の汚い心、妬みといったダークサイドは人間が人間である以上必ずあります。論理的な説明はここに対し何も訴えることがないのです。
通常の業務はこうしたロジカルな意思決定とコミュニケーションで進められるでしょう。
謝罪会見を行わなければならないような時は「通常」ではありません。非常事態です。戦時と平時の違い、理論と実践の違い、エリート政治家養成学校出身者とドロ臭い秘書あがり政治家の地力の違いといえるのではないでしょうか。
話下手だ、という皆さん、全然心配いりません。コミュニケーションの戦略性さえあれば、しっかり目標達成は可能です。
コミュニケーションの基本構造から検証しましょう。
記者会見で「バカ野郎!」と怒鳴るみのもんた氏は、果たして問題の二男に対する言葉だったのでしょうか。うるさくつきまとい、自らを批判するマスコミに対する言葉ではないのでしょうか。メニュー偽装について釈明するホテル社長は「会見の態度がおかしい」と批判が出ています。当然のことながら、しゃべりのプロ、経営のプロといった方々が、公の席において謝罪をする以上、ぶっつけ本番で臨む訳が無く、入念な事前打ち合わせや法律面交えた検証の末行われたコミュニケーションであるはずです。
だからダメなのです。
私の講義では、戦略家クラウゼヴィッツの「戦略の要諦は目標設定にあり」をコミュニケーションにおいても基本姿勢であると教えています。先回の講義時は、もう一人。リデル=ハートの「常に目的を銘記せよ」にも触れました。
何のために謝罪会見をしたのか、おそらく本音では、みの氏も社長も、謝罪より自己弁護や自分の正当性を訴えたかったように感じました。だから失敗だったのだと思います。
コミュニケーションは雄弁術ではないと私の指導する学生には徹底して言っています。テクニックによって言いくるめる、上手いことやる、ことはコミュニケーションではありません。目的の設定と目的意識が間違っていれば、どれだけの演技力や表現をしてもそのコミュニケーションは無駄に終わるでしょう。
理系で、しゃべりに自身が無いという学生が多くいます。しかし私は「上手いしゃべり」とコミュニケーションが全くの別物であることを繰り返し説明します。
「しゃべりが苦手」「プレゼンが下手」と感じている人ほど、目的意識を正確に設定できず、結果として行当りばったりのノープランでコミュニケーションに臨み、片っ端から玉砕、自信を更に喪失という悪循環を繰り返すのです。
謝罪会見の目的は、事態の鎮静化だと思います。私は企業勤務時代もコンサル会社を作ってからもずーっと謝ってきました。謝るのが私の仕事であり、謝ることを通じ、自らのコミュニケーション能力が確実に鍛えられてきたと感じています。
あ、もちろんここで「謝って」るのは自分がミスしたとかではなく、コーポレートコミュニケーションの一環で会社として謝る、わが社のクライアント企業さんのトラブル解決のため謝るという意味です。
事態を鎮静化させるという目的にもかかわらず、テレビスターやビジネスエリートという人たちは、自らをわずかでも貶めることが苦手です。なぜなら論理思考でコミュニケーションを表層的にとらえることが多いため、コミュニケーションの情緒的側面をともすれば無視するかあるいは気付かないからです。
社長など、会社の管理者といったビジネスエリートは基本的に論理的に物事をとらえ、ロジカルに意思決定をし、事業推進します。ビジネスではそれは絶対的に欠かせない重要な思考だからです。ロジカルコミュニケーションが必要な理由もこれです。
しかし組織や、視聴者といった多数の人間、群衆は決して論理では動きません。非論理的な群集心理、人間の汚い心、妬みといったダークサイドは人間が人間である以上必ずあります。論理的な説明はここに対し何も訴えることがないのです。
通常の業務はこうしたロジカルな意思決定とコミュニケーションで進められるでしょう。
謝罪会見を行わなければならないような時は「通常」ではありません。非常事態です。戦時と平時の違い、理論と実践の違い、エリート政治家養成学校出身者とドロ臭い秘書あがり政治家の地力の違いといえるのではないでしょうか。
話下手だ、という皆さん、全然心配いりません。コミュニケーションの戦略性さえあれば、しっかり目標達成は可能です。