習近平が「日本に行くな」と煽ったばかりに…反中感情が高まる韓国で、台湾人観光客が持ち歩く"自衛アイテム"

■台湾人観光客の胸元に光るアイテム
韓国・ソウル随一の繁華街、明洞(ミョンドン)。観光客でにぎわう通りを歩く台湾人の胸元に、小さなバッジがひとつ光っている。台湾の国旗を持ったキャラクターの絵柄に、韓国語と英語で「台湾出身です(I'm from Taiwan)」の文字。中国人と間違われて嫌がらせの標的にならないための、自衛グッズだ。
きっかけは、中国人団体観光客へのビザ免除措置だった。これに猛反発した韓国の極右団体がソウルでデモを繰り返し、数百人が「韓国は韓国人のもの」「中国人の船を止めろ」とプラカードを掲げた。韓国政府としても外交上、頭の痛い問題になっている。
反中デモが続くなか、台湾出身のガイドのリン・ヨンビンさんは、明洞でツアー客を案内している。リンさんによれば、およそ20人に1人がバッジやタグを持参しているという。
昨年10月、ニューヨーク・タイムズの取材に対し、「中国人と間違われて嫌がらせを受けても、これを見せれば放免される」と語った。反中デモが起きている近くでは、中国語を話さないようにとも助言しているという。
■「台湾出身です」バッジをめぐる賛否
バッジはSNSでも瞬く間に広がった。韓国英字日刊紙のコリア・ヘラルドは、台湾のユーザーがThreadsにバッジの写真を投稿し、大きな反響を呼んだと報じている。
台湾の観光客も中国の観光客も同じアジア系で、どちらも中国語の普通話を話す。「見た目では区別がつかないから効果的だ」という声がある一方、「こんなバッジが必要なこと自体が恥ずかしい」という嘆きの声も同紙は取り上げている。
中国人だと名乗るユーザーが「自分もバッジをつければ被害を避けられるか」と尋ねる書き込みもある。国籍により敵意を向けるというヘイトの構図が根底にある。
海を隔てた日本でも、国籍をめぐる“自衛策”が目撃されている。ただしこちらは中国客側の行動だ。反中感情が高まるなか、一部の中国人旅行者が台湾のパスポートカバーで自国の旅券を覆い隠し、台湾人のふりをしているのだという。シンガポール・デジタルメディアのマザーシップが報じた。
■中国人と間違われ、焼酎瓶で殴られた台湾人男性
台湾の観光客がバッジを着用するのは、すでに複数の暴行事件が起きているのを踏まえてのことだ。

昨年4月、韓国のバスの車内でのことだった。中国語で会話していた20代の中国人女性旅行者2人に、30代の男が突然蹴りかかった。男は停留所で降りた2人を追いかけ、さらに暴行を加えたと、韓国経済紙のアジア・ビジネス・デイリーは伝えている。
わずか5日後、同じ男がまた事件を起こした。今度は30代の台湾人男性を中国人と勘違いし、焼酎の瓶で頭を殴りつけた。この2度目の犯行で、男はようやく逮捕された。
昨年8月、ソウル西部地方裁判所は懲役10カ月の実刑を言い渡した。裁判所は、「被告は中国国民に対する敵意を抱き、夜間に意図的に中国人を標的にした。ヘイトクライム(人種や国籍への憎悪に基づく犯罪)に該当し、厳罰に値する」と述べた。だが、判決が出ても暴力事件は止まらなかった。
昨年9月、ソウルの繁華街・弘大(ホンデ)エリア。韓国英字日刊紙のコリア・タイムズによると、台湾人YouTuberの女性が友人と歩いていたところ、韓国人男性2人に、「一晩一緒に過ごさないか」と声をかけられた。男らは友人の肩や髪に勝手に触りはじめ、女性が拒むと殴りかかった。顔や手足にあざが残り、親指は骨折。「断っただけで殴られるなんて、思いもしなかった」と女性は語っている。ただし警察は最終的に、事件は「台湾人女性と韓国人男性の相互暴行」であったと認定している。
■中国語で電話中、地下鉄で突き飛ばされた人も
敵意は旅行者に限らず、韓国で暮らす人々の日常にも及んでいる。
香港英字紙のサウスチャイナ・モーニングポストによれば、ソウル在住の台湾人駐在員ジョセフ・チュンは、地下鉄で母親と中国語で電話していたとき、見知らぬ人に突き飛ばされたという。「相手は何も言わなかった。でも、敵意は確かに伝わってきた」と彼は恐怖の瞬間を振り返る。
中国大使館がある明洞では、3カ月以上にわたって反中デモが繰り返されてきた。数百人規模のデモ隊が押し寄せ、地元の人々の暮らしを脅かしている。
サウスチャイナ・モーニングポストによると、デモ隊は「China out(中国は出ていけ)」と声を張り上げ、差別的な歌を歌いながら通りを練り歩く。
怯えた中国人観光客たちは、その場から逃げ出していく。地元の商店街の店主たちは、客を失いながらもなすすべがない。店舗オーナーのパク・ジョンス氏はMBCテレビで、「中国人を標的にしたプラカードを、目の前に突きつけてくるんです。デモ隊が来る日は、商売がほとんどできません」と嘆いた。商店主がヘイトスピーチをやめるよう頼むと、逆にデモ隊から脅されることもあったという。
警察も動いた。習近平国家主席などの写真が入った横断幕を撤去し、参加者から事情を聴いた。最終的にはデモ隊が明洞に入ること自体を禁止した。
■尹前大統領が持ち出した「中国スパイ」
警察が対策に乗り出してもデモ隊はひるまなかった。
矛先はソウル南部の大林(テリム)地区に向いた。韓国系の中国国籍者である朝鮮族が多く暮らすチャイナタウンだ。参加者の一人はMBCテレビの取材で、「この国は中国からの不法移民のせいで、めちゃくちゃにされている」と主張した。
大林で暮らす中国系の住民たちは、投げつけられる言葉に深く傷ついている。
ある住民がMBCテレビで、「韓国に長く住んで、半分韓国人のような気持ちになっています。こんなデモは見たくない。あんな言葉を聞くと、とても悲しくなります」と訴える。
コリア・タイムズが昨年9月に報じたデータによると、中国大使館があるソウル明洞周辺の反中デモは2022年に20件、2023年に15件、2024年に13件と、年々減りつつあった。
ところが2025年、空気は一変する。10月に届け出のあった計画分を含め65件と、前年の5倍に達した。
転機は2024年12月の戒厳令だった。尹錫悦(ユン・ソンニョル)前大統領が突如、野党により国会が停滞しているとして戒厳令を宣言。軍が行政や司法の機能を代行する措置を講じたが、国会が即座に退け、わずか数時間で撤回に追い込まれた。尹氏はその後弾劾される。

問題は、尹氏が戒厳令を正当化する際に「中国のスパイ」の脅威を持ち出したことだ。ニューヨーク・タイムズによると尹氏は、中国の工作員が韓国に浸透しているとの疑惑を持ち出した。大統領自身が中国の脅威を公言したことで、「中国が韓国の選挙を裏で操作している」という陰謀論に公的なお墨付きが与えられた形になり、極右メディアやYouTuberたちがこれを一斉に取り上げた。
■誇張された情報が憎悪感を煽る結果に…
ソウル市立大学中国語・中国文化学科のハ・ナムソク准教授は昨年5月、サウスチャイナ・モーニングポストでこの変化をこう分析している。
「以前の反中感情は、間違ってはいたが、THAAD(在韓米軍のミサイル防衛システム)配備への中国の報復や文化盗用論争など、現実の出来事に根差していた。戒厳令危機のあと、憎悪は陰謀論やフェイクニュースを根源とするものへと変わった」
韓国の中央日報が引用した2022年の調査では、中国を否定的に見る韓国人は81%に達した。2015年のピュー・リサーチセンターによる別の調査では37%だったが、そこから大きく上昇している。
戒厳令の騒動が沈静化した後は、中国人団体客へのビザ免除措置が批判の的になった。
コリア・ヘラルドによると、昨年8月時点で訪韓観光客の3人に1人は中国人だ。ビザ免除は観光振興のための経済政策でもある。だが排外的な言説が広がり、政策本来の趣旨はかすんだ。
コリア・タイムズによると、「3000万人の中国人が押し寄せる」など、誇張された情報が極右団体やメディアによって拡散され、犯罪や感染症など人々の不安に訴える形で憎悪感情を煽った。
■李在明大統領「反中デモは自滅的行為」
反中デモへの対応で、現職の李在明(イ・ジェミョン)大統領は難しいかじ取りを迫られている。
昨年10月、ニューヨーク・タイムズは地元メディアの報道を引用し、李大統領がデモを「国益と国家イメージを損なう自滅的行為」と非難したと伝えた。サウスチャイナ・モーニングポストによると、「騒ぎにすぎない」とも切り捨てた。
タイム誌のインタビューでは、「中国を敵に回さないよう関係を管理する必要がある」と語り、そうしなければ、「(米中の)二つの陣営の最前線になるリスクがある」と認めている。
そこに中国側の圧力が加わる。駐韓中国大使館は昨年10月、声明を出し、デモを「極右勢力」による扇動行為だと非難。韓国政府に対し、「在韓中国人の安全と合法的権益の完全な保護」を求めた。
こうした圧力を受け、政府はデモの抑制に乗り出した。
当時の金民錫(キム・ミンソク)首相は法執行機関に、中国大使館前のデモに対し、「断固とした対応」をとるよう指示した。趙顕(チョ・ヒョン)外交部長官は外交関係に関するウィーン条約を持ち出し、大使館の安全確保は受入国の義務だと説明。「行き過ぎた場合には国内法のみならずウィーン条約に基づいて止める義務がある」と語った。
■中国人が台湾風パスポートカバーで国籍隠し
中国からの観光客が肩身の狭い思いをしているのは、韓国だけではない。日本旅行中も、一部の人々は中国出身であることが分かりづらいようにしているという。
赤い表紙の中国パスポートに、「中華民国(TAIWAN)」と記された緑色のカバーをかぶせる。これだけで、開かなければ外見上は台湾のパスポートにしか見えない。日本を訪れる一部の中国人旅行者の間で、こうした“変装”をする動きが出ている。

当然、入国審査の際にはパスポートを開くことになる。おそらくはこうした公式の場ではなく、空港内や街角での見られ方を意識した行動なのだろう。昨年12月、韓国経済紙のファイナンシャルニュースやアジア・ビジネス・デイリーが報じたところによると、ある中国人旅行者がカバーをかぶせたパスポートの写真をSNSに投稿し、「こうすると日本旅行がずっと快適だった」と語っている。
中国のECプラットフォーム「淘宝(タオバオ)」では、台湾風に加え、日本のパスポートに似せたカバーまで出回っている。アジア・ビジネス・デイリーによると、あるネットユーザーは購入方法を解説し、「みんなの参考になるように」と呼びかけている。
こうした動きの原因として、日中関係の急速な悪化がある。高市早苗首相は昨年11月、台湾海峡有事への介入の可能性を示唆した。中国はこれに強く反発し、自国民に日本への渡航を控えるよう求めた。日本を訪れる旅行者は激減したが、引き続き訪日する中国客の一部の人々が、差別を避けるためにこうして国籍を隠している模様だ。
■国籍を隠す中国人、強調する台湾人
韓国では台湾人が自ら「台湾出身です」とバッジをつけ、日本では中国人が台湾人を装う。いずれも「台湾人」を前面に出すことで、中国人への反感を避けようとする動きだ。
韓国国民には、こうした対応を迫られる現状に心を痛める人々もいる。アジア・ビジネス・デイリーによると、韓国で台湾人バッジの写真がSNSで広がると、一部の韓国ネットユーザーが、「ヘイトを煽っているのはごく少数だ」と謝罪する投稿をした。
一方で、国籍を偽ることへの批判も根強い。マザーシップによれば、中国国内では、「国名を隠すなんて愛国心がない」という声が上がったという。アジア・ビジネス・デイリーによると、台湾のネットユーザーからも、「台湾人のふりをするのは詐欺だ」「税関ですぐ見分けられる」といった反応が出ている。

韓国社会の反応は多様だ。街で実際に聞かれる声は、ヘイトに偏りがちなネット上の印象とはまた違うという。
ライブ配信者のブライアン・ルー氏(23歳、中国・貴州省出身)は昨年、近くの都市でのコンサートをきっかけにソウルへ立ち寄った。実際に待っていたのは良い経験ばかりだったと、ニューヨーク・タイムズに語っている。
「ネットで描かれているのとは全然違う。ここの人たちはよく笑うし、たくさんの人が挨拶してくれるし、とても礼儀正しい」
バッジやパスポートカバーが分断の世相を象徴する中、観光客を温かく迎え入れる人々がいるのも事実だ。観光客の増加は国籍を問わず、経済的利益を生む一方でマナー問題を招くことがある。訪日自粛でさらに多くの中国客が向かうようになった韓国で、受け入れをめぐり世論は割れている。
----------
青葉 やまと(あおば・やまと)
フリーライター・翻訳者
1982年生まれ。関西学院大学を卒業後、都内IT企業でエンジニアとして活動。6年間の業界経験ののち、2010年から文筆業に転身。技術知識を生かした技術翻訳ほか、IT・国際情勢などニュース記事の執筆を手がける。ウェブサイト『ニューズウィーク日本版』などで執筆中。
----------
(フリーライター・翻訳者 青葉 やまと)
