半沢直樹を正しく理解するためには調達購買の知識が不可欠です(笑)


「このクソ上司め!」「やられたらやり返す。倍返しだ!」で有名になったドラマ「半沢直樹」。ストーリー説明は不要でしょうけれど、堺雅人さん扮する銀行マン半沢直樹を主人公にし、銀行と融資先、そして金融庁を舞台に描くサラリーマンドラマです。これが痛快。上司にはたてつき、正論を通し、取引先にも自分の正議を貫く。この原理主義的な行動がウケているのでしょう。


「このクソ上司め!」「やられたらやり返す。倍返しだ!」といったフレーズがウケているのは、もちろん、視聴者のサラリーマンたちが、そんなことは言えねえよ、と思っている裏返しですよね。主人公の半沢直樹が自分を代弁してくれている。あるいは視聴者が主人公に自己を投射しているのでしょう。やや抽象的ですが、私はここにキリスト教的なるものへの懐疑を見て取ります。


これまででしたら、「まわりの人たちを愛せ」「仕返ししても何も生み出さない」「まわりのひとを信じることからはじまる」といったフレーズが瀰漫していました。「右の頬を打たれたら、左の頬も差し出しなさい」とかね。でも、私がずっと疑問だったのは、なぜ「右の頬を打たれて悔しい」と思うていどに強くなれないのか、ということでした。やり返さないにせよ、なぜ少なくとも「馬鹿野郎」と思うていどに強くなれないのか、と。みなを愛しなさい、といったって、現実社会ではそんなキレイゴトばかりで渡っていけませんよね。


私だけではなく、そうか、みんなも同種の感情を抱いていたのだ、と半沢直樹を見て思います。キリスト教的なるものへの懐疑、というと大袈裟です。ただ、「復讐」とか「倍返し」とか「やり返す!」といったフレーズに心躍ったのも事実だと思うのですよ。


私が思うに、実は職業人としての成長エンジンは、こういったマイナスの感情にあるのではないでしょうか。もちろん、世の中を良くしたい、とか、まわりの人を幸せにしたいといったプラスの感情は否定しません。でも、少なからぬ側面で、これらマイナスの(ある意味コンプレックスの)感情を無視してはいけないと思うのです。たとえば、調達・購買の仕事だって……。


一概にはいえませんけれど、調達・購買の世界で活躍しているひとたちも、根底ではこのようなコンプレックスがあるように思います。あるいはマイナスの感情があるように思います。私だって、調達・購買の世界で「やってやるぞ」と思ったのは、あまりにも社内地位が低く「負けるもんか」と誓ったのがキッカケです。くだらない、と思われるでしょうけれど、マイナスパワーもうまく使えばいい。半沢直樹が、あれだけ一流の銀行マンたるゆえんも、この復讐心からだと思うのです。


会社のなかで開発・設計者は、技術的問題が解決しないまま新製品開発を続けねばなりません。生産管理は、無数のサプライヤを自社生産タイミングにあわせねばなりません。そして、それらのしわ寄せと哀しみが調達・購買を覆うのです。かつて「設計は矛盾を抱え、生産は不可能と対峙し、調達はその不合理を背負うのだ」という言葉がありましたが、けだし名言です。その不合理とか不条理を抱えた部門である調達・購買は、少なからず負のパワーを成長へとつなげていかねばならない。


ここで話を飛躍させて終わるのであれば、こういっておこうと思います。社内の不合理や不条理をかかえ、そしてロクでもない仕事だけに従業し、さらに社内地位が低く、どうしようもない立場にいるとすれば−−。そういうあなたこそ、もっとも成長できるはずだ、と。


銀行マンなる地味な仕事があれだけエンターテイメントになっている事実に感心しながら、私はそんなことを考えていました。