「さわやかイレブン」や「やまびこ打線」といった愛称で親しまれ、甲子園で3度の優勝を誇る名門・徳島県立池田高校。山間の公立校を全国的な強豪に育て上げたのが、蔦文也監督だった。昭和に日本中で愛された男は名将だったのか、それとも--。

【写真】この記事の写真を見る(2枚)

 “高校野球の神様”になった監督の知られざる謎に迫ったミステリーノンフィクション『監督、神になる 池田高校 記憶の衝突』(著:田中仰)が発売即重版となるなど、大きな注目を集めている。『銀河鉄道の父』で直木賞を受賞した作家・門井慶喜氏による書評をお届けする。〈全2回の初回/後編につづく〉

◆◆◆


“高校野球界最大の謎”を追ったミステリーノンフィクション『監督、神になる 池田高校 記憶の衝突』(著:田中仰)

 子供というのは、強い者が大好きである。無意識に保護を求める気持ちがそうさせるのかとも思うが、私などもその口で、高校野球のテレビ中継を見るときは、きっと常連校を応援したものだ。

記憶に残った、監督の独特な風貌

 和歌山の箕島高校。大阪のPL学園。茨城の取手二高……わけても徳島の池田高校の記憶は鮮明である。何しろ強いのはもちろんのこと、監督の風貌が独特だった。

 もじゃもじゃの白髪。鋭い眼光。上機嫌か不機嫌かわからないガラガラ声。名字が「蔦」というのも何かそんな様子にぴったりで、そうだよなあ、こういう人じゃなきゃチームを優勝させられないよなあと手もなく私は納得したのだった。

 長じて同志社に入学して、私は驚いた。学内誌か何かの卒業生インタビューのコーナーに彼の写真が大きく出ていたからである。記事の内容はおぼえていないが、私にとっては、この人の野性的なイメージは大学のそれとは正反対だったのだ(私が言うのも何だけれども)。そんな思い出のせいもあって本書の表紙をひらいたら、手が止まらず、深夜までかかって読んでしまった。

 本書のスタイルは、基本的には人物伝である。蔦文也は大正12年(1923)、阿波池田の、刻みタバコで財をなした商家に生まれた。長男で、両親に愛され、気が弱く、紅顔の美少年だったという。

 徳島商業に進学して野球部に入り、甲子園に三度行き、慶応へ進学しようとしたけれども、試験に落ちて同志社に入った(門井注、当時の同志社は現代よりももっとお坊ちゃん然とした学校だったろう)。学徒出陣で兵隊に取られ、航空隊に配属され、二度の出撃命令を受けたけれども、二度とも飛行機が故障したため生きのびた。

一升瓶を持ちながら、商店街を飲み歩いた

 復員後は、地元の池田高校の教師になった。

 この就職がいわゆる「でもしか先生」だったことは本人も認めている。教師「でも」やるか、教師「しか」できないというたぐいの意欲の薄い公務員。本家のタバコ事業の利権が敗戦で無になり、所有していた田畑もGHQの農地解放でそっくり取られて、どうあっても自分で暮らしを立てなければならなかったのだ。

 池田高校では、野球部の監督になった。これは前歴を考えれば当然のことだが、しかしどんなに猛練習しても、生徒を殴っても、チームは強くならなかった。蔦の生活は無秩序になった。

 ある日は一升瓶を持ちながら、ある日はすれ違う人に嘲笑の言葉をぶつけながら、蔦は栄町通りや駅前商店街を飲み歩いた。

 蔦文也、おそらく40歳前後のことである。かつての紅顔の美少年が、どうしてこんなことになったのか。〈つづく〉

「ほめちぎる人も、酷評する人も…」今も証言が割れる甲子園の名将…酒びたり中年男のチームが、夏春連覇の名門校になった“知られざるウラ側”〉へ続く

(門井 慶喜)