浅草のシェアオフィス「LwP asakusa」にて

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「そろそろ社会に対して思うことを作品に反映させてみたいと思いはじめている」――「MY HOUSE」の予告サイトにある堤幸彦監督のことばだ。映像はモノクロ。BGMなし。主人公は寡黙なホームレス。「金田一少年の事件簿」「トリック」「20世紀少年」3部作、そして現在公開中の「劇場版 SPEC〜天〜」と、エンターテインメント作品を撮り続けてきた売れっ子監督・堤幸彦の作品とは思えぬ映画だ。原作は建築家・坂口恭平さんの『TOKYO 0円ハウス 0円生活』。主人公のモデルとなった実在の人物――隅田川沿いに暮らすホームレスの機知と工夫にあふれる暮らし方を描いた本だ。

「新しいコミュニティ、つながりのあり方を考える上で参考になる」と坂口さん自身の0円生活実践の書『ゼロから始める都市型狩猟採集生活』を紹介しているのが、ベストセラー『下流社会』で知られる三浦展さんの最新作『第四の消費』だ。この本では、モノを買っても幸せになれなくなった「わたしたち」が、これからどうすれば幸せになれるのかが考察されている。

なぜ今、堤さんはホームレスの映画を撮ろうと思ったのか。

なぜ今、三浦さんはホームレスの生き方に注目するのか。

『TOKYO 0円ハウス 0円生活』  
『ゼロから始める都市型狩猟採集生活』  
『第四の消費』  

堤 幸彦

映画監督、演出家

1955年、愛知県生まれ。法政大学中退、東放学園専門学校放送芸術科卒。テレビディレクターを経て、88年に故・森田芳光プロデュースのオムニバス映画「バカヤロー! 私、怒ってます」内「英語が何だ」で映画監督デビュー。91年にはオノ・ヨーコ主演の「ホームレス」をニューヨークで撮影している。95年に手がけたテレビドラマ「金田一少年の事件簿」が、その斬新な演出で大きな話題となり、以後「ケイゾク」「トリック」「SPEC」と大ヒットドラマを連発する。主な映画監督作品に「さよならニッポン! GOODBYE JAPAN」(95)、「トリック劇場版」(02)、「明日の記憶」(06)、「自虐の詩」(07)、「20世紀少年」3部作(08〜09)、「BECK」(10)、「はやぶさ/HAYABUSA」(11)、「劇場版 SPEC〜天〜」(12)など。

 

三浦 展

社会デザイン研究者/株式会社カルチャースタディーズ研究所代表

1958年、新潟県生まれ。82年、一橋大学社会学部卒、パルコ入社。86年、マーケティング情報誌「アクロス」編集長となる。90年、三菱総合研究所入社。99年、世代、家族、消費、都市問題等の研究を踏まえ、新しい社会デザインを提案している。2005年刊行の『下流社会』(光文社新書)が80万部のベストセラーとなる。『「家族」と「幸福」の戦後史』(講談社現代新書)、『ファスト風土化する日本』(洋泉社新書)、『これからの日本のために「シェア」の話をしよう』(NHK出版)、『無印ニッポン』(中公新書、堤清二との共著)など著作多数。最新刊『第四の消費』が話題に(朝日新書)。

 
 

5月26日(土) 新宿バルト9他 全国ロードショー

主人公の鈴本(いとうたかお)は、都会の公園で暮らす中年のホームレス。廃材とビニールシートでつくった「家」で、パートナーのスミ(石田えり)と暮らしている。磁石で拾い集めた釘、捨てられている家電製品、自動車用バッテリー……「街の幸」に目を止め、工夫を加え、鈴本はほぼ0円で生活している。 鈴本は、食料品やコインランドリーの代金に、街に捨てられたアルミ缶を拾い集めて換えたおカネを使う。アルミ缶集めが鈴本の仕事だ。ラブホテルの社長(板尾創路)と交渉し、ホテルから出る空き缶を手に入れる。ある家のゴミ捨て場に置かれる缶を回収し、代金がわりにゴミ捨て場を掃除する。その家の中では、潔癖症の主婦トモコ(木村多江)が毎日毎日掃除をしている。その街には、エリート進学塾に通う中学生ショータ(村田 勘)がいる。交わるはずのなかった彼らの暮らしが、ある事件をきっかけに交錯していく──。

MY HOUSE
原作=坂口恭平『TOKYO 0円ハウス 0円生活』(河出文庫)、『隅田川のエジソン』(幻冬舎文庫)
原案=堤 幸彦 脚本=佃 典彦 監督=堤 幸彦
©2011「MY HOUSE」製作委員会 配給:キングレコード/ティ・ジョイ
MY HOUSE」オフィシャルサイト http://myhouse-movie.com/

 

ホームレスの「家」の中はきれいです

三浦 主人公のホームレス、鈴本さんの家の中は、きれいですよね。

堤 ええ、きれいです。

三浦 かつ、モノにあふれている。

堤 モデルになった実在の人物、鈴木さんの家の中の完コピです。

三浦 つまり「MY HOUSE」は、けっしてモノや所有を否定しているわけでは、ない。

堤 そうですね。

三浦 鈴本さんのパートナーの女性は、スーパーで1万円も食料品を買ってきちゃうし。

堤 あれも実話です。

三浦 だから「MY HOUSE」は、モノや所有への対極を言う映画ではないと思ったんです。じゃあ、何が対極なのかなというと、「工夫」なのかなと。映画には、広告に洗脳されてひたすら洗剤で風呂や食器を洗い続ける潔癖症の主婦・木村多江と、何かを拾って、何かに使えないか、しかも別の用途に使えないかと工夫するのが楽しいとつぶやく鈴本さんの違いなのかなと。

堤 今、モノを拾って自分に役立てて使うということは、ほんとうに忘れられていると思うんです。買って捨てることだけが生活となっている。鈴木さんがやっていることで象徴的なのは、ほんとうに磁石でクギを拾っているということです。僕も小学校3年のときにちょっとやった記憶はあるけれども、クギを拾うっていうこと自体がほんとうに新鮮でした。さらにアイデアが膨らんでいくと、ガソリンスタンドで捨てられている使用済みの自動車用バッテリーを拾うようになる。実際、モデルの鈴木さんの家にはテレビがあって、動いている。でも、僕らはそもそも、どこにバッテリーがあるかということすら知らない。

 原作を書かれた坂口恭平さんのフィールドワークが面白いのは、バッテリーって、ガソリンスタンドの縁石の端ギリギリのところに置いてあると気づくことです。ガソリンスタンド側がバッテリーを捨てようとするとお金がかかる。ほんとうはタダで捨てたいのだけれど、でも、それはできない約束になっている。だから縁石ギリギリのところにバッテリーを並べておき、アイコンタクトで鈴本さんに「どうぞ持っていって」という、流通システムにそういう工夫があるわけです。

三浦 そこに見えない糸があるんですね。

堤 そうなんです。その機知を得るためには、相当足で稼ぐことが必要だろうし、同時にクレバーな頭の回転力がないとできない。

自転車でものを運ぶと、目立つ

三浦 僕もけっこう拾い物をするんです。4年前に中古マンションを買ってリノベーションしたときに、お金が足りなくなったこともあって(笑)家具は、ほぼ中古品と拾い物で揃えました。

堤 三浦さんが、拾い物。はぁー。

三浦 今日は粗大ゴミの日だったので、立派な額が捨ててありましたね。持って行こうと思ったのだけれど、重いのでやめました。ぼくの家の近所は、最近は耐震のために家を建て替える人が多いので、「おばあちゃんが大切にしていたものだけど」という古い良いモノが捨ててある。捨てるだけじゃなくて、玄関の前に「どうぞ持っていってください」と貼り紙がしてある人も多くて。それを拾っていると、けっこういいものがあるし、なにしろタダですし。一応セレクトしていますが、どんどん自分の家が拾い物でいっぱいになってきて。

堤 鈴本さんの家と同じですね。

三浦 さすがに家そのものまでホームレスの暮らしはできないんだけど、拾って工夫すれば暮らせるよっていう鈴本さんにひじょうに共感したんです。しかも、最低限の暮らしではなく、それなりの暮らしができる。僕が暮らしているのは杉並なので、金持ちがいいものを捨てている。拾って暮らしたほうが、よりクオリティ・オブ・ライフを上げられちゃうわけです。

堤 なるほど。

三浦 映画を観ていて、もうひとつ、鈴本さんに自分が重なったことがあるんです。僕はリノベーションしたマンションと、仕事場と、自宅の3地点を行ったり来たりするのですが、車を運転しないものですから、たまに本を運んだり、家のビデオが壊れたからと仕事場から持っていったりするときに、自転車に荷物を積んで行くんですよ。ふと思うと、今、自転車でモノを積んで走っている人っていないんですね。そば屋でも、新聞屋でもバイクでしょう。荷台にモノを積んで走っている中年のおじさんは、杉並あたりではちょっと怪しまれる。浅草のこのあたりは、まだたまにリヤカーを引っ張っていく人がいますけれど。今は、自転車にそもそも荷台がない。

堤 そうですね。ブレーキすらないですからね(笑)。

三浦 そうそう(笑)。

「ホームドラマ」になくて「MY HOUSE」にあるもの

三浦 この映画の題名は「MY HOME」ではなく、「MY HOUSE」ですね。これはなぜですか。

堤 そもそもは坂口さんの原作に習って、「0円生活0円ハウス」という題名で準備していたのですけれど、ある日突然「MY HOUSE」という言葉が降ってきまして。「カモナマイハウス」っていう歌もあるなとか思いましてね(笑)。「MY HOME」だと、郊外にあるような、現代の生活拠点のようなイメージがしてしまう。そこには家族があり、旦那さんの出撃基地であり、教育をする家庭であり、主婦がいて……というイメージがある。鈴本さんの家は、お医者さん一家の暮らす郊外の一戸建てのような「家」ではない。だけども確かに家なんです。そこが一番、この主人公の人となりの面白いポイントなわけでして。それを表現するには「MY HOUSE」は一番ぴったりな単語だと思ったんです。

三浦 僕は「マイホーム」という言葉が、あるときから違和感を持たれるようになってきたと思っているんです。2001年に僕は、『マイホームレスチャイルド』という本を出しました。「マイホームレス」っていう言葉を思い付いたのは99年か2000年です。1999年に出した『「家族」と「幸福」の戦後史』の中では、マイホームの限界みたいなことを書いていました。実際、マイホームを捉え直すのは、郊外に生まれ育った団塊ジュニアあたりだろうと思っていましたし、もう35年も前に「岸辺のアルバム」(脚本・山田太一、主演・八千草薫)というテレビドラマがあって、マイホームが虚妄だという常識が出始めてはいたのですが、そのころ生まれた人たちが大人になったときに、単に虚妄というのではなく、別の「ホーム」という捉え方が生まれてくるんじゃないかと、ずっと考えてきたんです。それから今日までの間に、特に今度の震災後、「マイホーム」ということばは、かなり使いにくい言葉になってきたと思います。

『マイホームレスチャイルド』  
『「家族」と「幸福」の戦後史』  
『岸辺のアルバム』(有料動画配信)  [TBS オンデマンド]

堤 「岸辺のアルバム」は、申し訳ないですけれど見ていないんです。小学生のころは別ですけれど、私は大学を辞めるまで、ほとんどテレビも映画も観ていないんです。一番皆さんと話が合わないのが「青春シリーズ」とか、「赤いシリーズ」。まったくといっていいぐらい、ひとつも見ていない(笑)。ただ、これは私のものを作る原点とも言えるんですが、亡くなられた演出家の久世光彦さんを尊敬していまして、「寺内貫太郎一家」や、その前の「時間ですよ」は、ほぼリアルタイムで観ていました。

「時間ですよ 1971 BOX1」(第2シーズンのDVD)  
「寺内貫太郎一家-DVD-BOX-1」  

堤 「寺内貫太郎一家」で樹木希林さんが(沢田研二のポスターに向かって)「ジュリ〜!」って叫ぶくだりは、虚像、虚構のストーリーの中に、リアルがいていいのだという印象を強く持ちました。嘘っぱちのストーリーなのだけれど、そこにリアルなものをどんどん放りこんでいくという、自分がドラマや映画を作るときにずっと続けてきたやり方、その原点と言っても差支えない。もちろんストーリーも破天荒なキャラクター造形も面白かった。けれども、落ち着くところは落ち着いていて、日本人の原風景を見るようなくだりもあり、同時にひじょうに現代的でもあり。刺激的なドラマでした。あれが私の出発点なんです。

三浦 僕も「赤いシリーズ」や「寺内」のころは受験生だったので、リアルタイムではあまり見ていないんですが、『「家族」と「幸福」の戦後史』を書くときにビデオを全部集めて、ほとんどを観ました。そのとき気がついたんですが、「寺内」も「時間ですよ」も、実はあまりうまくいっていない家族なんです。

堤 そうなんですよね。

三浦 たとえば「時間ですよ」は東京の銭湯が舞台ですが、東京の銭湯は1968年(昭和43年)をピークに減っていく。そこを舞台に1970年代にドラマをつくるということは、すでに失われゆくものなんです。実際にあのドラマでも、長男は会社の課長になって、奥さんは来たけれど、最初は番台に乗ることができないというところから始まる。「寺内」は石屋ですから、衰退産業です。お父さんの昔のミスで長女役の梶芽衣子は脚が不自由。うまくいっていない家族ですよね。皆が昭和33年は良かったねと語る映画の「三丁目の夕日」も、けっしてうまくいっている家族のドラマではない。どこにも、「MY HOUSE」の医者の家庭のような、お父さんとお母さんと子供がふたりという標準世帯はいないんです。妾の子供が出て来たり、住み込み職人がいたりする。なのに観る人が、勝手にそこに温かさを感じて、気持ちを投入しちゃっている。実は家族をテーマにしたドラマっていうのは、いつもそういうふうに、どこか欠如している。

社会派映画じゃないんです

三浦 山田太一がこの映画の脚本を書いたら、最後に女性を殺さなかったろうなと思うんです。なぜ殺したのかを、ちょっとお聞きしたくて。

堤 現実はもっと悲惨だということです。これは日々、日常的にあることなんです。少年たちが花火を水平撃ちしてホームレスの家を燃やすなんていうのは、ほんとうに日常茶飯事です。ましてや直接の暴力は少年からだけではなく、ホームレス同士でもあります。映画よりもっと悲惨なことがたくさんある。ひじょうに命が軽んじられている。特に最近、名古屋では多いんです。東京でも、中学生がコンビニで熱湯をもらって耳の不自由なホームレスにぶっかけちゃったりとか、めちゃくちゃな事件が頻繁にある。殺すという表現は、僕にしてみれば、そんなにきついことではないというか、そんなに違和感はないんです。

三浦 そうすると、殺されることで現代の縮図としてちゃんと完結する、と。

堤 そうですね。だからといって、「これが現代の一画を表現しているのだ。俺は社会派だぞ」という大上段なことはまったく考えていないんです。実際に5年間温めてた企画ですが、「ついに社会派に転身」というようなことはまったくなくてですね。ほんとうにコソコソと撮りたかった。本音で言うと、僕の名前も出したくなかった。出すべきじゃないんじゃないかと思っていて。ひじょうに小規模であっても作品としてひとり歩きしてもらえば、それでいいなとも思っていたし。

三浦 別名で撮らなかったのは、多少は売れないと困るという……?

堤 ……ということですかね。それなりに原資がかかっていますから(笑)。

三浦 「MY HOUSE」は堤幸彦の社会派宣言ではない、と。

堤 そう言えば言うほど、自分の過去作を否定することになりますので、それはないですね。もちろん今後も職業作家として、頼まれればどんどん作品を作っていきます。これからも堂々と「SPEC」なり「トリック」なり、オーダーがあれば、もっと過激に暴れたいと思います。

 しかし、このようにある種の社会性を帯びた作品を撮るチャンスがあれば、それは自分の視点ということを大事にしながら撮っていきたいんです。「MY HOUSE」を撮って、社会をテーマにしたものに関しては、より深いところに行きたいという決意も固まりました。社会の片隅シリーズじゃないけれど、例えば今、3人ぐらいしかいらっしゃらないお風呂屋の三助さんですとか、マタギとかいう方々の――。

三浦 職業、生業の映画ですね。

堤 はい。一方で、ノモンハン事件とか、中村屋のカレーの生みの親のボースさんの話とか、そういう映画も撮っていきたいんです。僕は、現代の日本人がひじょうにいびつな感じがするんです。なぜそうなっているのかというのを、自分なりに解釈できる作品、それがピンポイントで透けて見える作品を、死ぬまでに作りたいなと思っています。もっともっと努力しないと駄目だと思いますが。職業作家でいることは自分の視点を1回封印するわけですけれども。そうではない映画、僕が撮りたいなと思うものも、低予算でいいからずっと撮り続けていきたいという思いは強くなりましたね。

ループタイおやじにはなりたくない

三浦 先ほど、社会派宣言ではないとおっしゃいましたけれど、恐らく「社会派」って、やや左翼的な東西冷戦構造時代の概念だと思うんですよ。『第四の消費』の山崎亮くんへのインタビューの中に「ループタイの人」が出てくるでしょう? いつも一言必ず言うのだけれど、中身はどこかで聞いたようなことばかりで、言う割には稼げていないような人たち。あれが「社会派」です(笑)。

堤 ああ、なんとなくわかるような気がしますね(笑)。

山崎 ワークショップを何回かやるうちに、なんとなく形式的なワークショップが多いなぁとは思っていました。
三浦 ループタイしたおじさんが出てきたり(笑)?
山崎 そうそう(笑)。インテリっぽい人たちとかね。でも、出てくるアイデアは、どこかで聞いたことあるようなものばかりなんですよね。
(『第四の消費』p.218 インタビュー「若者は、地方の魅力に目覚め始めた――コミュニティデザイナー 山崎亮氏」より)

三浦 あの部分は山崎事務所の若い者が消そうとしたのですけれど(笑)、イメージが湧くからといって残したのです。

堤 衣装合わせでも、一言必ずある人は、みんなループタイです(笑)。

三浦 やっぱりそうか(笑)。昔から、映画を観ると「小津安二郎がどうの」とか言っている人は、だいたいループタイをしているような。(1973年生まれの)山崎くんの世代になると、楽しみつつ、儲かることも考えつつ、でも、この古い町、なにかにしようよっていうふうに動ける。全然ループタイ感覚ではない。ここは世代の差を感じるのだけれども。

堤 そうですね。

三浦 僕や堤監督の世代は、今、山崎くんがやっているようなことをもし40歳のときにしていたら、「それじゃ食えないだろう」と周囲に思われるような社会派になってしまうわけです。

堤 それはよくわかります。僕自身、地域に何かフィードバックしたいんだよとか、地元学って面白いよねとか言えば言うほど、ループタイおやじになってしまいそうな自分に気付きますね。

三浦 実際のループタイおやじは65歳以上ぐらいにいると思うので、それより15〜20歳若いわれわれは、そこには距離を持ちたいっていう感覚がありますね。

堤 そうですね。

三浦 僕も今の30代のように、もうちょっと儲けながら町もよくなるとか、よくなったら町も儲かったとか考えたいんです。

棺桶に入れたい作品を

三浦 ところで、この映画は儲けが出るんですか?

堤 いい質問ですね(笑)。簡単に言えば、かかったお金の4倍、いや6倍ぐらい回収できると、元を取ったぐらいの感覚ですかね。というと、3億円ぐらい入るといいっていうことですね。

三浦 「MY HOUSE」をつくるときに、周りの方はなんて言ってましたか。

堤 やめたらって言われました(笑)。「何を言ってるんだ」って一刀両断。ある配給会社の社長さんは、「俺、嫌いなんだよ、ホームレス」って、一言で終わり。それはヤクザが嫌いだからヤクザ映画を作らないとかって言っているのと同じ感じで、「ああ、そうですか」って、すごすごと引っ込みましたね。別の方には「鈴本さんの持つ天真爛漫さと力強さはひじょうに面白いので、ヒリヒリする感じではなく、もう少し寅さんみたいに、子供がワーッと寄ってくるみたいな感じになりませんか」と言われて、脚本も書き直したことがあったんですが、「これは違うな。この脚本は原作の坂口さんに見せられないな」と思って、その脚本はご破算にしました。

 もともと「アエラ」で坂口さんの記事――のちに『TOKYO 0円ハウス 0円生活』になる話を最初に読んだときに、このストーリーラインはもうできていたんです。それで6年前に坂口さんに会いに行き、モデルになった鈴木さんもご紹介していただいたんですけど、そのときの原点に戻して作ったのが「MY HOUSE」ということですね。

 50歳半ばになって、やっとなんとか職業作家としてご飯を食えるようになり、チームを食べさせることが少なからずできるようになって、たとえば今の僕には、駄目になっていった地域、駄目になっていく地域に対して、何かできることはないだろうかという視点もあります。この僕にも大学の客員教授をやってくれみたいな話もあり、そこで地域振興の研究をこの数年させてもらっていたりします。

 映像による地域の盛り上げみたいなことができないかというお話しもあって、僕がベースにしている東海地区の方々と連携しながら、まったくのボランティアなのですが、できることをしようと。最近は、愛知県の高浜という人口5万の町から、「子供たちが将来に希望を持てるイベントを考えてくれ」と声をかけていただいて、「1年かけてドラマを作りませんか」という提案をして、ついこの間、数千人集まるクライマックスシーンを撮り終えたところです。これから町で繰り返して上映し続けていくことになっています。このドラマは、10年もすると、出演している子供たちにしてみればタイムカプセル的なものになります。マスコミがこういうことの意味にも気付いてくれればいいなと思いながらやっているのですけれど、そのようなことを「社会派」と言っていいのか、ちょっとわからないんですけれど、今できることを、今までは抑えてきたけれども、これからは隠さずにやろう、と。

三浦 僕は50歳になったときに「あと10年生きているかどうかわからない」と思ったんですよ。スーちゃんだって57歳で死んだ。自分の同級生や会社の後輩も何人も死んでいます。そうすると、やっぱりやりたいことを全部やって死にたいなと思うようになりました。

堤 50歳過ぎると、やたら行動的になるんですよね(笑)。「MY HOUSE」のほんとうの裏コンセプトは、棺桶に入れたい作品を作りたいという、ひじょうに身勝手なものなんです(笑)。

三浦 わかります。僕ももっと売れる本とか、もっと儲かる代理店の仕事とか、探せばあるのでしょうけれども、やりたいことを全部やっておきたいという気持ちがありますよ。

次回予告

「実は似たような映画があるんですよ」と三浦さん。そう言われて「ドキドキしますね」と堤監督。その映画とは何か。そして話題は映画の舞台・名古屋のホームレス&学歴社会事情へ。堤監督が「MY HOUSE」を名古屋で撮った真の理由が明らかにされる。コメ兵ファンおよびザ・フーのファン必見の次回《なぜ、この映画を名古屋で撮ったのか》は5月29日オンサイトの予定です。