反転授業の活かし方(後)/寺西 隆行
教育の新しい手法として、最近話題になってきた感のある「反転授業」。
その課題と、課題解決の切り口などについて整理してみました。(後編)


前編の続きです。


3.教師が「教え込む人」から、「子どもとともに考え、話し合う人」へという、役割の変化にどこまでついていけるかだ。(以上、引用)


これは「教師ができるかどうか」の問題ですよね。
「教師はできないでしょ、だから反転授業はよくない」という心配の声は、心配すること自体はわかるものの、反転授業の善し悪しの本質とは離れます。
(これを言い出すと、そもそも教員養成の話から触れ出さないといけませんし…)
きっと現実は、「できる先生もいるでしょうし、なかなか実施が困難な先生もいる」という状態でしょう。
その状態を鑑みて「やる」と決めるかどうかは、「やる」ことが
・地域的に
・時代の趨勢的に
求められているかどうか、ということだと思います。

前者、つまり、「“武雄市”でやる」ことの是非については、武雄市の中での優先順位付けだと思いますので、言及は避けます。
地域のことは地域で考えた方が問題解決につながる、ということ、僕が現在住んでいる三島市や、訪問させていただいた上勝町などの事例から育まれた、僕自身の考え方ですので。

後者…時代の趨勢的に、「授業(方法)の転換」は、「求められている」と感じています。
ありきたりな表現になってしまいますが、「問題解決力」が必要な時代になっていますから。

・答えのない問題に「最適解」あるいは「(多くの人が)納得する解」を見つけ出す力
・それらの解を実行する力
・それらの解にたどりつくまでのディーベト力や交渉力
・そもそも問題を見つける力
・問題を自らの能力や立つ位置にあてはめ、「課題」とする力

などは、恐らく従来型の授業形態よりも、朝日新聞が述べた「子どもとともに考え、話し合う」授業形態の方が身につく部分が大きいのではないでしょうか。

確かに慣れていない先生の負担は大変なことだと思います…
ですが、「子どもたちのためならやっていこう!」という先生方も大勢いると思うんです。
その証拠が、上越教育大学、西川純教授の提唱する『学び合い』に集う先生方が増えているという事実。

『学び合い』はあくまで「学び合おう!」という「考え方」です。そしてその本質にある思想性は、「一人も見捨てない」。おちこぼれを出さない、ということなんですね。
そしてその考え方を具現化した形態として、「子どもとともに考え、話し合う」授業がとられることが一般的で、その方法論を採用している先生方が、グループをつくるとこんなにいらっしゃるんです。

反転授業を実施し、そのことにより空いた、これまでの「授業」という空間と時間を使い、『学び合い』の考え方を元にした授業を展開すると、落ちこぼれは防げることが期待できますし、学力下位層や家庭学習力の弱い層のカバーもできるのではないでしょうか。
加えて、わからない子に教えてあげる、という行為を通じて、「(理解力の面で)できる子」にも、上記の「問題解決力」が身につくことが期待できます。これは、僕自身の実体験をあわせても、強くそう思います。

僕自身が受けた教育過程を振り返りながら、すごーく率直な気持ちを申し上げれば
「授業の中で先生の教えることだけを聞いていてもつまらなかったな…だって予習で“知っている”ことが多かったから…。おおっ!授業時間が、“先生の話を聞く”以外の時間に使えるなんて、授業が楽しくなる!」
とは思います。
これはかなりの主観ですけどね(笑)。ただ、教育論を語るときには、その人の受けた教育が色濃く反映せざるを得ないので、押し付け的に教育論を語る方は、もう少し「そういうもんなんだ」という姿勢で話して欲しいな、と思いますけどね(余談でした)。