船で4時間、長崎・五島列島から全国決勝へ 「離島だから」を認めず…数えた“足りないもの”より“今あるもの”――五島・戸川良汰
「THE ANSWER 陸上PLUS|STORY」 滋賀インターハイ ・平和堂HATOスタジアム(7/30〜8/5)
足りないものを数えれば言い訳が見つかる。今あるものを数えれば手段が見つかる。男子400メートル障害に出場した戸川良汰(五島3年)は、そんなことを教えてくれる選手だった。長崎の五島列島のひとつ・福江島の出身。大会のたびに船で4時間かけて移動する。「『離島だから』というハンデを認めたくない」と山や砂浜も練習場所に変え、成長した高校3年間だった。(取材・文=THE ANSWER編集部・神原 英彰)
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人口3万人。長崎の離島からやってきたハードラーが全国決勝を駆けた。
大会4日目の男子400メートル障害予選。でっかいスタジアムに、キラキラと眩しいナイター照明。日曜日。メインスタンドはびっしり埋まっている。
戸川は、そのすべてを楽しんでいた。
「もう、本当に光栄でした! 県や北九州とは違った雰囲気で、場内の歓声、声援もすごく聞こえてきて。自分でびっくりしちゃうくらいすごい雰囲気でした!」
そんな夢舞台で出し切らずに終われない。
先頭から離されても粘り、53秒36で組4着。望んだタイムと着順ではなかったが、それ以上に幸せを感じた時間だった。
長崎・福江島の最南端にある富江町出身。柔道をやらせたかった父の勧めで、体力作りのために小6で陸上を始めた。「周りより、ちょっと足も速かったので」
家の周りは長閑な景色が広がり、近所にコンビニもない。小さい頃は田んぼで鬼ごっこをして遊んだ。
「そのおかげで足腰も強くなったんだと思います」
中3で全中に出場するまで成長した。高校進学を機に島を出る同級生もいたが、戸川は愛着のある地元で勝負したかった。
ただ、高校生活は「腐る」時期を味わった。
試合のたびに船で4時間 認めたくなかった「離島だから」
中3の秋に負った右太もも裏の肉離れが長引いた。高1の夏は県大会出場も断念。1年近く満足に走ることさえできなかった。
正直に言えば「結構、腐っていた」。しかし、監督をはじめ周囲が励ましてくれたり、愛を持って叱ってくれたり。母も整骨院までよく送り迎えしてくれた。なんとか心を保った。「本当に支えてもらって感謝しかないです」
怪我を乗り越えても、島ならではの不便はあった。
県本土で試合があるたび、五島灘を越え、船で揺られること4時間。「移動はやっぱり大変で……」。ただ、そこで思考を止めなかった。「負けてたまるか。『離島だから』というハンデを認めたくなかった」
帰りの船はレース映像を見返し、ゆっくり振り返る時間にした。
練習場所も工夫した。島の山を走る。海の砂浜を走る。人数が少ない分、トラックは広く使える。ハンデをハンデと考えずに実力を伸ばした。
5月の県大会で優勝、6月の北九州大会で3位。ついに初のインターハイ切符を掴み取った。
「やってやるぞと思って、こっちに来ました」
その反骨心と執念が、島の訛りが抜けない純朴なハードラーにご褒美を授けた。
「足りないもの」より「今あるもの」を数え続けた3年間
予選は組4着。計8組の上位2人に加え、3着以下のタイム上位8人のうち7番手で拾われた。
3組24人で争うタイムレース形式の決勝に進出。「正直、落ちたな」と思っていたところからの復活。「もう1回チャンスをもらえて本当に嬉しかった」。翌日の決勝。「とにかく突っ込んでやろう」。悔いだけは残したくない。
52秒66。総合19位。2本目のレースを駆け抜けた後は「本当に全部出し切ったと思います」と夏の彦根の空より晴れやかだった。
「本当に『人から支えてもらった』という言葉に尽きます。怪我した期間、上手く走れるようになった期間も含めて。この舞台に立てるまで指導してくださった先生方にも、本当に感謝の気持ちしかないです」
3年間を振り返っても、自分を誇るより「ありがとう」が先に出る心優しさが滲む。
もっと良い環境でやりたいと思ったことは「一度もない」と即答した。キツい練習を仲間とこなした後の達成感が好きだった。卒業後も陸上を続けるかは未定というが、将来は「人の役に立つ仕事がしたい」と公務員を志している。
田んぼを、山を、砂浜を駆け、「足りないもの」より「今あるもの」を数え続けた3年間。
その積み重ねが、戸川良汰を福江島から夢のような場所に連れてきてくれた。陸上を続けても、別の道へ進んでも、その数え方は変わらない。
(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)

