そこにパーソナリティや好き嫌いを持ち込むことは組織管理ではありません。問題化、問題顕在化させないこと。そのための可能性をすべて遮断することこそ組織管理者の役目といえるでしょう。


大阪市の校長がやはりセクハラで問題になりました。「大阪風のノリだった」などというばかばかしい言い訳があったとのことですが、全く組織を理解していない、管理者としての不適性以外の何物でもありません。被害を受けた女性がそれを広く認めたと、どうして認識できるのでしょうか。「大阪のノリ」は誰が定めたものでしょうか?
民間の力を活用するはずの大阪市で、校長やら区長やら、限られた人数の中で異常に高率で組織トラブルが発生しているのは、管理者としての適性を見抜けていない選考に大きく問題があると思っています。


いずれにしてもこのように一方的なコンセンサスを強要する姿勢がハラスメントの温床です。組織管理者が対処しなければならないことはこうした一方的な価値の押し付けが起こる社内環境です。
「人によっては喜ばれる」は、イクオール「喜ばれない」こともある訳です。
それを上司など、権力を持つ者が行えば立派な犯罪行為となります。それをうやむやにして現場に責任転嫁するというのは、正に問題の隠ぺいであり、組織としては危機的状況といえるでしょう。トヨタアメリカのセクハラ事件での賠償額は200億円ともいわれます。
むしろ視聴率も内容もマンネリ化した帝王司会者を切る英断の機会として活用できれば、TBSもリスクとコーポレートイメージでメッリトがあったのでは、と思ってしまいました。