月20万円の"赤字銭湯"を継ぐ→10軒で年商4.7億円に…銭湯を次々蘇らせた"20代のヨソ者"の絶妙アイデア

■隣は暴力団事務所、毎月20万円の赤字
「待てば、ほかにもいろいろあるから」
当時24歳だった青年が「銭湯を引き継ぎたい」と口にすると、近隣の銭湯の主人たちは、そろって引き止めた。
無理もない。彼には熱意こそあったが、銭湯を運営した経験はなく、経営を学んだこともなかった。しかも、引き継ごうとしていた銭湯は毎月20万円ほどの赤字だっただけでなく、当時は隣に暴力団事務所があり、地域でも「ヤクザ風呂」と揶揄された近寄りがたい場所だった。
しかし、それから約10年。その銭湯は月商83万円から月商1100万円までに成長した。銭湯の名前は「サウナの梅湯」(京都市下京区)。再生を手がけたのは、湊三次郎さん35歳。SNSでは「銭湯活動家」として情報発信をしている人物だ。
全国公衆浴場業生活衛生同業組合連合会(全浴連)によると、銭湯はピークだった1968年には全国に1万7999軒あった。しかし、2026年には1493軒まで減少している。
こうした状況に対し、湊さんは「銭湯を日本から消さない」を掲げる「ゆとなみ社」を設立。廃業の危機にある銭湯を引き継ぎ、現在は京都市下京区の梅湯を中心に10店舗を運営し、2025年度の年商は4億7000万円に達した。
経営経験のなかった若者は、どのように一軒の赤字銭湯を再生し、他店舗へと広げたのか。その歩みをたどった。

■訪れた銭湯が次々となくなっていく
湊さんが銭湯にのめり込んだのは、大学生のころだった。
静岡県浜松市で育った湊さんにとって、スーパー銭湯は知っていても、地域住民が日常的に通う街の銭湯は身近な存在ではなかった。大学進学を機に京都へ移り住み、初めてその文化に触れた。
「地域の人が日常的に集まる場所って、地方都市には意外とないんですよ。だから、銭湯のような場所があること自体に驚きました。当時は仕組みすら知らなくて、毎日通えば月に1万円ほどかかるのに、地域の人たちが通い続けるのか不思議でした」
その不思議さに惹かれ、湊さんは京都の銭湯でアルバイトを始めた。やがて銭湯ファンのブログを読み、全国各地の銭湯を巡るようになった。旅先の店主と親しくなり、寝袋を借りて脱衣場に泊めてもらったこともあるという。
店主たちの温かさや、銭湯を巡る楽しさに触れる一方で、かつて訪れた店が次々と閉店していく現実も目の当たりにした。
「巡れば巡るほど、銭湯が次々となくなっていることにも気づきました。『あの銭湯にも行ったのに、やめてしまうんだ』と感じることが増えて、『もったいないな。なんとかならないのかな』と漠然と考えるようになりました」
■銭湯を知らずに育った24歳が手を挙げた
そうした思いを抱きながらも、大学卒業後、すぐに銭湯業界へ進んだわけではない。
仲のよかった名古屋市南区の銭湯「七福湯」の主人に進路を相談すると、「一度は社会人を経験した方がいい」と勧められた。店主自身も、会社員を経験した後に家業の銭湯を継いでいた。銭湯の世界に入る前に、一般企業で働き、外の社会を知っておいた方がよいと考えていたという。
その言葉に納得した湊さんは、アパレル会社に入社した。しかし、約10カ月で退社を決意。次の勤務先は決めていなかったが、いずれは東京などの繁盛店で修業を積み、30歳ごろに独立できればと考えていた。
そんな折、2014年末、学生時代にアルバイトをしていた梅湯が廃業するという話を耳にした。当時、梅湯を運営していた社会福祉事業団が、事業から撤退することになった。湊さんは関係者に、自ら引き継ぐことはできないかと申し出た。
「仕事を辞めて、銭湯に関わる仕事をやろうと思っていたんです。それで梅湯を借りられないか聞きました。それでオーナーに会わせていただき、交渉したところ、『君に賭けてみよう』と言ってくださったんです。今から思えば、オーナーもすごいなと思います」
かつて銭湯という文化さえ知らなかったヨソ者の挑戦が始まった。

■「自分が無限に働けば人件費はゼロ」
社会人経験はわずか10カ月。銭湯を経営した経験もゼロだった。しかも梅湯の隣には指定暴力団の事務所があり、毎月約20万円の赤字を出していた。京都の銭湯関係者からは、「なぜ、よりによって梅湯なのか」と反対されたが、湊さんは、むしろそこに可能性を感じた。
「集客が不足している。老朽化している。地域環境も悪い。銭湯がやめていく理由が全部そろって、そこでど素人の若者が成功できたら無敵やんと思ったんです」
現在では「若気の至り」「ノリと勢い」だったと振り返る。そして、実際に働き始める前から、銭湯の仕事の厳しさを思い知らされた。
梅湯を始める直前、湊さんは名古屋の七福湯で約1カ月間、住み込みで修業した。朝10時から浴室を掃除しながら湯を沸かし、午後2時に開店。夕方以降は深夜12時まで番台に立ち、閉店作業を終えて眠る。定休日にも掃除があり、休みはほとんどなかった。
「これはヤバい業界に来てしまった」
そう感じながらも、湊さんは2015年5月5日、梅湯の営業を始めた。
梅湯を引き継いだ当初、1日の客数は60〜70人ほど。スタッフを雇い、適正な人件費を支払えば、毎月20万円近い赤字が出る状態だった。
そこで湊さんが最初に考えたのは、スタッフを雇わず人件費を限界まで抑えるという、力ずくの方法だった。
「自分が無限に働けば、人件費はゼロになると考えて、一人で銭湯を営業していました。寝て食べるくらいの最低限の生活ができれば、3年間は梅湯のために頑張れる。そのつもりでやってみようと」
■生活費は月5万円、燃料費は半分に
初年度に自分の生活費として充てたのは、月5万円ほど。梅湯のロビーで寝泊まりし、店からほとんど出ない生活だったため、その金額さえ使い切らなかったという。
さらに、燃料費の削減にも着手した。当初は重油で湯を沸かしていたが、開業から約1カ月で、より安価な薪へ切り替えた。
「当時は解体業者とのつながりもなかったので、街中で解体現場を見つけて、『風呂屋をやっていて、木材が欲しいんです』と声をかけていました」
解体現場から出る3〜4メートルの木材を運び、チェーンソーで切る。重労働ではあったが、燃料費は重油の半分ほどに抑えられた。人件費と燃料費を削り、まず事業を続けられる状態をつくる。梅湯の再生は、売り上げを伸ばすことではなく、赤字を止めることから始まった。


コストを抑え、黒字化のめどは立った。しかし、問題は山積していた。
建物や設備は老朽化し、故障が相次いだ。「お湯がぬるい」「お湯が熱すぎる」といったクレームを受け、常連客から運営に細かく口を出されることもあった。若く経験のない湊さんは、その対応に追われた。
地域住民から嫌がらせを受けたこともある。
「チラシをハサミで細かく切り、生ゴミや爪楊枝などを混ぜて、梅湯の周辺にまかれていました」
■「煙突、折れてくれへんかな」と願った
相次ぐトラブルに、湊さんは精神的に追い詰められていた。
「1年目は、だいぶ心が折れていました。もうやめたくてしょうがなくて、『煙突、折れてくれへんかな』とずっと思っていました」
それでも続けられた一因として、湊さんは自身の気質を挙げる。
「遠州の人は、関西の人から見ると少しぽわっとしているというか。僕も最初はいろいろ言われていたと思うんですけど、その意味が分からなかったんですよ(笑)」
相手の言葉に込められた反発や皮肉に気づきにくい、いわば「鈍感力」が、厳しい状況をやり過ごす助けになった。
さらに地域との関係も、一様ではなかった。
嫌がらせをする人や、若い湊さんの運営に反発する常連客がいる一方で、応援する人もいた。やがて梅湯の客のなかから、掃除や営業を手伝う「助っ人ボランティア」が現れ、その一部はアルバイトとして店を支えるようになった。
人手も増えて、土日に朝風呂を始めると、さらに客数も少しずつ伸びていった。
拒絶や反発を受ける一方で、客が店を手伝い、働く側へ回る。梅湯と周囲の人たちとの関係は、少しずつ変わっていった。
「もう少し続けてみよう」と踏みとどまるうちに、2年目ごろから徐々に手応えを感じるようになった。
■若者を呼び込んだ「銭湯入門」という発想
湊さんが心血を注ぐ梅湯は、どんな場所なのか。
京阪七条駅から歩くこと約7分。遊郭の面影を残す街並みのなかに、可愛らしくポップな「サウナの梅湯」の電飾看板が見えてくる。暖簾をくぐると、年季を重ねながらも手入れの行き届いた、昔ながらの銭湯空間が広がっていた。
ロビーには手ぬぐいやTシャツ、缶バッジなどが並び、京都や関西のアーティスト、工房、メーカーとのコラボ商品も目を引いた。

大きな窓から光が差し込む浴室には、昔ながらの浴槽に加え、ガラス張りのサウナや京都の地下水を使った水風呂が備わっている。浴室の壁にはスタッフ手書きの新聞が貼られ、湯船につかりながら熱心に目を通す客の姿もあった。
昔ながらの銭湯の姿を残しながら、初めて訪れる人も入りやすい。現在の梅湯は、そんな場所になっている。その背景には、湊さんが銭湯のハードルを下げるために重ねてきた工夫があった。

「梅湯のコンセプトは、『銭湯入門のための銭湯』のようなものでした。若者にとって、銭湯はハードルが高く、よく分からない場所だったと思うんです。気軽にのれんをくぐれる場所にして、梅湯をきっかけに地元の銭湯にも行ってもらえれば、と考えていました」
入り方が分からない。常連客が怖い。自分が入ってもよい場所なのか不安がある。そうした心理的なハードルを下げ、梅湯を知ってもらうため、湊さんは近隣へのポスティングやSNSでの発信に加え、メディアからの取材依頼も積極的に受けた。
なかでも反響が大きかったのが、若者向けのファッション・カルチャー誌『POPEYE』への掲載だった。当時、リニューアル後の同誌が若い読者から注目を集めていたこともあり、記事をきっかけに京都市内のほかの地域や東京からも客が訪れるようになった。
こうして梅湯は、若い世代も日常的に通う銭湯へと変わっていった。
■入浴料を上げられないなら…
さらに店づくりにも手を入れた。初めて訪れる人でも入りやすく、居心地よく過ごせるよう清掃を徹底。シャンプーやボディソープ、ドライヤーを無料にした。外から店内の様子が見えるよう入り口を改修し、ロビーもくつろげる空間に整えた。
また、ファッションや音楽に関心を持っていた湊さんは、京都のショップ「VOU/棒」と共同で、銭湯をテーマにしたイベント「Get湯!」を開催。販売したアイテムが若い世代から予想以上の反響を呼んだことを受け、梅湯でもTシャツや手ぬぐい、キーホルダーなどの制作・販売を始めた。やがてグッズ自体が梅湯を訪れる目的となり、入浴せずに商品だけを購入して帰る人も現れた。
さらに梅湯では音楽ライブも開催し、青葉市子さんやplentyの江沼郁弥さんらが出演した。ライブを目当てに、それまで銭湯と接点のなかった人たちも足を運ぶようになった。
湊さんは、音楽やファッションを入り口にすることで、梅湯を、幅広い人が訪れる場所へと変えていった。ライブを見る、グッズを買う、人に会うといった新たな過ごし方が生まれ、梅湯そのものに愛着を持つファンも増えていった。

こうした取り組みは、新たな客層を呼び込むだけでなく、入浴以外の売り上げを生み出す道も開いた。
そもそも銭湯は、入浴料の上限が都道府県ごとに定められており、店側が自由に価格を上げることはできない。音楽ライブやグッズ販売などは、梅湯にとって新たな収入源となった。なかでもドリンクを含む物販は、売り上げの約20%を占めている。
■銀行に頼らず、1000万円を現金で払った
メディアへの露出やグッズ展開を重ね、梅湯の客数と売り上げは少しずつ伸びていった。一方で、建物の老朽化という問題は残っていた。特に煙突は倒壊の危険があり、営業を続けるには建て替えが必要だった。
「3年間は梅湯のために頑張れる」
そう考えて始めてから3年がたったころ、湊さんは煙突の建て替えを決断。さらに、物置になっていた梅湯の2階を、休憩スペースとして使えるように改装した。
費用は合わせて1000万円。当時、経営経験がなく、銀行から借り入れるという発想すらなかった湊さんは、梅湯の経営を通じて蓄えてきた資金から全額を支払った。

「また一から頑張ろう」そんな感覚だったと語る湊さん。得た利益を自分の生活に回さず、次の投資として梅湯に還元する。その繰り返しで、店を維持するための環境を整えていった。
■自分をシフトから外すと、次の店が見えた
煙突を建て替えても、客数が増えたり、業務が効率化したりするわけではない。それでも、梅湯を続けるには避けられない投資だった。
「煙突、折れてくれへんかな」。1年目にそんなことを思っていた湊さんは、3年後、新しい煙突を建てた。それは銭湯の仕事をこの先も続けていくという意思表明でもあった。
梅湯が軌道に乗ると、湊さんは自らをシフトから外し、スタッフだけで店を回すことにした。
「僕がシフトに入らない分、人件費がかかり、ほとんど利益は出ませんでした。でも、スタッフだけで店を回したことで、僕がいなくても店が動く仕組みをつくれました」
梅湯は湊さん一人に依存する店から脱し、さらに営業時間を延ばしたことで客数と売り上げは伸びていった。日々の営業をスタッフに任せられるようになった湊さんは、次に引き継ぐ銭湯を探し始めた。
「梅湯で培ったノウハウが、ほかでも通用するのかを試したかったんです」
2018年11月、後継者がいないまま2年間閉まっていた滋賀県大津市の「都湯」を継業した。再開当初、1日の客数は約40人だった。
そこで、店をきれいに掃除し、ポスティングやSNSで営業再開を知らせた。番台では来店客に声をかけ、若い客には友人を連れてきてほしいと伝えた。梅湯で培った方法を積み重ねた結果、都湯の客数は1日150〜200人まで増えた。
■赤字の1軒から、10軒・年商4.7億円へ
梅湯の立地や湊さん個人の話題性だけに頼らず、別の地域でも再生できる手応えを得た。そこで2019年7月、滋賀・石山の「容輝湯」と京都・西陣の「源湯」を相次いで継業した。




短期間で店舗を広げられた背景には、梅湯に集まった人材の存在もあった。24歳で赤字銭湯を引き継いだ湊さんの取り組みが知られるにつれ、将来自ら銭湯を経営したい人や、その理念に共感する若者が集まるようになった。その一部が、各店舗の運営を担ったのだ。
こうして、梅湯でつくった運営体制は複数店舗へと広がった。店舗数と売り上げの拡大を受け、2021年にゆとなみ社を法人化。2025年度の年商は4億7000万円に達し、2026年度は5億円超を目指している。
ゆとなみ社の直営店は現在10店舗。運営支援などを含めると、ゆとなみ社がこれまでに関わった銭湯は14〜15軒に上る。事業は成長したが、湊さんの危機感は強い。
湊さんが梅湯を始めた2015年、組合に加盟する一般公衆浴場は全国に約2800軒あった。それが、この10年ほどで1500軒を切るまでに減少しているのだ。
「年間100軒ほど減っている中で考えると、僕らが支援できた数は全体のごく一部です。スピードとしては全然遅いんです」
事業を拡大しても、救える銭湯の数は、廃業していく数に遠く及ばない。ゆとなみ社の成長とともに、湊さんは業界全体が置かれた状況の厳しさを、より強く感じるようになっていた。
■月商1100万円でも「結構、詰んでいる」
さらに店舗の客数や売り上げを伸ばしても、銭湯を残せるわけではない。実はつい最近まで梅湯もピンチを迎えていたと語る。
「実は釜から少しずつ水が漏れ始めていて。ただ、釜は受注生産で、製造できる業者も減っているため、納品まで1年待ちだったんです。釜が止まれば、休業することになります。梅湯は月商1100万円もあり、ゆとなみ社の主力でもあります。いつ止まるか分からない状態で営業を続けましたが、ぎりぎり間に合って交換できました」
設備の問題だけではない。土地や建物をオーナー個人が所有する銭湯では、相続を機に売却され、収支に問題がなくても廃業に追い込まれることがある。たとえ土地と建物を取得できたとしても、老朽化した銭湯を残すには新築まで視野に入れないといけない。
その費用は1軒あたり3億〜4億円ほど。入浴料が500〜600円、月商400万円ほどが一般的な事業で、その資金を調達するのは容易ではない。
「結構、詰んでいる」
そう語る湊さんは、ゆとなみ社とは別に株式会社「ゆばん」を立ち上げた。
■銭湯を残すため「設備・建築・不動産・金融」へ
湯を沸かす釜や配管を修理できる設備業者。建物を修繕し、新築を設計できる建築。土地や建物を取得するための不動産。そして、大規模な修繕や新築へ資金を循環させる金融機能。
設備、建築、不動産、金融の4領域をまたいだ会社を運営し、銭湯を将来へ残そうとしている。そしてその第一歩として、湊さんは2025年6月に梅湯の土地と建物を取得。将来的には、新築も検討している。
「最も売り上げの大きい梅湯で、購入から新築まで実現できなければ、ほかの店舗でできるわけがありません。まずは梅湯を通して、購入から新築まで一貫してできる仕組みを構築したいと思っています」
10年以上前、湊さんの覚悟は、目の前の梅湯を続けるためのものだった。しかし、今は違う。その覚悟が向かう先は、一軒の銭湯にとどまらない。一時は折れてほしいと願った煙突を自ら建て替えた若者は、いま、銭湯業界を支える地盤をつくろうとしている。
そしてその先に残したい光景は、銭湯という文化さえ知らなかった湊さんが、10年以上前に心を動かされたあの日常だ。地域の人たちが毎日のように通い、銭湯を暮らしの一部として使い続ける。効率や採算だけでは測れない価値がそこにはあった。
訪れた銭湯が次々と閉店していくたび、若き日の湊さんの胸には「なんとかならないのかな」という問いが残った。かつて銭湯を知らなかったヨソ者は、いま、その問いへの答えを事業を通じて示そうとしている。

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マーガレット安井(まーがれっとやすい)
フリーライター
大阪府出身のフリーライター。関西圏のインディペンデントカルチャー(インディーズバンド、ライブハウス、レコードショップ、ミニシアターなど)を中心に、現場の雰囲気やアーティストの背景、地域の文化的なつながりを文章として紡ぐ。過去にはAll About、Real Sound、Skream!、Lmaga.jp、Meets Regionalなどに寄稿。
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(フリーライター マーガレット安井)
