絵本への思いを語るシャロンさん(7月22日、米カリフォルニア州ローズビルで)=増田知基撮影

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 太平洋戦争中、多くの日系人が強制収容された米ハワイ最大の「ホノウリウリ収容所」を描いた絵本が、米国で関心を集めている。

 執筆したのは日系4世の絵本作家シャロン・フジモト・ジョンソンさん(53)。小さな貝殻に希望を託し、過酷な環境を生き抜いた祖父の実体験を基にした一冊だ。シャロンさんは「未来の世代に歴史と物語を語り継いでいきたい」と語る。(ロサンゼルス支局 増田知基)

地獄谷の強制労働

 「強くありなさい」。手錠をかけられた若い男性は、妻と幼子に向かってそう叫び、収容所へと連行された。照りつける太陽、雨ざらしのテント、粗末な食事。やせ細り、孤独に耐えながら、家族の声を求め、収容所で拾い集めた貝殻に耳を当てた――。

 カリフォルニア州に住むシャロンさんは、オアフ島のホノウリウリに収容された祖父・藤本茂樹さんの実体験を英語の絵本「シェル・ソング(貝殻の歌)」にまとめた。昨年4月、米大手出版社の手で売り出されると、著名な米国の作家らから「米国史の悲劇を学べる完璧な一冊」と賛辞が寄せられた。

 茂樹さんはハワイ生まれの日系2世で、日本の製品を扱う貿易会社を日本出身の父親から継いだ。真珠湾攻撃翌年の1942年、29歳の時に「敵性外国人」として連邦捜査局(FBI)に逮捕された。

 渓谷にあるホノウリウリは、高温多湿で蚊が大量発生する劣悪な環境で、「地獄谷(ヘル・バレー)」と呼ばれた。強制労働以外の時間に茂樹さんが集めたのが、足元で輝く貝殻だった。ゴツゴツとしたとげのあるもの、線が刻まれたもの、花びらの形をしたもの……。マッチにしまい、貝の種類の名前を紙切れに書いて残した。

 45年、家族のもとに戻った茂樹さんは、呼吸器や精神を患っていた。療養しながら静かに過ごし、63年に49歳の若さで亡くなった。

子どもも読める

 シャロンさんが亡き祖父とのつながりを持ったのは10歳の頃。父のエドワードさんから、「おじいちゃんが収容所で集めたんだよ」と貝殻を手渡された。大切な物だと直感し、その後も大事に保管し続けた。

 祖父ら多くの日系人が強制収容された歴史を伝え聞く中で「いつか祖父の物語を伝えたい」と思うきっかけとなったのが、祖父の妻・菊枝さん(2014年に96歳で死去)が日本語で残した自伝だった。大学生の時に読み、細やかな筆致でつづられた茂樹さんとの思い出が胸に響いた。

 雑誌編集の仕事などに就き、結婚して2人の娘を育てたシャロンさんは、40歳代で子宮頸(けい)がんを患ったのを機に、「祖父の物語を子どもたちも読める絵本で残そう」と決心。理解のある編集者との出会いが出版を後押ししてくれた。

 シェル・ソングの筋書きは菊枝さんの話や自伝を基にしている。茂樹さんの貝殻や菊枝さんの着物の質感を表現した絵が、独特の温かみを生み出している。

戦後80年 現地へ

 戦後80年となった昨年、シャロンさんは、跡地を管理する米国立公園局から遺族としてホノウリウリの跡地に招待され、次女のローレンさん(12)と巡った。強烈な日差しと周囲を囲む山の壁に圧倒された。「祖父があの場にいたと思うと、胸に迫るものがあった」と振り返る。

 現地でも収容所への関心は高まっている。同局が7月から始めた「地獄谷」を巡るツアー(12月まで各月1回催行)は、キャンセル待ちが約1400人に上るほどの盛況ぶりという。

 戦時中、米国では西海岸を中心に約12万5000人に上る日系米国人が強制収容された。シャロンさんは「その一人ひとりに物語がある。娘や後世の子どもたちに知ってほしい」と願う。絵本は日本語版の出版も検討している。

 ◆ホノウリウリ収容所=米国立公園局によると、1943〜46年の開設期間中の収容者は、戦争捕虜と日系人ら4000人以上。日系人が家族ごと軒並み強制収容された米本土とは違い、日本語教師や政治家といった影響力を持つ人物が恣意(しい)的に選別された。跡地は2002年に発見され、15年にハワイ出身のバラク・オバマ大統領(当時)が文書に署名して国定史跡となった。