差別はなかった、でもモバイルバッテリーは7回盗まれた…日本人義勇兵が見た「プーチンの軍隊の実情」
※本稿は、金子大作『ロシア軍の日本人兵士 最強の特殊部隊「アフマット」で見た地獄』(講談社)の一部を再編集したものです。

■差別を覚悟していたが…
日本人はロシアで大人気だ。僕が日本人だとわかると、決まってスター扱いされた。
「日本人か! 初めて見たよ。写真撮ってくれ」
嘘ではない。テレビ電話で家族に繋げ、「日本人だぞ」と自慢する奴も多かった。見ず知らずの奥さんや両親と話したことは数え切れない。
ロシアに渡る前は、差別も覚悟をしていた。ところが、一度も差別されたことがないばかりか、ロシア人はどこまでも面倒見が良くお節介焼きだった。僕は次第にロシアの人々の人柄にも惚れていった。それほどロシアでは日本人を好意的に受け止めてくれる。
ただし、「日本政府」となると話は別だ。ロシアと対立する日本政府に、嫌悪感を抱いているロシア人も少なくない。軍隊にいるとたびたび聞かれるテンプレのようなセリフがある。
「なぜ日本はロシアと仲良くしないのか」
「なぜアメリカと仲良くするのか」
ロシア人の多くが、日本製の電化製品を使用して日本車を愛する。日本車を持つのは、ロシア人男性のステータスだ。軍人は高給取りだが、彼らが所有したい車はベンツでもBMWでもない。憧れの日本車だ。
「トヨタのマークXを400万円で購入した」
心から嬉しそうにそう語る仲間もいた。SVO以降、日本政府はロシアへの自動車輸出を認めていない。そのため、韓国・中国を経由して日本の中古車がロシアに渡ってくる。その分、値段は高騰するが、それでもロシア人は日本車の購入を諦めない。
■「人の物を盗まない」が通じない軍隊
とはいえ、価値観の相違も当然ある。
「人の物を盗んではいけません」
日本人にとっては当たり前のことだ。ところが、ロシア軍の一部の兵士には、この常識が通用しない。持ち主がわからない物ならば勝手に持っていく。それどころか、持ち主がわかる物でも欲しければ持っていく。つまるところ、まあ何でも盗むのだ。
戦地ではなかなか電源が取れないなか、ようやくフル充電できたモバイルバッテリーを盗む。それでスマホに充電するのではない。人のモバイルバッテリーにコネクターを差し込んで、自分のモバイルバッテリーを充電するのだ。
1年半以上軍隊にいる間、モバイルバッテリーを7回盗まれて2回取り戻した。取り戻したときの2回は、盗んだ兵士を本気で殴った。殴らないとわからないから本気で殴る。細かい物を合わせると、盗まれた回数は数えきれない。
基地では相部屋で一緒に暮らす仲間の兵士が、友人を連れてくることがある。その友人が部屋に置いてある別の兵士の私物を見て、「これ、前から欲しかったんだ」と発言したとする。すると、仲間の兵士は堂々と友人にこう告げるのだ。
「遠慮はいらない。持っていきなよ!」
他の兵士の私物なのに、勝手にあげてしまう。そんな瞬間を何度も目撃した。僕の私物を渡されそうになると、そのたびに「それは俺の物だ。あげるわけないやろ」と奪い返した。多くの兵士がそうやって客をもてなすからタチが悪い。

■中国人義勇兵「ロシア兵は鬼だ」
片道8kmの山道を3往復して受け取った食料をすべて盗まれた。ドローン部隊にいたときはWi-Fiルーターと鍋も盗まれた。戦地での過酷な環境には適応したが、盗みだけは慣れないし、慣れたくもない。
ピャトナシュカ旅団に所属していた頃、外国人義勇兵にロシアの軍隊について聞いてみたことがある。まず、韓国人義勇兵はこう胸の内を明かしてくれた。
「人間のレベルが低い。司令官でさえ、戦闘に出ない卑怯な奴らだ」
彼は現在、除隊して別の国に移住している。
ベラルーシはロシアの同盟国である。そのベラルーシ人が入隊して驚いていた。
「ここまでロシア人が怠け者で働かない奴らだとは知らなかった。軍隊も、家族のような絆を感じるベラルーシとはまったく違う」
最後に聞いた、中国人義勇兵は一番辛辣な言葉を発した。
「一言でいえば鬼だ。コイツらに指示されて戦争するなら刑務所のほうが数倍快適だと思う」
そう語った彼は、実際に軍隊から脱走した。逮捕されて今は軍刑務所にいる。
ロシア軍の突撃作戦は他国と比較して、あらゆる点で過酷だ。作戦内容が事前に明かされることはほぼないため、戦地で個々の兵士が判断して対処するしかない。死亡する可能性が極めて高い命令を平然と告げるロシア軍司令官に対し、嫌悪感を抱いている外国人義勇兵は少なくなかった。
■命を奪われた「もう一人の日本人」
最後に、もう一人の日本人義勇兵・ローニンの話をしておきたい。
2024年3月下旬、ローニンと僕はモスクワのホテルに滞在しながら次の部隊を探していた。その後、僕はアフマットに入隊したわけだが、ローニンもまた別の部隊に所属することができた。彼はピャトナシュカ旅団で仲良くなったコロンビア人らスペイン語圏の仲間とともに、モスクワの南東約500kmに位置する都市・タンボフの国防省の某部隊に入隊した。
「ローニンが迫撃砲を受けて死んだ……」
仲間を通じて、こんなメッセージを受け取ったのは2025年6月5日のことだ。この戦争であらゆる仲間の死に直面し、人を失う悲しさや虚しさに慣れたつもりだったが、ローニンの死は僕に大きな虚無感を与えた。
何とか遺体だけでもローニンを日本に帰国させてやりたいと思い、自分のコネクションをフルに使った。まずは、ローニンに関する情報を収集した。複数の関係者をあたると、入隊先は国防省で間違いなさそうだった。民兵組織だと戦地にそのまま遺体を埋めてしまうが、国防省であれば、遺体を回収し遺族に引き渡してくれる。
だが、ローニンは身元引受人などを空欄のまま登録していた。引受人不在として遺体が処理されてしまう可能性が捨てきれない。そこで僕は、すぐさま日本領事館との折衝を行った。日本領事館の担当者にローニンの個人情報を伝え、日本政府が親族とコンタクトを取るよう計らった。

■「遺族に見舞金を支払う用意がある」
親族の誰かがロシアまで遺体の搬送手続きに出向かなければ、ローニンは日本に帰国できない。この段階で、亡骸はローニンが亡くなったドネツクからロストフに運ばれる手筈が整えられていた。
「あとは親族の立ち会いがあれば遺体は日本へ戻される可能性が高い」と、国防省の関係者からは聞いていた。
訃報に接した6月5日に動き始めて、翌々日には大きな展開があった。
「ドネツクからロストフを経由してローニンはモスクワに運ばれた。6月7日に親族と連絡がついて、父親がモスクワに来るそうだ」
こう聞いて安心したのを今も覚えている。関係が悪化しているとはいえ、ロシアは日本に配慮したのだろう。「遺族に見舞金を支払う用意がある」ことも、国防省関係者は教えてくれた。
僕がローニンと最後に連絡を取ったのは2025年5月28日。メッセンジャーで彼から「僕の部隊はドネツク方面です」との連絡を受けた。
「これから出撃です」
突撃作戦に向かう彼に、必要な事前準備や戦闘で不利な状況に陥った場合の対処法などを僕は伝授した。ローニンは任務について、「100人規模の大きなミッションです。基地で1週間にわたって作戦のブリーフィングやドローン映像も確認したうえで出撃します」と語っていた。
この戦闘がローニンにとって初めての戦地だったと知ったのは、彼の同僚の英国人義勇兵が人を介して教えてくれたからだ。
「5人1組のチームで、亡くなったのは彼だけでした」
■戦争は失うものがあまりにも多すぎる
初めての突撃でローニンは迫撃砲を被弾した。スペイン語が堪能なローニンは、ピャトナシュカ旅団でスペイン語圏の兵士ばかりとつるんでいた。だが、ロシア軍の共通言語は当然ながらロシア語だ。
あくまで推測だが、迫撃砲弾が放たれ、着弾するまでに約30秒ある。飛来音が聞こえると、ロシア語で「危ない」「伏せろ」という指示が出ているはずだ。ロシア語がわからず、回避行動が遅れたのかもしれない。ただ、亡くなった原因についての情報は最後まで掴めなかった。
「家族にはロシアの渡航を隠して出国した」
初めてローニンと会ったとき、僕にこう明かしてくれていた。大阪市内で一人暮らしをしながらロシアへの出国を計画したという。家族に明かせば止められると思ったのだろう。2024年11月には、「父親にバレたけど、メールを返信していない」とも言っていた。

ピャトナシュカ旅団に所属していたときも、ローニンはアウディーイウカの陥落まで一度も出撃しなかった。「自衛隊の元軍曹」という肩書きがありながら、実戦で頼られなかった現実に、ローニンはジレンマを抱えていた。
「早く僕も戦いたいです」
ローニンはピャトナシュカ旅団に所属していた頃から、常々僕にこう訴えた。そして、戦うために国防省の部隊に入隊したが、初めての戦闘で命を落とした。
戦争で何も期待してはいけない。期待するから失望する。だから、僕は何も期待しない。
戦争は、得られる成果より、失うものがあまりにも多すぎる。
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金子 大作(かねこ・だいさく)
ロシア軍特殊部隊「アフマット」所属
1975年、大阪府生まれ。20代で大阪府内に板金塗装会社を設立。2000年代初頭の「VIPカーブーム」に乗り財を成した。2023年8月にロシアへ渡り、外国人傭兵部隊「ピャトナシュカ旅団」に狙撃兵として採用。現在は特殊部隊「アフマット」に所属する。アウディーイウカ、ルガンスク、クルスクなど激戦地での戦闘を経験。2026年5月現在は、ベルゴロドで戦う。著書に、『ロシア軍の日本人兵士 最強の特殊部隊「アフマット」で見た地獄』(講談社)がある。
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(ロシア軍特殊部隊「アフマット」所属 金子 大作)
