日本の信仰は本末転倒/純丘曜彰 教授博士
/いまの日本は、一億、オレはお客様教。自販機で缶コーヒーを選ぶかのように、どの宗教がどうこう、どの神仏がどうこう、と、能書きを垂れる。だが、どの宗教でも、神仏の側が人を選ぶ。選ばれるに値するだけのことを日頃から精進しなければ、話にもなるまい。/
近頃はパワースポットがはやりだそうだ。休みともなれば、観光気分で国内外の寺社や教会に押しかける。なかでも、縁結びだの、合格祈願だの、商売繁盛だの、御利益のありそうなところは、車やバスや飛行機で大勢が押しかけ、次々と御札や御守を「買って」いく。結婚式では、心にも無い賛美歌をみんなで合唱し、誰だか知らない牧師だか神父だかの音頭で愛を誓い、葬式では、とりあえず適当な坊主を呼びつけ、とりあえず適当な経を読ませておしまい。通販だか雑貨屋だかで買ったムダに豪華な数珠や十字架をチャラチャラと周囲に見せびらかし、仏教だ、キリスト教だ、やっぱり神社だ、などと語るありさまは、まるで自販機の前で缶コーヒーでも選んでいるかのようだ。
あらひとがみ、が、あっけなく米国に負け、戦後の小市民平等主義とバブルの拝金資本主義の結果、いまや、そこら中に、一億二千万もの、オレはお客様教、の御神体が闊歩している。ホテルやデパートはもちろん、病院や学校でさえ、おれハ大金ヲ使ウ上得意ノお客様ダゾ、丁重ニ扱エヨ、と、喚き散らし、ふんぞり返る。その同じ調子で、寺社や教会でも、ワザワザおれ様ガ現なまヲ落トシニヤッテ来テヤッタンダカラ、アリガタク思エ、とばかりに、好き勝手にどこにでも入り込んで、不作法に写真を撮りまくる。そして、オイコラ、ソコノ神仏トヤラ、かねガホシイカ、ソラヤルゾ、サア、トットトおれ様ヲ救ッテミセロ、と、小銭を投げつける。
続きはこちら
近頃はパワースポットがはやりだそうだ。休みともなれば、観光気分で国内外の寺社や教会に押しかける。なかでも、縁結びだの、合格祈願だの、商売繁盛だの、御利益のありそうなところは、車やバスや飛行機で大勢が押しかけ、次々と御札や御守を「買って」いく。結婚式では、心にも無い賛美歌をみんなで合唱し、誰だか知らない牧師だか神父だかの音頭で愛を誓い、葬式では、とりあえず適当な坊主を呼びつけ、とりあえず適当な経を読ませておしまい。通販だか雑貨屋だかで買ったムダに豪華な数珠や十字架をチャラチャラと周囲に見せびらかし、仏教だ、キリスト教だ、やっぱり神社だ、などと語るありさまは、まるで自販機の前で缶コーヒーでも選んでいるかのようだ。
あらひとがみ、が、あっけなく米国に負け、戦後の小市民平等主義とバブルの拝金資本主義の結果、いまや、そこら中に、一億二千万もの、オレはお客様教、の御神体が闊歩している。ホテルやデパートはもちろん、病院や学校でさえ、おれハ大金ヲ使ウ上得意ノお客様ダゾ、丁重ニ扱エヨ、と、喚き散らし、ふんぞり返る。その同じ調子で、寺社や教会でも、ワザワザおれ様ガ現なまヲ落トシニヤッテ来テヤッタンダカラ、アリガタク思エ、とばかりに、好き勝手にどこにでも入り込んで、不作法に写真を撮りまくる。そして、オイコラ、ソコノ神仏トヤラ、かねガホシイカ、ソラヤルゾ、サア、トットトおれ様ヲ救ッテミセロ、と、小銭を投げつける。
続きはこちら