「天皇」は変えるべきだった?戦後の「天皇制」をめぐる中でほとんど問題にならなかった「呼び名」

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なぜ日本人は、あのとき国家に動員されたのか?

キリスト教由来の人権概念を「天皇の下の平等」と読み替えたことがもたらした、破局的結末とその後ーー。

8月24日発売『天皇と人権』(講談社現代新書)著者の気鋭の神学者・森島豊さんが、日本固有の「病」をあぶり出します。

(※本記事は、森島豊『天皇と人権』の一部を抜粋・編集しています)

「天皇」という呼称が問われなかった理由

ここで重要なのは、軍国主義の脅威を取り除く仕方で天皇の政治的利用が議論される中で、「天皇」という呼称がほとんど問題視されなかったことです。

のちに最高裁判所長官(第3代)になった横田喜三郎が『天皇制』のなかで述べたように「ほんとうならば、もう天皇とか、天皇制とかいわないで、なにか別の名で呼ぶのが正当である」はずです。GHQや連合国も神聖不可侵の神話的権威としての天皇を問題視するならば、その呼び名にも問題があると思います。

ところが、中国であってもその点については何も触れていません。中国が天皇という名称を問題としなかったのは、天皇制廃止を前提としていたからだと考えられます。

武田清子は『天皇観の相剋』の中で、当時の中国側の見解を中国政府、民間、知識人のそれぞれの立場から紹介しています。とくに中国内外に影響を与えた孫文の長男孫科(Sun Fo)は、1944年10月の『フォーリン・アフェアーズ』(Foreign Affairs)に掲載した論文で、天皇崇拝こそが日本の軍国主義と侵略の核心であり、軍国主義と天皇制は本質的に不可分であると批判したうえで、「ミカドは去るべし」と強く訴えました。

当時の中国指導者であった蔣介石は、1943年11月23日にカイロで行われたルーズヴェルト大統領との会談で「日本の国体は戦後日本国民自身の意思で決定すべきだ」と伝え、その方針がその後の連合国の基準となりました。

呼称に対する海外のスタンス

しかし、1945年のサンフランシスコ会議に中国代表として参加した胡霖(Hu Lin)は、翌年1月の『フォーリン・アフェアーズ』に寄稿した論文「日本をどのように処理するのか」(1946年)の中で、天皇制を中心とする日本の政治体制は解体されるべきであり、仮に天皇が存続するとしても名目的存在にとどめ、政治的・軍事的権力は一切持つべきではないと主張しました。

これらの文章から分かるように、中国は天皇制廃止を前提として議論を進めているので、「天皇」の呼称が議論にならなかったと考えられます。

また中国だけでなく海外では天皇制を「ミカド」、天皇を「エンペラー」または「ヒロヒト」と表記しており、「天皇」という呼称の問題が議論の俎上にのらなかったのかもしれません。

たとえば、1945年6月29日の『ワシントン・ポスト』が報じたギャラップ世論調査では、天皇の名前を「ハラキリ、ヨコハマ、フジヤマ」と答えており、どのように発音するのか知らないか、あるいはまったく知らないと報じています。このことからも、アメリカの世論が「天皇」の呼称に無関心であったことが窺えます。

本記事の引用元『天皇と人権』では、日本社会の深層に存在し、戦前・戦後に連なって繰り返して現れる「思考の癖」=「日本固有の病」を、神学者の視点で鋭く読み解いていきます。

日本統治においてアメリカもイギリスも見過ごせなかった「天皇」の「政治的存在感」