赤信号を見落としたのは「クルド人差別のことを考えていたから」 【埼玉・川口】クルド男性の暴走で19歳青年が事故死 公判で繰り返された「不可解すぎる弁明」
近年、在留外国人の増加に伴い、全国で外国人ドライバーによる重大な交通事故が顕在化している。2025年には外国人運転手による死亡・重傷事故の件数が過去10年で最多を記録した。筆者は埼玉県川口市で本年1月に起きた、クルド人男性による19歳日本人青年死亡事故の公判を傍聴。本稿ではそれを元に、事故と被告の実態に迫る。日本の教習所で免許を取得した被告は、赤信号を無視して青年の命を奪った。法廷で浮き彫りになったのは、それでも事実と向き合おうとしない不誠実な姿であった。
【前後編の前編】
【西牟田靖/ノンフィクション作家】
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【写真を見る】頑強なバイクが元の形をとどめず…クルド人被告の悪質な運転を物語る、事故後の惨状
増加する外国人ドライバーの事故と危険運転
警察庁の統計によれば、2025年に起きた外国人運転手による死亡・重傷事故は587件。事故全体に対する割合が2.3%に達し、この10年で最高の数字となった。特筆すべきは、重大事故を起こした外国人ドライバーの8割以上にあたる488件が日本の免許証を所持していたことである。そこには、先に話題となった「外免切替」(外国で取得した免許を日本の免許に切り替える)によるドライバーも少なからず含まれているとみられる。

とりわけ埼玉県南部、川口市を中心とした地域では、一部のクルド人ドライバーによる荒い運転や、過積載の解体業者トラック(クルドカー)の存在に地域住民から不安の声が上がっている。実際に川口市では、2024年9月に、無免許のトルコ国籍・クルド人少年(当時18歳)が時速約95キロで赤信号の交差点に進入し、10代の日本人男性2人を死傷させて逃走する事故が発生した。この少年は親族に身代わりを依頼するなど悪質極まりない態度に終始。事故から10ヶ月後に懲役5年の実刑判決を受けた。被害者の一人は死亡、もう一人は判決時点でも意識が戻らない重体であった。さらに2025年9月にもクルド人による無免許ひき逃げ事故が起きたことから、川口市議会が動いた。「外国人による交通事故の防止と被害者の救済を国に求める意見書」を可決するという、異例の事態に発展したのだ。
こうした重大事故は、日本の交通事情に不慣れな旅行者などではなく、日本に定住する外国人によっても少なからず引き起こされているという点で深刻である。その象徴的な一例として、今年1月、埼玉県川口市で起きた死亡事故を詳報する。
法廷に響いた鈍い衝撃音と、奪われた19歳の未来
対向車線に停車していた車から提供されたドライブレコーダーの映像には、事故の様子が克明に記されていた。
午前6時30分、まだ辺りが薄暗い冬の朝、青信号の交差点に進んだバイクが、右側から猛スピードで突っ込んできた乗用車に撥ね飛ばされる瞬間が映っていた。「ゴトッ」という鈍く重い衝撃音が法廷に響き渡った。そして被害者の男性は宙に舞った…。映像を見ながら私は言葉を失った。
7月21日の午後、さいたま地裁で本件の第一回公判が2時間にわたって開かれた。28の傍聴席を巡って抽選が行われるなど、事件は注目を集めていた。この日は被告人とその関係者の尋問が行われた。
被告は黒尽くめの格好で現れた。黒いワイシャツに黒のスラックス。こんもりと盛り上がったシャツからは、頑強な肉体が窺われる。髪はツーブロックで清潔そうな印象を与えていたが、エアーの白の新品スニーカーをはいていたのが不釣り合いに見えた。赤く日焼けした顔の下半分をマスクで覆っていたが、そこからはあごひげがのぞいていた。
事故の概要は
被告は事故当初、現行犯で逮捕されたものの、その後、「会社経営者であり逃亡の恐れがない」として釈放、在宅起訴されていた。そのため、手錠や腰縄はつけられていなかった。
起訴状によれば事故の概要は次の通りだ。
事故が起きたのは2026年1月14日午前6時30分。現場は埼玉県川口市北園町の交差点である。被告は普通乗用車を漫然と運転し、赤信号の交差点に時速約40キロで進入。その時、被害者が運転するバイクを左前方約9.9メートルの地点に認め、右にハンドルを切ったものの間に合わず、車の左前部を衝突させた。被害者はバイクもろとも路上に転倒。多発外傷の傷害を負い、同日の午後4時27分頃、出血性ショックにより死亡した。罪名は過失運転致死である。
来日してから免許を取得
検察官が起訴状を読み上げた後、被告人・弁護人は共に起訴内容を全面的に認めた。事故を巡っては、SNSで「過失割合は50対50」といった言説が拡散されていたが、それが明確に否定されたことになる。
青年の命を奪ったプリウスを運転していたのは、トルコ国籍のクルド人、クルト・ハイリ被告(29)。10代半ばから日本に13年在住し、解体業を営む会社の代表を務めている。前科・前歴はなく、正式な在留資格を保持している。月収は約50万円で家族は妻と2人の子がいる。
ハイリ被告は来日してから運転免許を取得している。普通免許だけでなく、大型・中型・準中型なども取得済みだ。彼は日本の交通ルールを学び、適性検査もクリアした上で、日本の道路インフラを日常的に利用していた。それでも赤信号の交差点に減速することなく進入するという無謀な運転を行ったのである。また、過去には駐車違反など軽微なものではあるが、交通違反を3度起こしている。
優しく生きる息子を亡くした母の強い処罰感情
命を奪われたのは、山本優生(ゆうき)さん(19)。高校卒業後に空調や配管関係の設備業に就き、作業着を汚しながら、残業もいとわず懸命に働く青年であった。母親は筆者の取材にこう話してくれていた。
「優しく生きてほしいと思って優生と名付けました。家に入ってきた虫をそっと逃がしてあげる小さな命を慈しむ、名前の通り優しい子に育ちました」
優しさは家族にも向けられていた。「会社はキツいけどママのお弁当あるから頑張れるよ。いつもありがとうね」などと口にする青年だった。
自立心が強く、将来をしっかりと見据えていた。親に頼らず自力で教習所費用や車のローンを工面し、彼女との同棲を夢見て、その資金としてすでに100万円以上の貯金を蓄えていたという。
彼が亡くなった後、母親が悲しみをこらえて駐車場の解約手続きに行ったとき、仲介の不動産屋からこう告げられた。
「3月分まで、もう入金されていますよ」
翌月分の支払いまで済ませていた。自らの足で人生を歩んでいたのだ。
かけがえのない息子を失っただけに、母親の処罰感情は強かった。この日の公判で、検察官は母親の気持ちを次のように代読した。
「はっきり言って殺人者だと思う、もし今後も日本に住み続けるなら神々に感謝しろ、日本人をなめるんじゃない、示談の話はない、謝罪の連絡もない、保険会社からの連絡もない」
「日本人に差別されている」二転三転する供述と検察官の追及
自らの過失を認めたとは言え、事故の詳細についての被告の供述は、事実関係と矛盾し、極めて不自然に変遷していった。
事故の際、被告は会社のプリウスを運転していて、同乗者は2人いた。事故直後、現場に駆けつけた警察官に対し、被告は「交差点が黄色だったので通過した」と供述。ところが、警官が対向車線を走っていた運転手から提供されたドライブレコーダーを見せ、被告側の信号が赤だったことを告げると、「考えごとをしていて信号を見落とした」と供述を変えていた。
法廷内のモニターで、そのドライブレコーダーの映像が流された。そして裁判長は被告に問うた。
「もう1度事故を起こした原因を教えて」
被告の回答は、耳を疑うものだった。
「考え事をしていた。前日に子供を怒ったことを考えていた。日本人の子供がうるさくても文句を言われないのに、私たちは歓迎されておらず、少しの音でも警察に通報される」
赤信号を見落として死亡事故を起こした理由を、自らの不注意ではなく、日本人からの冷遇や差別による被害者意識に結びつけようとしたのだ。
「困っている内容ではない、信号を見落とした理由を聞いている。自分の進行方向の信号は何色でしたか」
そう問われると、「黄色でした」と答えた被告。ところがその直後、「最後に見たときは青色でした」と回答は二転三転した。
裁判長や検察官が追及すると、ハイリ被告は、不可解なことを言い放った。
「通訳が間違った訳をしていたみたいだ」
これには検察官が激怒。
「通訳のせいにして供述を変えるのは、日本の法廷に対する侮辱だ。自分をよく見せようとして嘘八百を並べるな」
と厳しく一喝した。
「夫を信じる」弁護側証人・妻の矛盾を孕んだ尋問
この日の法廷には弁護側証人として被告の妻も出廷した。
黒いワイシャツに、黒いスラックス、髪を後ろに束ねた妻の顔は、彫りが深く、夫同様、クルド人であるように見えた。彼女は法廷中央の証言台に立ち証言した。
「夫は運転が上手で注意深く運転していた。本人が車を運転したくないと言っているので運転はしないはず。私も運転させない」
検察官は妻を問い詰めた。
「裁判では運転しないと言いつつ、裁判終了直後に運転をしてさらなる被害を引き起こした被告人を私は知っている。具体的にどう監督するのか」
妻は、「夫を信じている」と繰り返すしかなかった。
しかし検察官は追及の手を弛めなかった。
「具体的な対策を聞いています」と再質問すると、
「運転しないと言う夫を信じる。本人がどういう気持ちになるかは本人のみが知る」と述べるに留まった。
実効性に疑問符が
運転の意思の確認は、ハイリ被告にも行われた。被告は、「2度と運転したくない」「解体現場には電車か職人の送迎で向かう」と主張した。しかし、免許を返納するなど、具体的な方策は示されることがなかった。それどころか、こんな一幕もあった。「私たちには子供が二人いるので」と言いかけて言うのをやめたのだ。この言葉の後に続けようとしたのは、「私たちは子供を育てるために、今後も運転しなければならない」というものではないだろうか。いずれにせよ、被告の「運転をしない」という言葉の実効性には、強く疑問符が付く内容だった。
法廷の最後、裁判長は被告に再び問うた。
「最後に見たとき信号の色は何色でしたか」
被告は答えた。
「思い出しました。信号は青でした」
弁明の不可解さを強く印象付けたまま、第一回公判は閉廷した。
【後編】では、第二回公判の内容について詳述する。被告が法廷で繰り返し、遺族を激怒させたさらなる「ウソ」とは――。
西牟田靖(にしむたやすし)
ノンフィクション作家。1970年大阪府生まれ。日本の国境、共同親権などのテーマを取材する。著書に『僕の見た「大日本帝国」』、『わが子に会えない』、『子どもを連れて、逃げました。』など。
デイリー新潮編集部
