「悪夢に悩まされ、幻覚、幻聴も…」宝塚のレジェンド「安奈淳」を絶望から救った恩師の言葉 “永遠のオスカル”が歌声を取り戻し、「私の天職はこれだ!」と悟るまで
夕刊紙・日刊ゲンダイで数多くのインタビュー記事を執筆・担当し、現在も同紙で記事を手がけているコラムニストの峯田淳さんが第一線で活躍する有名人たちの“心の支え”になっている言葉、運命を変えた人との出会いを振り返る「人生を変えた『あの人』のひと言」。第85回は元タカラジェンヌで、「ベルサイユのばら」でオスカルを演じた安奈淳さんです。華やかな舞台の上とは正反対の人生を歩んだ、知られざるエピソードが明かされます。
【写真を見る】抜群の声量と大スターのオーラは健在! 今も歌い続ける元気な姿
オスカルと言えば、この人
「宝塚」と聞いて、真っ先に名前が思い浮かぶ作品の一つは、やはり「ベルサイユのばら(ベルばら)」ではないだろうか。

そして、ベルばら最大のスター・オスカル役を演じた安奈淳(79)。男役のトップ・オブ・トップといっていい存在である。「生きるクスリ」というインタビュー企画では、オスカルのことを「運命の人」と語り、ベルばらの超絶人気ぶりをこう語った。
〈当時はものすごかったですよ。楽屋口にファンがワーッと集まってきて、私たちが出ようとすると囲まれるわけです。それでお巡りさんに脇を固めてもらい犯人みたいに脱出したり。楽屋からお掃除のおばさんに変装して出たこともあります。割烹着に日本手ぬぐい、手に箒とちり取り。騙されたと思ったファンが主催者側のスタッフを袋叩きにして、骨折したなんてこともあった時代です〉
初舞台を踏んだのは17歳の時。星組に入って4年後にトップ、その4年後に花組のトップになり、ベルばらに出会った。そしてベルばらの一大旋風が湧き起こる。オスカルは安奈淳の大きな当たり役になった。
31歳だった1978年、13年在籍した宝塚歌劇団を退団。宝塚のスターといえば、退団後も女優として長く活躍している人もいるが、安奈淳は「人生はそんないいことばかり続きません」と語った。
引退後も第一線で活躍していた安奈が病魔に襲われたのは2000年。膠原病の一種の全身性エリテマトーデス(SLE)という難病だった。
その頃のことを書いた本を2冊出している。そのうちの『人生はうまくできている 病気になって見えたこと』(グラフ社)から。
〈病院に担ぎ込まれたときには、もうほとんど腎臓は働いておらず、下半身はパンパンに水が溜まって、まるで二リットルのペットボトルを五つも六つも足首にくくりつけているように重い。指で押すとペコンとへこんで、見るも無残な状態でした。あと一時間か二時間病院に来るのが遅れたら、死んでいたそうです。二十リットルほどの水を抜き、ようやくぶくぶくの足から解放されました〉
「生きるクスリ」ではこうも語った。
〈免疫力が落ちて、視力から聴覚、臭覚、味覚まで一切なくなります。目は見えないし、思考力がなくなるから死んだような状態です。例えば、1+1がいくつか聞かれてもわからないような状態。幻覚、幻聴もひどかった。病室で誰かがこっちを見ているとか、電話が鳴ってもいないのに鳴っていると叫んだり。しかも、10日間ぐらいまったく眠れなかった。その間は悪夢に悩まされ、自殺願望も〉
華やかな舞台の上で活躍した宝塚の大スターが瀕死の状態にあるなど、誰が想像できるだろうか。その後、パルス療法という治療法で快方に向かい、安奈淳は奇跡の生還を果たす。そこはやはり強運の持ち主だ。
病魔と闘った後も…
もっとも、病魔から逃れたものの、薬の副作用でか細い声しか出なくなったそうで、〈もう音楽を聴くのもつらく、二度と歌うことなどない、とそれは絶望的な気持ちになりました〉(前掲書から)。
しかし、彼女は不死鳥のように蘇える。その時は、お世話になった先生や知人らの言葉を思い出したという。
落ち込んだ時は、演出家で恩師でもある鴨川清作の「どん底まで落ちたら、あとは上がるしかない」という言葉だった。宝塚の理事長だった劇作家・植田紳爾の「生きているのではなく生かされているのだ」という言葉も胸に刻んだ。
それから友人の知り合いだという、バレエダンサーの首藤康之が雑誌で語った言葉は安奈の今に至る活動を大きく後押ししてくれた。それは「自分で始めなければ何も始まらない」。
〈それからです。「これはじっとしてはいられない」と、コンサートを企画して準備を始めました。おかげさまでいろんな方たちのお力を得て、約1年間の準備の末、コンサートに漕ぎつけました。もう背水の陣でした。お客様、来てくださるかしら、不安で不安で、もうこれで死んでも本望、とばかりに頑張りました〉(同前)
古巣の宝塚バウホールや東京・天王洲アイルのアートスフィア……。そして2019年には古希になって初めて、銀座ヤマハホールで自分で企画したコンサートを周囲の協力で開催した。インタビューから。
〈コンサートには思いのほかお客さんがたくさん来てくださった。蘇りファンがワラワラ出てきて(笑)…ステージに立った時に、ワーッという歓声が上がりました…熱気を全身に浴びたら高揚感でいっぱいになり、テンションは最高潮に〉
宝塚バウホールなどのコンサートでの、震えるような感動もこう語っている。
〈頭の中はカーッ、そして最後に涙がドドーッと。
「神様、ありがとうございます。私は生き返りました」と叫びそうな感動だったのです。
そして、「私の天職はこれだ!」とやっと悟った〉(同前)
オーラは健在
安奈は今年8月、月組男役のトップだった後輩の剣幸、俳優で演出指導の講師などを務める山口正義と、一夜のコンサートを新宿区内で開いた。集まったのは、ベルばら以来、ずっと安奈淳らを支えてきた熱烈なファンたち。来年で傘寿とは思えない声量と、スターでしか出し得ないキラキラのオーラは健在だった。
終了後、会場の出口で、もう一目見たいという出待ちのファンが溢れていたのも、往年のベルばら時代と変わらない光景だったのではないか。
いい時ばかりではない人生では、苦難に直面した時に何をどう考えて、どう乗り越えるか。安奈淳はそれを教えてくれていると思う。
峯田淳/コラムニスト
最新刊『猫のいる人生』(新潮新書)が発売中
デイリー新潮編集部
