「腹の飢え」がなくなった私たちが、それに代わって、何かもっと大きな価値を成就したいという「心の渇き」を内面に起こし続けることができるのか。これは、個人にとっても、組織・社会にとってもほんとうに大きな課題です。


先日、「仕事・キャリアを考える」セミナーをやりました。参加希望者を公募するタイプのもので、いろいろな業界、職種から集まっていただきました。私は普段、企業内研修を主に行っており、顧客企業の外で、こうしたオープン型のセミナーはほとんどやりません。ですが、受講者のいろいろな個人発表を聞くに、私もたくさんの気づきが得られました。


何よりもよかったのが、みなさんの真剣に参加される熱でした。セミナーを終え会場を出るときに、今晩はほんとうに“よい会”だったなと思えました。 “よい会”というのは、つまり、参加者の1人1人が真摯に仕事・キャリアを考え、それを共有し合い、啓発し合い、未来への元気を湧かし合う場ができたという意味で、よい会でした。


何年も研修やセミナーをやり重ねてくると、どれだけのものが受講者側に沁みているか、響いているかがわかるものです。その沁み具合や響き具合が、今回は近年ではまれなほど強く感じられました。人は深い内省によって心の奥底から力を得ることがありますが、そのときの静かな高揚感が、会場全体にずしんと満ちたように思います。


帰りの電車の中で私は、なぜ今晩は特にそういう会ができたんだろうと考えを巡らせました。で、得た答え。───それはやはり「飢餓感」の違いなんだろうな、と。


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