『耳かき仕事人サミュエル』堀道広/青林工藝舎
いわゆる“ガロ系”の作家の本はひと通り目を通してきたので、並大抵の絵では驚かない自信があったのだが、初めて堀道広を読んだときには、たいそう困惑したものだ。とくに、男性キャラの首がことごとく太く長く描かれたナチュラルに異常な絵柄には、慣れるまでにけっこうな時間を必要とした。けれど、その分いちど慣れると離れがたい魅力を感じることにもなる。免疫のない方は覚悟して読まれるがよい

写真拡大

人間の耳には足の裏にも匹敵する無数の“ツボ”があるという。耳掃除をしてもらうと気持ちがいいのは、それが母や愛妻の膝の上だからではない。耳の穴の中にあるこれらのツボが、耳かきの先端で心地よく刺激されるからだ。

しかし、耳かきというのは快楽だけでなく、危険とも隣り合わせの存在だ。いたずらに素人がほじっていると、内耳の粘膜を傷つけて化膿させたり、最悪の場合は鼓膜を損傷してしまうことだってあるのだ。そして、うっかり耳のツボを“わるい耳かき”で刺激などしようものなら──。

『耳かき仕事人サミュエル』(堀道広/青林工藝舎)は、耳かき仕事人、つまり耳かきを操る殺し屋の物語だ。表紙のイラストからはまるで恐怖も戦慄も感じられないが、中にはとんでもなく恐ろしい物語が詰まっている。

主人公は、サングラスをかけたうえにいつもフードをすっぽりかぶって世間に心を閉ざし、パーカーの裾をズボンにガッツリinして我が道をゆく、寡黙な男である。名前はサミュエル。あとがきで作者自身が明かしているように、黒人俳優のサミュエル・L・ジャクソンからとられている。理由は単純に「好きだった」からだそうで、耳の穴ほども深い意味はない。

このサミュエル、どん底の生活から抜け出すために、耳かきを暗殺の手段とする秘密組織に加入している。サミュエルは、人々に〈健康〉をもたらす梵天の耳かき(後端部分にタンポポの綿毛のようなものが付いたよくあるアレ)と、人々に〈死〉をもたらすスカルの耳かきを巧みに使い分け、依頼された標的を確実に暗殺していく、恐るべき殺人マシーンなのだ。

しかし、そんなサミュエルの前にあらわれたのが、敵対する謎の暗殺集団「黒い綿棒」だった。自分自身が命を狙われることになったサミュエルは、驚くべき方法をもって最後の決闘に立ち向かっていくのだった……。

「アックス」誌上で連載されていたときには「梵天のサミュエル」「耳かきサミュエル」「三途の川の耳エステ」「サミュエル」などなど、その都度テキトーに付けられていたが、最終的に『耳かき仕事人サミュエル』で統一し、単行本化された。

耳かきで人を殺すという奇抜すぎるアイデア、そして、正確なデッサンなどとは遥か無縁の彼方を突き進む画風で、おそらくこの本を手にした読者は心が釘付けになることと思う。こんな不思議な作品を描いた作者の堀道広とは、いったいどういう人物なのか。

1975年、堀道広は富山県に生まれた。その後、石川県立輪島漆芸技術研修所を卒業すると、漆職人として生活しながらも漫画の持ち込みを続け、2003年に第5回アックス漫画新人賞の佳作となり、プロデビューを果たす。現在も漫画稼業の他に、都内数カ所で金継ぎ(割れた茶碗を漆で接着し、つないだ部分を金で装飾する修理技法)教室の講師として活躍している。

堀の最初の単行本は『青春うるはし! うるし部』(青林工藝舎)という、高校のうるし部を舞台にした青春大河漫画だった。今回の『耳かき仕事人サミュエル』には漆は登場しないが、耳かきというある種の工芸品を中心にして物語が展開されていく。工芸品っぽいものシリーズだ。
こちらの勝手な希望を述べさせていただくなら、この作者にはもうしばらくの間、こうした工芸品っぽいものシリーズを続けてもらいたいと思っている。陶芸家とか、こけし職人とか、どう? 紙漉きとか、篆刻とか、印傳とか、爪切りとか、どうなの? どうなのって言われても困るか。
(とみさわ昭仁)