「鑑定団」では低評価が続出…地方のお屋敷に「贋作」ばかりが眠っているのには理由があった 「田舎大観」と知りつつ“放浪の画家”を泊めた昭和の精神性
長寿テレビ番組「開運!なんでも鑑定団」(テレビ東京系)のコーナー「出張!なんでも鑑定団」。鑑定士が地方の公民館などのホールに赴き、鑑定依頼人たち(飛び入りなどではなく、事前に募集され、審査を経た人であるが)が持ちこんだ品物の鑑定を行う名物コーナーだ。
商売で財を成した地方の名士の家には豪壮な蔵があり、掛け軸や焼き物などの美術品が収められていることが多い。そうした名家から出た有名画家の掛け軸などと紹介されると、高額評価の期待が高まる。鑑定依頼人は自信満々に何百万円などと書かれたボードを掲げるが、無情にも鑑定結果は何千円。すなわち、贋作と評価されたということになる。
しかしながら、かつて地方の名家は地方の社会で強大な権力を有し、現代とは比べ物にならないほどの財力もあったはずだ。にもかかわらず、なぜ数千円程度の評価しかつかない、贋作を所有してしまったのだろうか。【文=山内貴範】
【写真】横山大観を見るならここ 島根県にある足立美術館の収蔵作品
“田舎大観”とは?
今でも富裕層を相手にした悪徳な古美術商はいて、言葉巧みに怪しげな美術品を売りつけていたりする。昭和の時代はそういった古美術商が暗躍していたため、名家の主人がそれに引っかかった可能性はある。だが、ほかにも地方特有の様々な事情も影響していると考えられる。

高度成長期頃までは、地方を行脚する“放浪の画家”がたくさんいた。特に、地方の名家には、著名な画家の名を勝手に名乗り、絵を描いて渡すからタダで泊めてほしいと訪ねてくる人がいたという。特に、近代日本画の大家・横山大観を名乗る人は多かったようで、そういった無名の絵師が残した絵は、“田舎大観”と呼ばれる。
無名の画家が大観を名乗ったのは、大観は存命中から知名度も評価も高かったためであろう。そして、それが現在まで本物として伝わり、後に贋作と鑑定されるというわけである。それにしても、実際に信じて泊めた人もいるかもしれないが、昔の地方の人たちは大らかだったから、嘘だとわかったうえで優しく受け入れていたのではないか。
なお、大観は戦後まで生きたため現存する作品も非常に多いが、同時に贋作もとんでもなく多く、近代の日本画家ではトップクラスではないかと思われる。そして、地方に眠っている大観はだいたいが贋作だといわれ、「鑑定団」でもそのように評価されることが多い。そのなかには、放浪の画家が残していったものが含まれているのかもしれない。
山下清は旅先で創作していない
地方を旅して歩いた放浪の画家といえば、山下清が有名だ。実は、田舎大観ならぬ“田舎清”とでも呼ぶべき作品は多い。すなわち、清がお礼に残していったと伝わる作品である。清はテレビドラマ「裸の大将放浪記」の影響で、放浪の天才画家というイメージが定着しているが、これは半分正しく、半分間違っているといえよう。
芦屋雁之助や塚地武雅が演じるドラマの清は、旅先で出会った人に自身の貼り絵をプレゼントし、去っていく。清が去った後に絵を見た人が、ランニングシャツの男の正体が偉大な画家だとわかって驚く――という話が多い。ところが、清は現地で創作をほとんど行っていない。旅から帰ってから、ゆっくりと作業しているのだ。
清は驚異的な記憶力の持ち主だったといわれる。現地で見た風景を瞬時に記憶し、時間が経ってからでも紙の上に忠実に再現できたという。フィクション上のエピソードよりも、むしろこの本当のエピソードのほうが遥かに凄いと思えるのだが、ドラマに影響され、現地で絵を残したと思っている人は少なくない。
清もまた存命中から人気が高く、知名度もあった。ランニングシャツと短パン姿の“山下清のコスプレ”のような出で立ちで、旅をしていた無名の画家も多かったのかもしれない(ちなみに、過去に「コミックマーケット」で清のコスプレをしていた人はいた)。そのせいか、地方で見つかる清の絵は多いものの、ほとんどが贋作であるという。
美術品と食料を交換
戦中・戦後は、地方に多くの美術品が集まった時期だった。食糧難に苦しんだ都会の人々が、コメや野菜を求めて田舎にやってきたためである。彼らは、代々受け継いできた美術品と引き換えに食料を分けてもらうケースが多かった。戦後の一時期は貨幣の価値がインフレでどんどん下がったため、物々交換が好まれたともいわれる。
そのようにして物々交換した品物が蔵や押し入れにしまい込まれ、現代に伝わっていたりするのだが、残念ながら多くは贋作であり、着物や反物なども低品質なものばかりだったりするのだ。
筆者が知っている例を紹介しよう。秋田県内のある豪農の蔵を取り壊す際、中から美術品が大量に出てきた。聞けば、その家に疎開していた人が、立ち去る際にお礼として置いていったものらしい。また、前述のように、都会からコメを求めてやってきた人から受け取ったものもあったようだ。
なかには、「秋田県立美術館」に一大コレクションがあるレオナール・フジタ(藤田嗣治)など、著名な画家の作と思わしき絵も含まれていたそうだ。名家ということで俄然期待が高まったが、鑑定の結果、そのすべてが贋作とわかった……という悲しいエピソードもある。
心と心の交流があった
おそらく、「鑑定団」で低額評価を受ける贋作には、ここに挙げたような経緯で入手されたものが少なくないと考えられる。現在のようなインターネットもない時代、地方の人たちは、様々な手口で贋作を掴まされてしまったといえる。一方で、物々交換には人と人の心の交流があり、その意義は金銭的価値だけで図れるものではないのも事実だ。
無名の画家を「こいつは面白いな」と思って泊めた豪農もいただろうし、その絵を純粋にいいと思った名士もいただろう。都会からやってきた苦しそうな家族が持ち込んだ着物が低品質なものだとわかっていても、農家はコメを渡してあげたのかもしれない。そこには、日本人の美徳とされる助け合いの精神があったのではないだろうか。
贋作は古美術商にとっては困った存在ではあるものの、その裏にはほほえましいエピソードがあるケースも少なくないと考えている。稚拙な贋作も、そういったことを妄想しながら向き合えば味わい深く感じられたりするものだ。個人的には田舎大観だけを集めた展覧会が企画されたら、見てみたいと思ってしまうのだが。
ライター・山内貴範
デイリー新潮編集部
