日曜作家のすすめ/純丘曜彰 教授博士
/いまどき作家でプロになっても、まず喰えない。いっそ日曜の趣味と割り切れば、自分の頭ひとつでどこでもできる贅沢な楽しみ。尽きることのない想像の中で、身近な風景が虹色に輝き出す。/
小説を書く、というと、すぐ、どうやったら賞を取れるか、とか、自費出版でも本を出したい、とか。だが、趣味の油彩や楽器で、絵を売りたい、CDを出したい、なんてやつがいるか? 絵を描くこと、演奏することそのものが楽しいから自分で好きでやっているんで、べつにそれを人に見せびらかしたりする必要などないし、まして、それで一発当てようなんていうやつは、まずいない。なのに、いつから小説だけ、こんなに山っ気が強くなってしまったのだろう?
たしかに、かなり昔、ちょっと小説を書いただけで大もうけが出来た時代もあったのかもしれない。テレビさえも無いころは雑誌というものが絶大な全国的影響力を持っており、それに載るだけで、一躍、文化人の仲間入りができた。しかし、それははるか昔。いまどき雑誌なんかに出たところで、そんなのを読んでいる人は限られている。読んだ人でさえ、翌週には何も覚えてはいない。もちろん人気作家で作品も映画化されているような人もいるが、それは、ほんの数えるほどの特異な例外。それだって、次々と新しいのが出てくるから、昔と違って売れ行きは何年ももたない。大半の作家は、喰い詰めている。本を出したところで数千部。百万円にもなれば、かなり運がいい方。
いまどき作家なんて、喰える商売ではない、日曜の趣味だ、と割り切った方が話が早い。喰えないならやらない、というような人は、そもそも向いていない。だいいち、作家になりたいというだけで、どうしても書きたいことがあるわけでもないような空っぽのやつが無理やりページを字で埋めたところで、読ませる中身があるとはとうてい思えない。
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小説を書く、というと、すぐ、どうやったら賞を取れるか、とか、自費出版でも本を出したい、とか。だが、趣味の油彩や楽器で、絵を売りたい、CDを出したい、なんてやつがいるか? 絵を描くこと、演奏することそのものが楽しいから自分で好きでやっているんで、べつにそれを人に見せびらかしたりする必要などないし、まして、それで一発当てようなんていうやつは、まずいない。なのに、いつから小説だけ、こんなに山っ気が強くなってしまったのだろう?
たしかに、かなり昔、ちょっと小説を書いただけで大もうけが出来た時代もあったのかもしれない。テレビさえも無いころは雑誌というものが絶大な全国的影響力を持っており、それに載るだけで、一躍、文化人の仲間入りができた。しかし、それははるか昔。いまどき雑誌なんかに出たところで、そんなのを読んでいる人は限られている。読んだ人でさえ、翌週には何も覚えてはいない。もちろん人気作家で作品も映画化されているような人もいるが、それは、ほんの数えるほどの特異な例外。それだって、次々と新しいのが出てくるから、昔と違って売れ行きは何年ももたない。大半の作家は、喰い詰めている。本を出したところで数千部。百万円にもなれば、かなり運がいい方。
いまどき作家なんて、喰える商売ではない、日曜の趣味だ、と割り切った方が話が早い。喰えないならやらない、というような人は、そもそも向いていない。だいいち、作家になりたいというだけで、どうしても書きたいことがあるわけでもないような空っぽのやつが無理やりページを字で埋めたところで、読ませる中身があるとはとうてい思えない。
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