指原姓に隠された猟奇的暴君のスキャンダル/純丘曜彰 教授博士
/指原の姓は、江戸時代始めまでの指腹の慣例に基づくものではないか。それは、自分の腹を割いて潔白を示し、相手にも切腹を迫るもの。実際、大分府内藩第二代竹内重義は、妖刀村正に魅せられ、キリシタン惨殺とアジア密貿易に狂った猟奇的暴君だった。/
最近、よく見かける名前だが、最初はなんと読むのかわからなかった。だが、読み方がわかって、とても驚いた。時代小説などを知る人なら、気づいた人も多いだろう。広く九州では「原」は、あえて「はる」と読む。「はら」とは読まない。おそらく「はら」が「腹」を連想させる忌み言葉だから。それをわざわざ「はら」と読むとなると、もともとはまさに「腹」だったのだろう。そして、「腹」とは、切腹のことににほかならない。
指腹(さしはら)とは、特定の相手を名指して切腹すること。江戸時代の始めくらいまでは、かなり広く、武家はもちろん庶民まで、慣習として行われていたらしい。起源については、想像の域を出ない。そもそも切腹そのものが、古代の神明裁判の「盟神探湯(くがたち、熱湯に手を入れて火傷しなければ潔白)」のころからの、赤心(偽りなき心底)を示す最終方法だったらしい。それは、たんなる自刃(自殺)ではなく、また、みずからの罪をみずから処断する自決としての切腹とも違う。たとえば、追い腹のように、二君に見(まみ)えず、主君(衆道の愛兄)と生死を共にする、とか、さらには、男女の心中なども、おうおうに一種の指腹だろう。
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最近、よく見かける名前だが、最初はなんと読むのかわからなかった。だが、読み方がわかって、とても驚いた。時代小説などを知る人なら、気づいた人も多いだろう。広く九州では「原」は、あえて「はる」と読む。「はら」とは読まない。おそらく「はら」が「腹」を連想させる忌み言葉だから。それをわざわざ「はら」と読むとなると、もともとはまさに「腹」だったのだろう。そして、「腹」とは、切腹のことににほかならない。
指腹(さしはら)とは、特定の相手を名指して切腹すること。江戸時代の始めくらいまでは、かなり広く、武家はもちろん庶民まで、慣習として行われていたらしい。起源については、想像の域を出ない。そもそも切腹そのものが、古代の神明裁判の「盟神探湯(くがたち、熱湯に手を入れて火傷しなければ潔白)」のころからの、赤心(偽りなき心底)を示す最終方法だったらしい。それは、たんなる自刃(自殺)ではなく、また、みずからの罪をみずから処断する自決としての切腹とも違う。たとえば、追い腹のように、二君に見(まみ)えず、主君(衆道の愛兄)と生死を共にする、とか、さらには、男女の心中なども、おうおうに一種の指腹だろう。
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