/昨今、そこら中の大学に「映画学」専門を自称する教員がいるが、ほとんどは語学崩れ。海外で学んできたと言う若手も、その多くは映画について学んだだけで、映画が作れるわけではない。芸術大学には、きちんとコースがあるが、これも、分野の壁が厚く、時代に追いついていない。ようするに、だれも君に教えられない。むしろ、新しい「映画学」は君が作るものだ。/


 将来性のある映画や映像の作り方について学んでみたい、という若者は少なくない。実際、これからの国際コミュニケーションの主軸は、メールよりも会話、そして映像に変わっていくだろう。では、それを教えてくれる大学があるか、というと、はてさて。



 とにかく昨今の大学には、どこもかしこも、自称「映画学」専門の教員が腐るほどいる。しかし、その実体は、もともと独語や仏語、露語、英国英語などの文学研究者だったのに、志望学生がゼロになってしまい、学科も潰され、一般教養に潜り込んで映画を見せてお茶を濁しているだけ、というような連中がほとんど。


 ドシロウトのくせに、映画が大好き、という私的な趣味だけで、大学水準の学問として学生に教える資格があるのか。多くの映画を知っているだけで映画がわかるなら、百回も家を引っ越した北斎や国周は、大工にだってなれただろう。そもそも、いくら立派な法学者であっても、かってに医学者にはなってはいけないのと同様、専門分野を変えるなら、相応の学位を一から取り直すのがアカデミズムのスジだと思うが、連中をクビにしても捨てる山が無いから、業界のナアナアで、このかってな自称を黙認しているのが実情。


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