堤清二が見た昭和の傑物たち…吉田茂元首相は「あんたの親父さんが死んでホッとしたよ」と口にした
輝いていた日本は、もう遠い昔だ。世界2位だった経済大国から転落し、人口も急激に減少ーーと、日本は衰退の一途をたどっている。
【保阪正康 日本史縦横無尽】父を客観的に見る目 昭和の終わり頃に聞いた吉田茂の三女、麻生和子の証言
どうして日本は力を失ってしまったのか。どうすれば、あの時代を取り戻せるのか。ヒントになるのが、戦後の全盛期を築いた男たちの生きざまだ。
セゾングループの総帥・堤清二(1927年−2013年)が語った、男たちの素顔をお届けしよう。
堤清二が吉田茂元首相に初めて会ったのは、衆議院議長だった父・堤康次郎の秘書を務めていた昭和28年11月。康次郎の使いで神奈川県・大磯の吉田邸を訪問した時だった。
「吉田さんは、応接間のガラス張りのサンルームがお気に入りで、椅子に深く腰掛けながら着物をまとい、パイプをふかしていました。第一印象は、小さいことにはこだわらない魅力的な人だな、というものです。時間にして30分程度。どんな話をしたのか覚えてはいませんが、『ゆっくりしていきなさい』と言われ、しばらくすると、奥から後妻の小りん(坂本喜代子)さんが出てきて挨拶したことを覚えています。レトロな時間を過ごしたということは今でも記憶に残っています。その後、吉田さんには5、6回会いました。印象に残っているのは、『何が好きですか』と聞いたときに『食い物だったらやっぱり人間だな』と顔色を変えずに言ったことです。吉田さんらしいと思いましたね」
清二は父・康次郎が急逝した昭和39年4月、父の葬儀が済んだ後、吉田の元を訪れている。このとき清二の顔を見るなり、ブラックジョークを口にしたという。
「無事に葬儀が済んだことを報告がてら、お礼のあいさつに伺ったときのことです。僕の顔を見るなり、『君のところとも長いつき合いだが、正直、親父さんが死んでホッとしたよ』といきなり言い出したのです。びっくりして『何か不始末でもありましたか』と聞き返すと、ニヤッと笑って『いつ、この大磯の家、買われちゃうかわからなかったからな』と言うのです」
佐藤栄作が堤清二に持ちかけたこととは
3年後の昭和42年10月、吉田が他界した。それから、さらに半年後の43年春、清二の元に時の総理、佐藤栄作から一本の電話が入った。
「僕は名古屋に出張していて、ホテルのコーヒーショップで朝食を食べていたのです。すると、『東京の佐藤さんという人から電話が入っています』と館内放送で呼び出されました。朝でも夜でも意外な時間に電話が入る時は、大抵よくないことが多かった。しかも、当時、西武百貨店にも佐藤という役員がいたので、会社で何かあったのかと訝りながら電話に出ました。すると、佐藤は佐藤でも総理の佐藤栄作さんだったのです」
佐藤首相は、吉田邸の購入を持ちかけてきたのだった。
「佐藤総理は『君のところで吉田邸を買わんか』と電話で言ってきたのです。吉田邸を売却して遺族の方に法律に従って財産を分配することにしたので、協力してほしいということでした。父と吉田さんとの関係を配慮し、西武に真っ先に声をかけてくれたということでした。それで僕も二つ返事でお受けしたわけです」
康次郎逝去のときに語った吉田のブラックジョークが、ジョークではなくなったわけだ。
相続問題は円満に解決したという。
(松崎隆司/ジャーナリスト)
※2012年10月2日に掲載した記事を再編集しています。
