「反日」論争の裏で浮き彫りに 韓国アイドルのポケカ切断動画が投じた“映え重視”と“モノの価値”の摩擦

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「反日」と言ってしまうのは、さすがに論理の飛躍だろう。

【画像】韓国で大流行「親日派スキャナー」

しかし、だからといって「何が悪いのか」「むりやり叩いているだけ」と片づけて良い問題なのだろうか。

先日、ガールズグループRESCENE(リセンヌ)のウォニが、未開封のポケモンカードをハサミで真っ二つに切った動画をによって議論の渦中に置かれる出来事があった。

この行為に対し、一部からは「反日だ」といった批判の声まで浮上した。ただ、韓国メディアの一部はウォニへの批判に関して「むりやりな叩き」「文脈を切り離した批判」といった趣旨で庇う姿勢を見せている。

ウォニ(写真提供=OSEN)

確かに、一連の流れを確認すれば、ウォニ本人を「反日」と断定する根拠はほとんど存在しない。

だが、日本側から生じた違和感の全てまで「言いがかり」として切り捨ててしまえば、今回の騒動の本質を見失うことになるのではないだろうか。

問題は政治的な思想ではない。そもそも、なぜ新品のカードを“壊すこと”がコンテンツとして成立するのか。そこにこそ、今回の騒動を考察するヒントが隠されている。

騒動の経緯と周囲の反応

事態が起きたのは8月21日のことだ。

ウォニはRESCENEの公式YouTubeチャンネルにて、ポケモンカードショップを訪れてカードを開封するライブ配信を実施した。

問題視された場面では、店主が「アメリカで流行している」として、未開封のカードパックを中央からハサミで切断する手法を提案していた。

ウォニが即座に応じたわけではない。

「一度やってみますか?」と口にしつつも、「わざわざやる必要ある?」という趣旨で逡巡し、視聴者からも「やめて」と制止する声があがっていた。それでも店主から勧められた結果、最終的に1パックを切るに至った。

しかも、そのパックの中には運悪く、ウォニ自身が熱望していたヒトカゲや、メンバーたちが好みそうなカードが含まれていた。ウォニは落胆した様子を見せ、その後は再び通常通りにカードを開封している。

ここまでの経過を見る限り、ポケモンという日本発祥のコンテンツを意図的に傷つけ、政治的意図を表明しようとしたとは考えにくい。

「カードを切った=反日」という結びつけは、あまりにも唐突である。しかし、日本のネット上で巻き起こった反応は、「反日」という言葉だけに収まるものではなかった。

「何度見ても、なぜ切ったのかわからない」「店主に言われたとしても、個人的には許せない」「経緯を知ればウォニだけを責めるのは違う。ただ、カードを切る行為を嫌だと思う人がいるのは当然」といった意見も数多く見られた。

要するに、一部の人々が問題視しているのは「反日かどうか」ではないのだ。収集対象として大切に扱う人も多いカードを、あえて破壊して楽しむ感性そのものなのである。

一方で、韓国メディアがウォニの擁護に回る理由も理解はできる。

断片的に切り取られた映像のみを目にすれば、「韓国アイドルが突然ポケモンカードを真っ二つにした」ように映る。

しかし実際には、店主から提案された企画であり、本人も何度かためらう素振りを見せていた。また、所持していた全てのパックを切断したわけでもない。

このような前後の文脈を排したまま、わずか数秒の映像だけでウォニを悪者と決めつけるのであれば、確かに行き過ぎたバッシングとなり得る。韓国メディアの言う「むりやり叩き」という表現には、そうした背景が存在する。

行為の是非と立ち現れる問題点

ただし、ここで別の問題が浮かび上がってくる。

「ウォニだけを悪者にするのは違う」という姿勢と、「カードを切る行為そのものに問題はない」という主張は、同義ではない。

この二点を区別して捉える必要がある。

今回、カードを切った理由として度々引き出されるのが、「アメリカで流行している」という説明である。

未開封のパックをハサミで切り、仮に希少価値のあるカードが入っていた場合、その絶望的なリアクションも含めてアミューズメントとして消費する。

コンテンツの構造としては、理解しやすい。通常通りにパックを開けるよりも、刃物で切断する方がスリルが生じる。希少なカードが含まれていれば、より派手な反応を引き出すことができる。

しかし、だからこそ今回の違和感が浮き彫りになるのだ。

いつから「モノそのものの価値」よりも、「それを壊した瞬間に生まれるリアクション」の方が価値を持つようになってしまったのだろうか。

価値観の衝突と問われる想像力

ポケモンカードを収集している人々にしてみれば、カードは単なる紙きれではない。

望むカードを引き当てる歓喜があり、お気に入りのキャラクターに対する愛着が存在する。貴重なカードを大切に保護する喜びもあれば、長年にわたってコレクションを重ねる者もいるだろう。

その領域に、「切ったほうが動画として面白い」という異質な価値観が入り込んできたのである。

そこに摩擦が生じたと言わざるを得ない。

ゆえに、今回の騒動を「日本と韓国」という対立構図で捉えてしまうと、かえって本質から遠ざかることになる。

ウォニ(写真提供=OSEN)

ウォニは初めから意欲的にカードを切ろうとしていたわけではない。店主が紹介した手法も「アメリカで流行している」というものであった。

では、何と何が衝突したのか。それは、「動画の面白さを優先する価値観」と「モノへの愛着を優先する価値観」に他ならない。

ウォニの行動は、「反日」とは評価できない一方で、「流行している企画だった」「店主に言われた」という理由付けだけでは、カードを愛惜している人々の違和感を打ち消すことはできない。

ウォニが悪意を抱いてカードを切ったとは考えにくいが、それでも、カードを慈しんでいる人々への配慮が十分であったかという懸念は拭えない。

今回の騒動は、政治的思想の問題というよりも、コンテンツを制作する側の“想像力”の問題であったのかもしれない。

カードを切断すれば、一時的な動画のインパクトは増す。だが、その一瞬の娯楽のために破壊された物品を、大切に想う誰かが存在するのである。

SNS時代におけるコンテンツ作成において問われているのは、そうした背景まで配慮できるかどうかなのではないだろうか。

(記事提供=スポーツソウル日本版)