「妊婦をリンチ殺害」「全裸で地中に埋められた人も…」“京大出身”の学歴エリートもいたのになぜ…“思想が合わない者”を徹底排除した「連合赤軍」の失敗〉から続く

 1970年代初頭、革命を掲げ結成された「連合赤軍」。京大中退者ら高学歴エリートが集うも、山中アジトでの共同生活は急速に狂気へ及んだ。「総括」と称する暴行や絶食で12名もの同志が犠牲に……。なぜ若者たちは暴走したのか?

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 凄惨な山岳ベース事件の惨劇と、主犯格・生き残ったメンバーたちの「その後の運命」を、鉄人社の新刊『高度経済成長期の日本で起きた37の怖い事件』よりお届けする。(全2回の2回目)


あさま山荘(写真:時事通信社)

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連合赤軍は何をした?

 以下、時系列に沿って、事件の詳細を記す。

・1971年12月26日:山田孝(同22歳)と山本順一(同22歳)が女性メンバーとのキスを目撃され、殴打・縄縛り・屋外放置。

・12月28日:小嶋和子(同22歳)が総括で「敗北主義」と責められ、暴行・絶食。

・12月31日:小嶋が死亡(最初の犠牲者)。

・1972年1月1日:遠山美枝子(同25歳)を「指輪を着けていた」「化粧がブルジョア的」と永田が激しく批判。縄で縛られ、食事を奪われ、雪上に放置され内臓破裂で死亡。

・1月2日:山本順一が飢えと寒さで死亡。

・1月4日:山田孝が飢えと寒さで死亡。

・1月7日:小島豪(同26歳)が飢えと寒さで死亡。

・1月9日:名倉啓二(同22歳)が飢えと寒さで死亡。

・1月17日:前出、中央委員の寺岡恒一が総括の恐怖から逃げようとして死刑宣告を受け、アイスピックで刺殺される。

・1月19日:緒方純(同21歳)が「全共闘体質」と批判され、死刑判決を受けアイスピックで刺殺される。

全裸で地中に埋められたメンバーも…

・1月30日:大槻節子(同28歳)と片岡利明(同23歳)が飢えと寒さで死亡。

・2月4日:金子みちよ(同24歳)が飢えと寒さで死亡(妊娠8ヶ月で胎児も死亡)。

・2月12日:加藤能敬(同27歳)が凍傷と衰弱により死亡。

 犯行は森と永田が主導し、その恐怖政治のもと他のメンバーが実行。犠牲者(全員が高学歴)の12人(男8人、女4人)は全裸で土中に埋められた。

 事件後、メンバーの脱走が相次ぎ、組織壊滅。1972年2月17日、森と永田が逮捕され、残った坂口、坂東、吉野ら5人が長野県のあさま山荘に人質を取って立てこもり、10日間の銃撃戦で警官2人を殺害。2月28日に逮捕された後、坂口の自供により集団リンチ事件が発覚した。

 森は裁判が始まる前の1973年元旦に東京拘置所で首吊り自殺(享年28)。独房には次のような遺書が残されていた。

〈御遺族のみなさん。十二名の同志はぼくのブルジョア的反マルクス的専制と戦い、階級性、革命性を守ろうとした

 革命的同志であった。責任はひとえにぼくにある。同志のみなさん 常に心から励まして下さってありがとう。お元気で。父上、ぼくはあなたの強い意志を学びとるべきだった。

 強い意志のない正義感は薄っぺらなものとなり、変質だったのである。お元気で。愛する人へ 希望を持って生きて下さい。さようなら。荷物は坂東君に〉

生き残ったメンバーたちのその後

 永田と坂口は死刑判決を受け(永田は2011年2月に65歳で病死、坂口は2026年1月現在、執行待ち)、吉野には無期懲役が下ったが(2026年1月現在、千葉刑務所に収監中)、坂東は公判途中の1975年8月に日本赤軍メンバー5人がマレーシアの首都のクアラルンプールにある、アメリカとスウェーデン大使館を襲撃・占拠し、館内にいたアメリカの総領事ら52人を人質に取った事件で、日本政府に人質を解放する代わりに、服役中の同志の釈放を要求し、これに応じた政府当局の「超法規的措置」により釈放され国外に脱出。

 現在も国際指名手配されている。
 

(鉄人ノンフィクション編集部/Webオリジナル(外部転載))