アイヌ古式舞踊の演出家・俳優として活動する秋辺デボさんは、阿寒湖アイヌコタンで生まれ育った。かつてそのコタンでは、観光客の目を引くために何軒もの家でペットのようにしてクマが飼育されていたという。クマに魅せられた人たちの証言を集めたノンフィクションから、文字通りクマと共に過ごした、秋辺さんの少年時代を紹介する--。

※本稿は黒田未来雄『羆追人たち』(山と溪谷社)の一部を再編集したものです。

■店先でツキノワグマを飼っていた

秋辺デボの本名は、日出男だ。「ヒデ坊」という愛称が短くなり、いつしか周囲の皆が「デボ」と呼ぶようになった。

秋辺デボさん [ポートレート撮影=山田貞司 出所=『羆追人たち』(山と溪谷社)]

デボが生まれたのは、阿寒湖アイヌコタン(アイヌは人間、コタンは村という意味)と呼ばれる、アイヌ民芸品店や舞踊ステージが立ち並ぶ集落だった。そこではかつて、何軒もの家がツキノワグマやヒグマを飼っていた。

目的は、観光客の目を引いて土産物を買ってもらうことだった。本来、北海道にツキノワグマは生息していない。しかし、体重が400キロを超えることもあるヒグマに比べ、ツキノワグマは100キロ程度だ。

圧倒的に飼いやすいツキノワグマを選ぶ住民が多かった。値段は当時で30万円以上。今でいえば100万円を超える出費だが、皆クマを飼いたいという思いが強く、また客寄せ効果も抜群だったため、それだけの金額を支払う価値があったという。

デボの父親の今吉も民芸品店を営んでおり、店先でツキノワグマを飼っていた。デボの記憶にある最初のツキノワグマは、小学2年生のころにやってきた。

当時、クマの世話は子どもの仕事と決まっていたが、さすがにその歳では無理で、デボがクマを扱うことはなかった。クマが大きくなりすぎると店では面倒が見られなくなるため、1年ほどするとクマは業者に引き取られていった。動物園やクマ牧場に、再度売られるのだそうだ。

■「真っ黒なものが、家の中に転がり込んできた」

今でもよく覚えているのは、小学5年生のときの思い出だ。夜、近所に住むおじさんが、焼酎の一升瓶を抱えて遊びにきた。父親と同年代の、飲み友達だった。閉まっている家の扉をガンガン叩き、「今吉、一杯飲もうや!」と大声で呼びかける。

父親は、デボに「開けてやれ」と命ずる。父親とおじさんは仲がいいはずなのに、飲み始めるとなぜか必ず喧嘩になる。だからおじさんを家に上げたくはない。しかし父親の命令には逆らえない。「しかたねぇなぁ」。デボが渋々とドアを開けた瞬間。

「真っ黒なものが、俺のことをドーンって突き飛ばして家の中に転がり込んできた。ナニかと思ってよく見てみたら、そのおじさんが飼ってるツキノワグマよ。3歳になってて、もうデッカイのさ。そんで、ウチの狭い6畳くらいの茶の間の中を、ドタドタドタッ! ドタドタドタッ! て走り回る。部屋を3周。アイツら、その場所を確かめるのに必ず3周するの。やー、ビックリしたのなんのって」

■クマを連れて酒盛り

仰天しているデボを尻目に、父親とおじさんは何事もなかったかのように酒盛りを始めた。一旦飲み始めると、もうクマも子どもも目に入らない。クマは部屋の隅でうずくまり、前脚の上に顎を乗せてじっとしていた。

いくら待っても、飼い主は自分のことを構ってくれない。だんだん飽きてきたクマは、唯一遊んでくれそうなデボのことをじっと凝視してくる。まんじりともしないクマの視線を、デボは無視し続ける。落ち着かず、居心地も悪いが仕方がない。

かたや、父親とおじさんは喧嘩をしては怒鳴り合い、仲直りしては大笑いし、ひたすら飲み続けている。やがて夜は更け、いつしかデボは父親の隣で眠ってしまった。

翌朝。居間で目を覚ますとすでに大人たちの姿はなく、クマも見当たらない。おじさんが連れて帰ってくれたのだろう。「大変な夜を無事に乗り切った」とデボは安堵した。時計を見ると、もう登校の時間だ。慌ててランドセルを背負って外に出ようとすると、玄関の内側に例の黒いものが横たわっているではないか。

「ヤベッ、おじさん、ツキノワグマを忘れてってるわ!」

■玄関に居座り、学校にいけない

奥の部屋で寝ている父親の体を揺するが、酔って寝ると火事があっても起きないといわれていた父親は、「グワァ、グワァ」と、それこそクマのような高いびきをかき続けるだけ。

写真=iStock.com/Athena345T
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Athena345T

一向に目を覚ましてくれない。デボは頭を抱えた。そっと脇をすり抜けようとしても、クマが頭をもたげてギロッと睨みつけてくる。ツキノワグマとはいえ、体重が当時のデボの倍はあろうかというクマはやっぱり怖い。結局、部屋の隅で縮こまる他になかった。

「ガンガンガン! ガンガンガン!」。昼前になり、また家の扉が叩かれた。ようやく、おじさんがクマを迎えに来てくれたのだ。戸を叩く音なのか匂いなのか、ツキノワグマは自分の飼い主が来たことを察したようで、喜び勇んで立ち上がった。ドアが開けられると同時にはしゃいでおじさんにじゃれつき、いそいそと帰っていった。

「これで学校に行けるぞ」。ホッと胸を撫で下ろしたデボは、大急ぎで登校した。校舎に辿り着いた途端、午前中の授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。デボはそのまま職員室に直行し、担任の先生に、家にクマが居座っていたために遅刻してしまったことを説明して謝った。

■先生に、信じてもらえない…

「そしたらボーンってゲンコツ食らってな。『コラ、ウソつくんだったら、もっとマシなウソつけ』って先生に怒られたのさ。やー、ホントの話なんだけどな。ま、信じてもらえんかったのも仕方ないって今となっては思うけど。悔しかったなあ」

後で聞けば、そのおじさんはツキノワグマを連れて飲み歩いては、しょっちゅう忘れて帰ってしまうことで有名だったという。それでも大ごとにはならず、笑い話で済んでいた。当時は、いろいろな意味でおおらかな時代だった。

こんな話もある。ある日、近くでヒグマを飼っていたお兄さんのところに行ってみたら、ヒグマがいない。「どうしたのさ?」と聞くと、「山行って散歩させてたら木に登っちまってな。降りてこないのよ。だからもう待ちきれんで、俺1人で帰ってきたわ。どうせそのうち、腹空かして戻ってくっぺ」とのことだった。

クマは木を登るのは得意だが、降りるのが下手だ。てっぺんまで行って降りられなくなると、そこで体が固まってしまい、不安になって鳴き出す。飼い主としては、助けたい気持ちはあるものの、そんな高いところには登れないし、そこからクマを降ろすことなどもってのほかだ。

下から見守るしかないが、ずっとそこにいると、クマは甘えて鳴き続けるだけになってしまう。飼い主がいなくなると、クマはいよいよ観念して、なんとか自力で降りてくるという。案の定そのときも、しばらくするとヒグマがお兄さんの家に走って帰ってきたそうだ。

■クマのお尻を撫でて…

デボが中学生のとき、父親がまた新しいツキノワグマを買ってきた。家に来たときには生後3カ月ほどで、今回はデボが世話をすることになった。

写真=iStock.com/mb-fotos
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/mb-fotos

最初のころは毎日2回、ミルクをあげる。クマの乳は人間よりも濃いので、人間用の粉ミルクを通常の倍の濃度でぬるま湯に溶かす。湯加減が大切で、熱いと飲まないし、冷たいと喜ばない。

フンの世話も大変だった。子グマは便意を催すと檻の中をウロウロしだすので、それと分かる。しかし自分だけでは排泄ができず、肛門を刺激してあげる必要がある。

油をつけた指先や、布などでお尻を撫でてあげるが、どうしても汚物が手についてしまうのが、子ども心に嫌でたまらなかった。外で飼っていたので、土の上で排便させ、それをスコップですくって捨てていた。

■クマとの相撲、決め手は喉輪攻め

子グマと遊び、相撲を取ったりする中で、徐々に扱い方が分かってくる。クマを制するには「なんといっても喉輪攻め」だとデボは言う。

首を押さえてしまえば、息も苦しいし噛みつくこともできない。そこで威力を発揮するのが、アイヌが山を歩くときに必ず持っていたという、先端が二股に枝分かれした木の杖だ。

「クワ」と呼んでいた杖を刺股のように使って、クマの喉元をグッと押す。この攻撃はかなり有効で、それだけでクマはひるむ。それでも前に出てこようとするときには、クワを傾けてクマの力を左右にいなす。

ヒグマでも2歳くらいまでであれば、杖だけでひっくり返すことも可能だそうだ。もう1つの弱点は鼻先だ。クワの先端を鋭く尖らせておき、遊びの度が過ぎてくると、クマの鼻をチョンと叩く。思い切り刺す必要はない。軽くつつくくらいでもクマはすぐに逃げ出す。

山歩きに使う「クワ」でクマの動きも制御する[撮影=山田貞司 出所=『羆追人たち』(山と溪谷社)]

クマの攻撃といえば、牙で噛むことと爪で引っ掻くことだ。子グマといえども、軽く見てかかると大変なことになる。噛まれないようにするためには、クマに人間を噛んではならないと教え込まなくてはならない。

例えばクマが指先を噛んできた瞬間、普通の人なら本能的に手を引いてしまう。しかしそこで逆に、喉の奥に手を突っ込む。するとクマは苦しくてむせかえる。これを数回繰り返せば、人間を噛むことはなくなる。まだ顎の力が弱い子どものうちに、しっかりと仕込んでおくのだ。

■ヒグマに襲われたときの知恵

引っ掻かれないための対策は難しい。クマが繰り出すパンチはネコのように素早く、到底かわせるものではない。それを避けるには、間合いを詰めてクマに抱きつくしかない。

父親や周りの大人からも、山でヒグマに襲われたときの対処法を教えられていた。まずは前足ではたかれる前に、身を屈めて懐に入り込む。次にクマの口に片方の手を突っ込んで噛まれないようにする。そして反対側の手に握った刃物でクマの腹を刺しまくる。

片手は食いちぎられても仕方がないと割り切り、刺し違える覚悟で臨む以外に生き残る術はないという。実際そのようにして、片腕を失いながら生き延びた猟師もいたそうだ。

■もう、ビールをあげちゃダメ!

デボの家では、ツキノワグマは犬小屋のようなものを作って屋外で飼っていた。子グマだけに、夜になると心細くなって悲しい声で鳴き出す。親と引き離されているのだから無理もない。

黒田未来雄『羆追人たち』(山と溪谷社)

中学生だったデボは、子グマが不憫でならなかった。家の中に入れてやりたいと願ったが許されない。30分ほど鳴き続けると、子グマは諦めて寝てしまう。その間デボは、「早く泣きやんでくれよ」と毎晩のように祈り続けた。

たまに観光客がジュースをあげると、子グマは喜んで飲んでいた。そのうち、ふざけてビールをあげる人も出てきたが、子グマはビールも大好きだった。

「もっとくれ、もっとくれ」と人間にせがむ。たくさん飲めばクマでも酔っ払う。機嫌が良くなり、朝まで「ブボブボブボッ」と歌う。翌日、近所のおばあさんに「クマがうるさい! もうビールをあげちゃダメだからね!」と怒られたこともあった。

心を込めてかわいがり、たくさんの思い出を残してくれたツキノワグマだったが、1年もしないうちに、またどこかに売られていってしまった。

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黒田 未来雄(くろだ・みきお)
作家・狩猟家
1972年、東京生まれ。東京外国語大学卒。1994年、株式会社三菱商事入社。国産車のアフリカへの輸出を担当。1999年、NHKに転職。ディレクターとして「ダーウィンが来た!」などの自然番組を中心に制作。北米先住民の世界観に魅了され、現地に通う中で狩猟体験を重ねる。2016年、北海道への転勤を機に自らも狩猟を始める。2023に早期退職し、北海道に移住。執筆、講演会や授業を通じて野生動物や先住民からの教えを伝えている。著書に『獲る 食べる 生きる 狩猟と先住民から学ぶ“いのち”の巡り』(小学館)、『羆追人たち ヒグマの虜になった10人』(山と渓谷社)。アウトドア雑誌『BE-PAL』(小学館)に「脱サラ猟師からの手紙」連載中。NETFLIXドラマ『地面師たち』(2024)では狩猟シーンの監修を務める。
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作家・狩猟家 黒田 未来雄)