夫婦の他愛ない日常を配信し、若者の人気を集める動画クリエイター夫婦「たくはらけ」。食卓を囲むほのぼのとした日常を配信する彼らだが、夫・かいとさん(24)の口から語られた過去は、その穏やかな笑顔からは想像もつかないほど凄惨なものだった。

【画像】 薄ピンクのスーツでこちらを見やって笑みを浮かべる「かいと」さん、結婚指輪を見せながら微笑む「みう」さん、二人で浴槽に浸かる姿ほか、彼らのオフショットを写真で一気に見る

「ケチャップを吐きながら飲み干した」「粉砕骨折しても隠蔽された」――。実母からの常軌を逸した虐待を受け、いかにして彼は暴力と飢えが支配する家庭から生き延びたのか。限界を迎えたあの日、自らSOSを出して決死の逃亡を果たすまでの全貌に迫る。


「たくはらけ」夫妻。右に写るのがかいとさん

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空腹をしのぐためケチャップを舐めると母は…

――かいとさんがご自身の過去の壮絶な体験を語る動画、非常に驚きました。これまでの仲睦まじいおふたりの様子とは毛色が異なる動画を上げられたのはなぜでしょうか。

かいと いずれは自分の過去について話してもいいかなとは思っていたんですよね。「とにかく何がなんでも成人するまで生きて、虐待をする親から逃げてほしい」と、同じ境遇にいる人に届けばいいなという考えもあって。

――当時のことについてお伺いできればと思います。かいとさんはどのような家族構成でしょう。

かいと 母が19歳で身ごもったのが、私です。その後、2歳離れて弟ができました。その年に、実父は自死をし、しばらく、母は実父の遺産や水商売で稼いだ金などで食いつないだようです。

 その後、母は再婚し、その後に妹が生まれました。その時、母はすでにその義父とも離婚していますが。

――虐待は家庭で行われるため、逃げ場がありません。どのような経験をされてきたのでしょうか。

かいと 母は自分の機嫌が悪いと、私のご飯を一切作らなかったんです。弟と妹のご飯は用意されているんですけどね。一晩だけではなく、母の機嫌が直るまで、数日にわたってご飯がもらえないのが日常でした。不機嫌モードになったときは、砂糖や塩を舐めて飢えをしのいでいました。

 ただ、小学生のとき、冷蔵庫のなかにケチャップを見つけたんです。それまで砂糖や塩を舐めて水を飲むという空腹のしのぎ方をしていた私にとって、ケチャップは結構なご馳走になりました。ところが、ある日私はケチャップをつい舐めすぎてしまったんですよね。母はケチャップの量が減っていることに目ざとく気づき、激怒しました。

「このケチャップを飲み干すまで、絶対に許さない」と言われましたね。通常の家庭用のサイズよりもひと回り大きかったケチャップを吐きながらも飲み干して、母の許しを乞いました。それ以来、ケチャップ料理は食べられません。

――壮絶な体験です……。福祉の介入はなかったのでしょうか。

かいと はっきりとした記憶はないものの、4〜5歳までに何度か児童養護施設を出入りしています。どういうきっかけで保護されたのかは、覚えていません。ただ、ひとつ覚えていることがあります。

階段から落とされて骨折すると

かいと 小学1年生の夏休み頃、一度入ったことのある児童養護施設の門の前に、母親に連れてこられて、そのまま置いていかれたんですよね。職員は顔見知りなので、部屋に入れてくれますよね。ただ、正規の入所方法ではないからなのか、しばらく施設内にいる子たちとは違う個室で待機させられて。そのときのことは覚えています。

――そこから、トータルで10年以上を施設で過ごしたと伺いました。

かいと はい。小学生1年生の夏休み頃から、小4まで児童心理治療施設に入所していました。その後、一度は家に戻ることになり、小6から中3までは児童自立支援施設、中3から高2はファミリーホーム(小規模住居型児童養育事業)にいました。

――家に戻っている期間もあるとのことですが、母親からの虐待はそのときにも行われたのでしょうか。

かいと そうですね。小学生時代、母がご飯を作ってくれないことが多かったので、常にお腹が空いているわけですよ。頼みの綱は学校給食なのですが、母は私を学校に行かせたくないんです。

「お前の給食費が無駄なんだ」みたいなことを言っていて、登校しようとすると蹴られたりするんですね。そんなわけで、学校に行きたいけれども行けない日がありました。 

――虐待で骨折をされたこともあるのだとか。

かいと はい。小1のある日、下校した私は、母にバレないように階段を登って荷物を置き、外に出ようとしたんですが、私が帰宅したことを母に察知され、突然階段から引きずりおろされました。階段には母の内職道具などが置いてあって、それらが全部のしかかる形で私は落下しました。結局、粉砕骨折をしていたんです。

――病院での処置は受けられたのでしょうか。

かいと 当初、母は病院に連れて行かないつもりだったようです。ところが私がぜんぜん泣き止まないので、まずいと思ったようで。診察時間ギリギリに病院に駆け込みました。レントゲン撮影をしたところ「ここでは対応できない」と言われて、大きな病院へ運ばれ多様に記憶しています。母からは「自分で勝手に落ちたことにしなさい」と強く口止めをされていました。

警察に保護されたとき口をついて出た「家に帰りたくない」

――暴力は日常的だった。

かいと そうですね。古い記憶で覚えていることといえば、私が母の逆鱗に触れたらしく、「なんて言うんだっけ?」とよく聞かれていたことでしょうか。3歳くらいのことだったと思います。私は母にそう聞かれるたび、何度も「ごめん」「ごめんね」と謝るんですが、そのたびに平手打ちが飛んできました。いま振り返ると、母は「ごめんなさい」という謝罪の言葉を要求していたんだと思いますが、当時の私にはまったくわかりませんでした。

 あるいは、小学生のときにじゃれていて弟を蹴り上げてしまい、それを告げ口され、母からピンヒールで何度も殴打されたことがありますね。

――小6で保護されたとき、ご自身のなかで変化があったとか。

かいと ありましたね。その日は夏祭りがあったんです。私以外の家族は夏祭りに行っていて、私は連れて行ってもらえなかったので、友人と一緒に遊びに行きました。帰宅して自宅のドアに手をかけると……鍵がかかっているんです。締め出しを食らった形ですね。中に家族はいましたけど……。寝ていたのかもしれません。

 仕方がないのでコンビニと深夜営業している書店を行き来していたところ、コンビニ店員が通報してしまって……警察がやってきました。そのときに、「もういいや」という気になったんですよね。警察官に「家に帰りたくない」と言ったのを覚えています。警察官が照会して、児童福祉施設の入所履歴がわかり、その日のうちに保護されました。

――母親への期待感は、そのときに消え失せた。

かいと 今振り返るとそうなんでしょうね。それから、母が面会にきても面会拒否を貫きました。これまでは、なんだかんだ施設に入るときに「お母さんと離れたくない」と言っていたんですよね。でも小6のときを境に、そうした感情はまったくなくなりました。

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 小学校6年生でついに警察に保護され、母親との決別を選んだかいとさん。しかし、家庭内の歪な関係性がもたらす悲劇はこれだけでは終わらなかった。

「母は私に嫉妬していた」――大人になってから気づいた虐待の真の理由、そして理不尽な理由による高校中退の絶望……。続く第2回では、虐待サバイバーが直面したさらなる試練と、他の家族とのリアルな関係性に迫る。

「母は私に嫉妬していた」実母による学費支払い拒否で高3で学校中退に…人気動画クリエイター夫(24)が明かす“地獄の家庭”の真実〉へ続く

(黒島 暁生)