@AUTOCAR

写真拡大 (全6枚)

クルー工場でベントレーの生産が始まって80年

グレートブリテン島中西部、クルーへ構えた工場での生産開始から80年。戦後初となる、量産モデルの登場からも80年。2026年は、ベントレーにとって特別な1年だ。

【画像】過小評価されてきた傑作 ベントレーMkVI サルーン 戦前と最新のモデルも 全148枚

1946年リリースのMkVIは、それまでロンドン北西部、クリックルウッドを拠点としたブランドにとって重要な転換点となった。世界恐慌の混乱の中、ロールス・ロイスは1931年に存続の危機にあったベントレーを買収。モデルの再編が図られた。


ベントレーMkVI 1939年のプロトタイプから1947年の量産仕様まで
    ジャック・ハリソン(Jack Harrison)

ロールス・ロイス・ファントムII コンチネンタルと競合関係にあった、ベントレー 8リッターは終了に。ベンスポートと名付けられた再生計画を経て、高い完成度の3 1/2リッターが1933年に発売され、ブランドは再起の1歩を踏み出す。

このモデルは「サイレント・スポーツカー」と呼ばれ、支持を獲得。4 1/4リッターへ発展していく。ロールス・ロイスが擁した大排気量モデル、ファントムIIやIIIとも、小排気量モデルの20/20や25/30とも、明確に個性は異なった。

戦前に打たれていた次の一手

ところが1940年代を迎える前に、この3シリーズによる展開は限界を迎える。欧州では高速道路の敷設が進み、エンジンやタイヤへの負荷は大幅に高まっていた。BMWやランチアといったブランドは、小型で高品質な新モデルを発表していた。

ロールス・ロイス創業者のヘンリー・ロイス氏は、技術的な遅れを問題視し改革へ動き出すものの、第二次大戦が勃発。1945年5月8日にナチス・ドイツが降伏するまで、市販モデルの開発は凍結される。だがその3日後に、量産の再開計画は発表された。


ベントレーMkVI スタンダード・スチール・サルーン(1946~1952年/英国仕様)    ジャック・ハリソン(Jack Harrison)

戦後は、高級品への需要が見込まれながらも、燃料は配給性。鉄やアルミなどの材料は枯渇していた。英国では社会改革や国家再建の流れが加速し、高級車の購入という目立つ行為は控えられるように。コーチビルダーは、軍需で有能な職人を失っていた。

それでも戦前の1937年に、ロールス・ロイスの工場長だったアーネスト・ハイヴス氏は、先手を打っていた。製造費用がかさむV12エンジンをはじめ、設計は複雑で部品は車種間で共有されず、生産は年間1500台程度。収益性の低さが、課題だった。

複数のホイールベースへ対応したシャシー

ハイヴスは、シャシー技術者のロバート・ハーヴェイ・ベイリー氏や開発部門のウィリアム・アーサー・ロボサム氏とともに、合理化計画を立案。複数のホイールベースへ対応するシャシーと、4・6・8気筒の3種類のBシリーズ・エンジンの開発が決まる。

エンジンとシャシーの組合せで、ロールス・ロイスにもベントレーにも仕上げることが可能だった。シルバーゴーストへの1本化を図った1906年以来の、大転換といえた。


ベントレーMkVI パークウォード・4ドアサルーン(1939年/プロトタイプ)    ジャック・ハリソン(Jack Harrison)

この計画は「プロジェクト・フェニックス」と命名。新たなモデル展開を実証するべく、6気筒モデル3台と8気筒モデル1台の、試作車が製作される。今回ご登場願ったグリーンのベントレーは、その6気筒の1台。4台の中で、唯一の現存車両となる。

試作シャシーはロンドン北部のコーチビルダー、パークウォード社へ輸送。4ドアのサルーンボディが架装され、1939年5月に試運転が始まっている。この車両は、後にMkVIと名付けられるベントレーの、コンセプトカーだと考えていい。

戦後のモデルの視覚的な指標になったボディ

エンジンは量産版と同じ、B60型6気筒の試作ユニット。肉厚な断面構造を持つボックス構造のシャシーや、油圧式フロントブレーキも、この段階で採用されている。

その後、このベントレーは排気系やキャブレターの改良、新エンジンのテスト台に駆り出された。車台番号「3-B-50」のプレートが貼られたバルクヘッドで、その名残を観察できる。無駄なネジ穴や金具類が、今も残っている。


ベントレーMkVI パークウォード・4ドアサルーン(1939年/プロトタイプ)    ジャック・ハリソン(Jack Harrison)

ボディは、MkVIへ設定される「スタンダード・スチール・サルーン」の雛形になった。1930年代後半の流行を感じさせるフロントに対し、フロントガラスから後方はMkVIと大きく違わない。また、戦後のモデルの視覚的な指標にもなっている。

スタイリングを手掛けたのは、社内デザイナーだったアイヴァン・エヴァーデン氏とJ.P.ブラッチリー氏。ブラッチリーは後に、ドアヒンジの処理やインテリアのレイアウト程度しか関わっていないと明かしているが、謙虚すぎる発言だろう。

標準ボディが架装された初のベントレー

MkVIは、標準ボディが架装された初のベントレーといえる。だが、オーナー好みのコーチビルド・ボディを載せるべく、ローリングシャシーでの購入も可能だった。終戦直後は、工場が自動車へ最適化されておらず、充分なボディを仕上げることも困難だった。

3台の内、シルバーのベントレーはMkVIの量産車第1号。4ドア・スポーツサルーンのボディはコーチビルダーのHJマリナー社製で、レイザーエッジと呼ばれるスタイルをまとう。これは、HJマリナー社では試作車という扱いだったようだ。


ベントレーMkVI HJマリナー・4ドア・スポーツサルーン(1946年式/英国仕様)    ジャック・ハリソン(Jack Harrison)

シャシー番号はB4AKで、1946年2月に完成。同年9月に製造番号4735のボディは仕上がり、ロンドン・メイフェアのベントレー・ショールームへ展示された。

1948年に、ディーラーのジャック・オルディング社へ売却。複数のオーナーを経た後、1958年に行方不明になるが、2000年代初頭に時計職人だったセルウィン・クラブツリー氏がレストアを手掛けた。その技術の高さには、唸らされる。

執筆:アンドリュー・フィーバー(Andrew Feaver)

この続きは、ベントレーMkVI(2)にて。