『プロ野球 最期の言葉』(村瀬秀信著/イースト・プレス)
「引退=プロ野球選手の死」と捉え、その「遺言」である「引退の言葉=最期の言葉」に注目した一冊。1943年から2010年までにユニフォームを脱いだ400人の言葉を、その選手の生き様(印象的なエピソードや成績・記録)とともに紹介する名言集とも言える

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秋はプロ野球にとって「サヨナラ」の季節だ。
日本シリーズでの熱戦が続くその一方で、今シーズンの戦いを終えたチームでは早くも来シーズンの動きが始まる。球界の頂点を争う戦いの裏でユニフォームを脱ぐ選手…そのコントラストの妙がまたプロ野球の醍醐味でもある。惜しまれて引退する者。ケガや故障により無念の引退をする者。現役続行を希望するものの手を挙げてくれるチームがなく、結果として引退に追い込まれる者。etc. いずれにせよ、人生のひとつの区切りを迎えた人物がそのとき発する言葉は後々まで我々野球ファンの胸を打ち、語り継がれる名言が生まれることが多い。そんな「引退の言葉」を眺めることでその選手の功績を改めて振り返ることもできるのだ。
『プロ野球 最期の言葉』は、プロ野球選手の引退会見や引退試合で発せられた言葉を、そのときの背景や選手の置かれた状況とともに振り返ることができる一冊だ。

この手の歴代の記録・証言を追う本の場合「年代別」の編集をされがちだが、本書では400名にもおよぶ歴代の選手たちの最後の言葉が「引退時の所属チーム別」に編集されているのが面白い。日本ではあまりなじみがないが、海外のプロスポーツ界では「ジャーニーマン」という言葉がある。チームを転々としながらも自分の居場所を探し、いぶし銀の活躍を見せる選手。日本だと江夏豊や工藤公康のなどが呼ばれた「優勝請負人」という言葉が一番近いかもしれない。そんな選手に限って、哀愁を漂わせながらひっそりと引退することが多い。あぁこの選手、最後はこのチームだったんだ、という風に振り返ることもできる。
反対に、ひとつのチームで選手生活を全うする選手は基本的にスター選手。彼らの引退の言葉にはチーム愛やファンへの感謝が見て取れる。代表例としてはミスター赤ヘル・山本浩二。
「広島に生まれ、カープに育てられました、山本浩二は幸せ者でした」
また、球界の春団治・川藤幸三の引退スピーチも印象的だ。
「本日は阪神タイガースのためにお集りいただき誠にありがとうございました」
自分のためよりチームのため。まさにフランチャイズプレイヤーである。

こうして様々な選手の引退の言葉を横断的に見ていくと、引退の仕方にはいくつかパターンがある、ということがわかってくる。あくまでも私の独断と偏見だが、本書にまとめられた引退の言葉とともに分類してみた。

<名言型>
長嶋茂雄「我が巨人軍は永久に不滅です」
王 貞治「王貞治のバッティングができなくなった」
原 辰徳「私の夢には、続きがあります」

→球界の盟主・巨人のリーダーは言うことがやはりひと味違う。そのプレーの記憶・記録だけでなく、言葉でも後世まで語り継がれるのは本当のスターの証だろう。

<キャラクター維持型>
江本孟紀「(ベンチがアホやから)発言の責任を取って退団させていただきたい」
福本 豊「言ってしまったもんはしょうがない」
達川光男「本日は雨の中、足もとの悪い中、消化ゲームとはいいながらこんなにたくさん集まってくださいまして誠にありがとうございます。えー、巨人の藤田監督をはじめ、篠塚会長、その他、以下同文です」

→福本の引退の背景は、本人が辞めるつもりはなかったのに、監督がうっかり「福本が辞める」と言ってしまい、その言葉の流れにあえて乗ってしまったためのもの。これらの選手は自分の「らしさ」を知っているから、辞め方も潔い。そしてそのキャラクターがあるから、引退後も様々な言説で引き続き存在感を放ってくれるのだ。

<燃え尽きました型>
村山 実「ホンマにしんどい野球人生だった」
星野仙一「私のマウンド生活に悔いはありません」
若松 勉「入団してから、野球を楽しいと思ったことは、一度もありませんでした

→職人系の選手に多い印象なのがこのタイプ。自らの技を磨くため24時間365日野球だけを考え、自分に厳しく過ごしてきたがゆえに出る言葉だろう。一方で、監督としても苦労を重ね燃え尽きている面々が多いのもまた興味深い。

<悔いが残る型>
掛布雅之「このまま野球を続けるということは、タイガースにも迷惑をかけると思いますし、ファンの皆様にもご迷惑をかけるんじゃないかと思いまして」
栗山秀樹「野球ができなくなるのはつらい。もし、治って体調が万全になればまたテストを受けてヤクルトに入団したい」
今中慎二「悔いはあります」

→ケガによる早すぎる引退、ピークを自分も周りも知るが故にまだ夢を見てしまう苦悩。そこを吹っ切っていかに第二の人生につなげるか、というのも興味深いところだ。野球を続けたくてたまらなかった栗山氏が、来シーズンからファイターズどんな采配を見せてくれるのかも楽しみだ。

<予言・未来志向型>
亀山 努「まだ次の仕事は決まっていない。でも野球については、子どもに教えたりするだけになると思う」
SHINJYO「今日、この日、この瞬間を心のアルバムに刻んで、これからも俺らしく行くばいっ」
落合博満「ユニフォームは脱ぐが、野球人・落合博満は引退しないということ。本当に私が野球を引退する時はこの命が果てる時だ」

→亀山はその後リトルリーグの監督として世界一になり、見事有言実行を果たしているのが凄い。新庄は最近見ないなぁ。どこに行ったんだろう? そして落合。この日本シリーズが終わったあと、今度はどんな言葉を残してくれるのか今から楽しみにしている。同じこと言ってくれたらカッコいいなぁ。


さて、この本の最後で引退会見全文を表記された特別な選手がいる。入団時に「空白の一日」で世間を騒がせ、そして突然の引退会見でもまたマスコミを賑わせたその人は江川卓。この会見の中で「江川卓にとって野球とは何だったのか?」という記者からの問いに次のように答えている。
「きっとこれからの長い人生になるとは思いますが、忘れることはできないと思いますし、まぁ、何かの機会があって、僕が必要だということに、もし話になっていただくのでしたら、少しでも今の若い人なりの力になれるのでしたら、いつでも力になってあげられればというふうに思っております」
そして今、巨人軍のお家騒動の渦中の人として注目を集める江川卓。「球界からの引退」はもちろん、若い人の力になりたくても、必要だと言われたとしてもすんなり「球界に復帰」もできないのがなんとも江川らしい。

いずれにせよ、プレイだけでなく言動でも我々を楽しませてくれるプロ野球の魅力を再認識させてくれる一冊なのは間違いない。読めば読むほど、小宮山悟が引退時に語った次の言葉がしみてくるだろう。

「野球とは神様が与えてくれた最高の娯楽である」
(オグマナオト)